そんな日もある
新橋で東海道線のグリーン車に乗り込む。そして、中公文庫で出たばかりの、小島信夫の本を後ろのほうから読む。
江藤淳の自死をめぐるエピソードから始まるこのテキストは語り起こしで、「そして、小説は生き延びる」というタイトルだ。小島信夫で、しかも語り下ろしなので、話はあれこれ変わってまとまりはないのだけれど、文節ごとにいろいろなことを考えさせられる語りがおもしろくて、2回読み返す。例えば、「一つの小説で印象に残る部分は、やっぱり謎の部分」とか。
そして、なぜ江藤淳の話から話し始めたのかと言えば、「しかし、そうした眩しいほどの正論を作家が言ってどうするのだろうか」という呟きこそ、彼にとっての小説論だったからではないか、とか思う。
2023年5月3日。今日も世界は「眩しいほどの正論」に溢れているみたいだ。「暗殺が成功して良かった」という作家の発言がネットニュースになっている。
平塚は快晴。
ウクライナ支援を表明しているクラブの活動の一環で、入場ゲートでひまわりの種をもらう。
湘南1-2柏
試合はカウンター2発で2失点して敗戦。気がつけば、降格ラインが近づいている。
思えば、ひまわりユニフォームを着用した昨シーズンのGW中に行われた試合(対清水)も酷い負け方だった。でも、その清水が今シーズンはJ2にいるのだから、Jリーグはおもしろい。スタジアムではビールを1杯飲んだ。
帰宅して、本棚の奥から古い文庫本を取り出して読む。集英社文庫の『ヒコクミン入門』の奥付は2000年2月25日第1刷となっている。23年前に付けた付箋が残っているページを捲る。ちなみに、23年前の島田雅彦は今のわたしと同じ年齢だ。
23年前、「炎上」という言葉はまだなくて、「自粛」という言葉と、その記憶がまだ鮮明だったのだろう。23年後のいま、「自粛」は「不要不急」とともにコロナ禍の言葉として上書きされてしまっている。けれど、「やたらに感動したがり、むやみに "愛"を唱え、それとなく道徳の番人になる」ような「好青年や紳士、ファッショナブルな女や文化おばさん」は今もそこかしこにいる。そして、「言論の自由」の語義矛盾と「自粛ムード」はもはや常態化してはいないだろうか。こんなネットの片隅の文章においてすら。
「眩しいほどの正論を作家が言ってどうするのだろうか」と呟いて、眠る。
そんな日もある。
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