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ヒッチハイク <東京→京都>

「サークルの合宿で代々木にいる」と親に伝えておきながら、京都へヒッチハイクで向かい、そこから東京へ帰還する夜行バスの中でパソコンと格闘し始めた秋山です。
今回は私が旅を通して感じたことについて綴ろうと思います。

自己紹介
秋山 藍(English Name:Kate)
東京大学 文科2類2年
TEDxUTokyo実行委員会 代表
Business Contest KING 実行委員会
趣味:旅、長距離散歩、映画鑑賞、料理、人と喋ること

京都までヒッチハイクすることになった経緯

今回の旅の目的を説明するうえで、私が6月より代表を務めている学生団体「TEDxUTokyo実行委員会」が大きく関係しているため、一旦その事情について触れておきます。
そもそも、「TEDx」とは何か。
これはTEDの"Ideas Worth Spreading"の精神のもと、TEDより正式なライセンスを取得し世界150ヵ国以上で発足しているコミュニティです。
なかでも私たち「TEDxUTokyo実行委員会」は東京大学を中心に活動しており、人選や運営などを学生たちで独自に行うことでイベントを運営しています。
そんなある日、7/7(日)に京都大学にて「TEDxKyotoUniversity」が開催されることを知りました。
是非とも参加したい、と思った私は団体内の仲間に声をかけるも、新幹線で京都まで行って現地で合流すると快諾してくれた1人を除き、ほとんどの友人に断わられる始末。
そんななか副代表でもあるもう1人の友人に声をかけてみました。
本人曰く「予定的には問題ないが、京都までの旅費が高いので迷っている」とのこと。
人生で1度はヒッチハイクをしてみたい。
兼ねてからそう思っていた私は、この言葉を聞いてここぞとばかりにヒッチハイク旅を提案します。
最初こそ激渋りされるものの、熱弁した甲斐あってか何とか説得に成功。
イベント前日の7/6(土)に人生初の大冒険が幕を上げました。

1台目:用賀(東京)→足柄SA(神奈川)

8:30より「ローソン世田谷瀬田五丁目前店」の近くでヒッチハイクスタート。
始める際に「名古屋」と書かれた段ボールを同じ場所で掲げていた名古屋大学院生のヒッチハイカー2人組と出会いました。
4人で軽く雑談し仲良くなった後、副代表でもある友人と一緒に「海老名」と書いたホワイトボードを掲げ、通りゆく車へ必死に顔で訴えかけます。
見て見ぬ振りをしながら無視されたり、爆笑されたり、「ごめんね」と手で合図を送ってくれたり、、
車に乗った皆さんのリアクションは様々でした。
しかし、30-40分粘った末にローソンへ立ち寄ったある女性(以下「マキさん」)が私たちを4人まとめて乗せてくれることに。
数週間前にバイクの練習中に肘を開放骨折するという大怪我を負い、ドクターヘリで病院へと搬送された息子さんのため、その女性は病院へ向かう道中とのことでした。
「回復したらまたバイクに乗る」
そう話しているという息子さんに向ける母親としての心配を聞き頷く一方で、止められない冒険心・好奇心をもつ息子さんに共感する側面もあったりと、時折こそばゆい気分にもなりつつ、その場に居合わせた5人で一期一会の会話を楽しみました。
そうこう言っているうちに当初お願いしていた海老名のさらに先、足柄SAに到着。

足柄SA

救いの手を差し伸べてくれたマキさんへの並々ならぬ感謝を表明しながら車を降りました。

2台目:足柄SA(神奈川)→浜松SA(静岡)

足柄SAに降り立ち、名大院生のヒッチハイカー2人組とも別れてヒッチハイク再開。
「名古屋方面」と書いたホワイトボードを掲げてトイレから出てくるドライバーの皆さんに声をかけまくります。
声をかけたご夫婦に断られた直後、その様子を見ていた男性にお声かけいただきました。
3人でドライブに来ていて狭くて良ければぎりぎり乗せられるかも、と言ってくださる男性に狭くても問題ない旨を伝えて待っていると、お仲間からもOKをいただき無事に乗せてもらえることに。
話を聞いていると、自分たちより1学年上のお兄さん3人組でドライブをしているのだそう。
出身地や趣味、バイトの話で盛り上がり、お兄さん方の働いている居酒屋で後日一緒に飲みたい(これは結構本気で)といった話をしていたら一瞬で時間が過ぎていきました。

浜松SA

そして浜松SAに到着し記念撮影をしたあと、いよいよ別れの時が訪れました。
別れ際にも温かい応援をいただき、感謝を胸に次なる冒険へ繰り出します。

3台目:浜松SA(静岡)→栄(愛知)

お土産コーナーがある浜松SAの出入り口付近で再びホワイトボードを掲げていると、なんと驚いたことに乗せてくれると言ってくださった方が数分で現れました。
その男性に車のある場所まで案内していただいている最中、私はあることに気づきました。
Tシャツの背中にプリントされたものと全く同じマークのステッカーが、車の窓に貼られていたのです。
出発した車の中でお話を聞くと、今年で51歳になるというその男性はどうやらBiSHの大ファンだそうで、同じ趣味をもつコミュニティを大切にしBiSHのライブにも頻繁に足を運んでいるとのことでした。
手作りのグッズを見せていただいたり、「娘を見守るような感覚でBiSHを応援している」といった思いを聞いたりする中で、
「何かに熱中している人は自然と輝いて見えるんだな」
と改めて実感。
また、その男性がBiSHを好きになった理由の1つに挙げていた「歌詞が心に響くから」というのにはかなり共感し、
同じ理由でMOROHAやTHE BLUE HEARTSが好きになった者としては、BiSHの音楽もこの際ぜひ聞いてみようと思いました。
そんなことを考えているうちに栄へ到着。
BiSHの手作りTシャツをわざわざ来てくださった男性と記念写真をとり、精一杯の感謝を伝えながら別れました。

4台目:名古屋駅→名古屋西IC

実は生まれてこの方1度も愛知県に足を踏み入れてなかった自分にとって、降り立った土地はまさにフロンティアそのものでした。
栄の駐車場で下ろしていただいてからというものの、三重県出身である程度は土地勘のある友人を頼りながら40-50分ほど歩いて名古屋駅へ移動することに。

移動中

しかし、名古屋駅に着いた後、試練が訪れます。
車が一向に捕まりません。
それもそのはず、名古屋駅から京都へ向かう場合、大抵は新幹線を使うのであって、駅の近くを走る車は名古屋の中しか移動しないと言っても過言ではないのですから。
「京都方面」と書いたホワイトボードをもって色んな場所で営業しても、車が停まるはずないのです。そこで友人とともに作戦を立て、「京都方面」ではなく「名古屋西IC」と書き換えました。
「(京都へ行ってくれる人はまずいないから、)高速道路の手前まで連れて行ってくれる人を探して、そこから京都へ向かう車を見つけよう」という意図を込めたのです。
すると、そこでようやく1人の男性が停まってくれました。
外から見ると真っ黒、車内の座席は真っ赤、という何ともいかつくて派手な車に乗せてくれた26歳のその男性は、会社を2つ経営していて、日中は不動産、夜は風俗にまつわる仕事をしているといいます。
学歴自体は中卒で大工としてのキャリアを経験しながらも、あまりに低い賃金に危機感を覚え経営者にあることを決めたんだとか。
私たちを乗せてくださった理由について
「仕事の用事が夜にあってそれまで暇だし面白いものでもないかなと思いながら運転していたら、まさに面白い奴ら(=ヒッチハイクをしている自分達)を見つけたので乗せてみた」
と聞いたときには思わず笑ってしまいましたが、いずれにせよ楽しい時間を過ごさせてくれたお兄さんには感謝しても仕切れません。

5台目:名古屋西IC→土山SA(滋賀)

寝坊したことで朝ご飯は食べず、昼もヒッチハイクに明け暮れて一切食事をとっていなかった私たちですが、さすがに疲労感が拭えないのでコンビニでICE BOXという15kcalのアイスを購入。
体に染み渡りました。
そんなこんなで再開したヒッチハイク。
通り行く車のナンバープレートを見ながら
「名古屋ナンバーは厳しいかもだけど、三重ナンバーや京都ナンバーの車なら京都方面へ行きそうだし乗せてくれるかもしれない」
といった戦略を立てつつ高速道路の手前なので、粘ります。
すると粘った末に滋賀まで送ってくれるという男性が停まってくれました。(以下「小西さん」)
入院されている奥様のいる病院へお見舞いに行った帰りだそうで、奥様との素敵な馴れ初めなど色々お伺いしました。
最初は標準語で話していたものの、次第に関西弁へと変わっていく小西さんとの会話は関西へ行ったことのなかった自分にとってなかなか新鮮です。
「疲れてるだろうし寝てても良いよ」
と気を遣って言ってくれる小西さんの言葉を有り難いと思いつつ、喋る口が止まりません。

土山SA

するとあっという間に土山SAへ到着。
深々とお礼を言ってお別れしました

6台目:土山SA(滋賀)→京都

流石にお腹が空いたので、SAで売っていた「津餃子」なるものを250円で購入しようやく休憩を挟みます。
東京から滋賀まで移動したのに今日使ったお金がこの時点で1000円未満という事実に内心驚きつつ、最後の1台を探します。
「京都ナンバー」の車に声をかけると、ワンちゃんを連れたノリの良いご夫婦が乗せてくださることに。(以下「光藤さん」ご夫妻)
出発前にワンちゃんの散歩をするとのことでご夫妻を少々待っている間、別の男性が「ヒッチハイクですか?」と向こうから声をかけてきてくださったりと予想外の出来事も起こりましたが、丁重にお礼を言いつつ光藤さんの車で出発します。
「ちくわ」と名付けられたワンちゃんの声が聞こえる車で、大学やバイト、光藤さんたちの学生時代の話で盛り上がるなか、終点をどこにするかという話になりました。
驚いたことに、自分たちの行く場所ではなく私たちの目的地に合わせてわざわざ遠回りしながら送り届けていただくことになりました。
人の温かさをひしひしと感じながら旅をした1日、光藤さんご夫妻の優しさにも救われ、19:30頃に冒険は幕を閉じたのです。

エピローグ

しばらくして新幹線で先に来ていたもう1人の友人と合流した後、高校時代の友達の家に泊まるという副代表とは一旦ここで分かれ、無事に1日で辿り着いた安心感を抱きながらもう1人の友人と一緒に宿へ到着。
人生初の京都だったので夜ご飯として京都グルメを満喫したいのは山々でしたが、如何せん宿に着いた22時頃には周辺の飲食店も閉まっていたため、仕方なく夜ご飯はコンビニで済ませます。
一晩だけ我慢し、翌朝TEDxKyotoUniversityへ向かう前に食べた温かい鶏そばは最高でした。

鶏そば

でもやっぱり、鶏そば以上に温かいのは皆さんの心です。(?)
この文章を読んでくれているかは分からないけど、
乗せてくださった皆様、本当にありがとうございました!

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