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尾張名古屋というこの都市で...

今回の記事は社会学と言うテーマとかけ離れるかもしれませんが、 そもそも「社会学」と言うのは自分で選ぶことから始まるわけであり、 4年経つ名古屋という都市で暮らしたいそう思ったわけであります。

なぜ名古屋に住みたかったか、それは自分でも曖昧な理由でなのかもしれない。
都会暮らしがしたい、 治安が良く住みやすい区がある、 交通の面で便利で移動がしやすい、 いろんな人と交流ができそうだから。
一見このような理由で名古屋に住みたかったと言っているが、 ただ気になったことがある。

それは名古屋に離れようと暮らすようになっても、名古屋に引き戻されるという不思議な現象である。
それはどういうことか、3年前の建築関係の派遣会社に入社した事が始まりだった。

入社したての頃はコロナウィルス騒動で、世の中が規制や恐怖であおられ行動制限がさせられていた頃である。

その時はネットで自宅で研修を受けており、 半年はその生活であった。
その生活をしている中、配属先の面談が控えてあった。

1つは滋賀県米原市にある市役所の改装工事の依頼に ついての面談で、 事務所にお邪魔して面談を受けた、 そして内容聞き米原に行きたくないなと思いながらも仕事だからと我慢して承諾した。
しかし配属先の会社との契約はなくなっていた。
内心ほっとしてよかった気分であったのです。

次は豊橋にある建築関係の会社の派遣の依頼があった、 そして面談しに事務所に上がってお話をした。
嫌々思いながらも豊橋での仕事かと思っていたが、この話もなかったことに終わった。

1ヵ月後次は岐阜県岐阜市にある土木関係の派遣の依頼があり、そこで事務所に行き面談をすると言う繰り返しの行動であった。
岐阜市といっても、市街地から離れた地区であり車もない自分の立場からしたら最悪な場所だったが、 この話も終わったことによって内心ほっとしている自分がおり、 自宅での研修生活がさらに続いた。

そして犬山市にある東洋紡と言う大きな工場の派遣の依頼が来て3ヶ月の少ない期間であったが面談をしてようやく配属先が決まった。
そしてこの3ヶ月は工場内の棚卸し作業で楽な仕事であったが、 一番良かったのは自宅から電車で通勤できたこと、 配属された同じ同期の5人との会話のやりとりが楽しかったこと。
もっと期間が伸びればいいのになぁと思いながらも3ヶ月が経ち、契約満了となった。

その後すぐに小牧に物流関係の会社の派遣である。
ネットで面談をし契約交渉になったが、 その会社の空気や人間はもう自分と合わず最悪な環境であった。
少なくとも3ヶ月の契約内容であったらしいが、会社側から1ヶ月で契約を切ってくれと連絡が来ており1ヶ月終わった。
内心ほっとしており嬉しかったのもありますが、 興味のない街に暮らさないといけないというのは自分とってのストレスでしかないなと改めて自動車関係に勤めていた時と同じ感覚であった。

そして精神的な病気が悪化し派遣会社とのやり取りで、一度休職した方が良いのではないかと派遣会社と通ってる病院との相談で、休職する判断をしました。
その後1年8ヶ月休みながら所属していたがここで会社を辞めることにした、理由はこの会社にいてもストレスが大幅に増大し、心に悪い環境に合わないと思ったからである。

しかしわたしは思ったのです。
名古屋と言う都市に引き戻されているとそう感じました。
名古屋に出ようとすれば止められ、 名古屋に一度離れても引き戻される感じがして、これはもしかして何か意味があるんじゃないかなと思いました。

偶然ではなく必然であるのならばこれは、どんな意味があり自分が名古屋に対する思いの目的があるのか、それを追求するための今の生活でもあるのかもしれないと思った。

わたしは正直名古屋にまだ暮らしたいと思う、これは使命というより目的とこの必然がどういう意味だったのかまだわからないのである。それを追求するために今こうして「社会学」を 学びながら暮らしている。

正直この名古屋の地でいろんな人と会いたい、まだ行ったことないとこにも行ってみたいし、もしかしたらまだ隠されている感じがするのです。

この名古屋と言う都市で…
わたしは誰と出会い何を学び何をやるのか今後の目的と必然の答えを経験したい。それが今の私のやりたいことなのかもしれない。

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