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衝撃 忘れ去られた企業       大日本麦酒とは

大日本麦酒とは

大日本麦酒とはアサヒビールとサッポロビールの前身に当たる巨大麦酒企業である。馬越恭平により創業された。
なぜ大日本麦酒という巨大企業が生まれたかというと日露戦争と過剰なビール競争という2つの問題が起きたため朝日麦酒 札幌麦酒 日本麦酒(ヱビスビール)の三者が合併して設立された戦前の大企業である。
大日本麦酒の市場シェアはアサヒビール サッポロビール ヱビスビールの商標だけでシェア70パーセントでありまさにスエズ運河以東最大(当時)の麦酒企業であった。
大日本麦酒はなぜなくなってしまったのか それは過度経済集中排除法(独占禁止法)を適応してアサヒビールとサッポロビール(日本麦酒)の2社に分かれたからである。
なぜ大日本麦酒に関して調べたかというと東映のライバルである東宝の誕生に阪急(東京宝塚劇場を創業)とともに大きく関わっていたからです。pclという東宝砧スタジオの前身の企業があるが、その会社に大日本麦酒などが出資していて事実上東宝という映画会社は阪急と大日本麦酒( 他にも出資企業もある)が
創業したことがわかったからです。また大日本麦酒は飲料企業を買収する巨大企業であったことも驚きました。


出典[生田誠氏 三井住友トラスト不動産]
大日本麦酒本所吾妻橋工場。

大日本麦酒の歴史。

1903年ヱビスビール(日本麦酒)は、大きな危機を迎えていました。長年シェア1位だったのに大阪麦酒(アサヒビールの前身)に抜かされて大変な事になっていました。しかも1904年に日露戦争が勃発 日本が列強に加わる未来を予測した馬越氏は国内競争から海外進出に転換して生き残るという考え方をしていました。当時の日本は海外に領土拡大する次期だったからです。馬越氏はヱビス、アサヒ、サッポロ3社合同を考えました。渋沢栄一氏と鳥居駒吉氏にあって3社合同は基本合意したが利害関係で交渉が難航してしまいました。
そして難航する合同化の打開を果たしたのは農商務大臣清浦奎吾氏でした。清浦氏の分立から合同へという働きかけにより戦前最強の麦酒会社大日本麦酒が誕生します。


出典サッポロビール公式[大日本麦酒のポスター]


出典[アサヒビールの歴史] 
大日本麦酒のラベル


こうして国内市場70パーセントの麦酒企業が誕生したのであった。
1878年に東京麦酒を買収。
1916年アングロシャーマンブルワリー(青島ビール)を買収。ドイツ流のビールブランドが傘下になると同時に初の海外(中国)進出を果たした。しかし国内でもライバルと競争することになった。日本麦酒鉱泉株式会社である。日本麦酒鉱泉株式会社は根津嘉一郎財閥(東武鉄道)の飲料部門として設立された会社でありカブトビールと三ツ矢サイダーを発売していた。大日本麦酒のライバルであった。馬越氏は海外進出を強化するため日本麦酒鉱泉株式会社と麒麟麦酒3社合同を考えていたが麒麟麦酒が合併を拒否して大日本麦酒と麦酒鉱泉の2社の合併が決まり、1933年麦酒鉄泉は大日本麦酒の子会社(合併)になりました。
これにより三ツ矢サイダーなどが大日本麦酒のブランドに加わる事になった。
1934年には銀座ビアホールが開業した。
モザイク画やレンガでできたビアホールはビヤホールライオン銀座七丁目として今も残っています。
[まさか世界シェア3位のアサヒグループホールディングスとサッポロビールが一緒だったとは思いませんでした]

大日本麦酒の分割


出典[サッポロビール公式]
戦時統制下の麦酒商標

1941年になると太平洋戦争が勃発、日本は第二次世界大戦では枢軸国として参戦した。戦時統制下の中、各ビールブランド商標は停止して麦酒商標に1本化した。
1943年には桜麦酒と合併した。
1945第二次世界大戦は終結して日本は戦争に敗れた。大日本麦酒はGHQに2つの会社に分割される事になった。
それが後のアサヒビールとサッポロビール(日本ビール)であり、こうして日本のビール業界はアサヒ サッポロ キリン サントリーの4社体制になったのである。

もし大日本麦酒(ヱビスグループホールディングス)が今も存在したら

大日本麦酒が今も存在したら(あるいは復活したら)ビール業界のシェア率が変わりヱビス(大日本麦酒)が圧倒的に1位でキリンやサントリーのライバルになっていたかもしれません。日本のビール業界の巨人になっていた可能性が高い。アサヒ サッポロ ヱビス カルピス 三ツ矢サイダーなどがブランドになっていて世界シェアも非常に高かったかもしれません。
実はアサヒサッポロ再統合の可能性があったが没になっていた。
オーストラリアやアメリカに進出してしかもカルピスも所有する超巨大飲料企業になっていた可能性が高い。中国の青島ビールの大株主になっていたかもしれない。(アサヒビールはかつては青島ビールに出資していたが現在は売却している。)アジア1位のビール企業はヱビスグループホールディングスであった可能性が高いですね。キリンは昭和後期以降は史実以上に不利な状況だったかもしれない。オリオンビールはヱビスグループの子会社になっていかもしれない。ヱビスグループは渋谷や銀座 本所吾妻橋に不動産をもつ副業にも強い大企業だったかもしれない。

最後に

大日本麦酒は戦前の財界が苦労して生み出した近代企業であることが分かりました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。

参照
三井住友トラスト不動産公式サイト。

サッポロビールhttps://www.sapporobeer.jp › history歴史・沿革 | 企業情報

アサヒグループホールディングスhttps://www.asahigroup-holdings.com › ...歴史・沿革 | 企業情報





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