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カントのコペルニクス的転回と抽象絵画~対象物の無い世界~

 「悟性は、その法則を自然から汲み取るのではなく、自然に対して法則を課すのである」
 プロイセン、ケーニヒスベルクの哲学者カントの言葉である。カントの有名な言葉と言えば、「コペルニクス的転回」がある。簡単に説明すると、対象が認識をつくりだすのではなくて、人間の認識能力が対象を構成するということ。「対象→認識」という構図を「認識→対象」とひっくり返したことを「コペルニクス的転回」と名付けた。カントは主著である三批判書で、人間とは何かについて深く考察した哲学者であるが、その最後のひとつは美学論である『判断力批判』であった。それに少し関連して美術の話をしてみたい。美術の世界にも「コペルニクス的転回」があるように思うから。
 カントの「コペルニクス的転回」が当てはまる画家と言えば、現代絵画の父と呼ばれているセザンヌであろう。彼は(単純にへたくそであったという説あり)描く対象をそのままの形で絵にするのではなくて、対象自体を変形した。絵は絵として成立していればよく、本物そっくりに描く必要などどこにもない。現実から本質を抜き取り、幾何学や記号で表現していく、後にピカソやブラック、ドローネなどが展開したキュビスムの根源であり、抽象絵画の芽生えでもある。また別の方面からは、象徴主義から芽生えた抽象絵画の画家たち。抽象芸術の父と呼ばれるカンディンスキーは、自然の形態の模範ではなく、純粋な色と形だけの絵画を目指した。同じく抽象絵画の画家、パウルクレーは単純で記号のような絵画や目で見ることのできない音楽を絵画にするということをやってのけた。彼の芸術理論は難しく、言語で理解するというのは無理なのかもしれない。カントは本当の天才は芸術家であり、それは何故かというと、人々に対してその人自身の技術や理論を完全に継承できないからといった。クレーはこの意味で天才だった。
 抽象絵画は対象物の無い絵画だと言われることがある。これはいわばカントの「コペルニクス的転回」だと思う。ある対象を模範するという当たり前の絵を描くという行為から対象を削り取るという発想の転換はすごい。時代の流れもあるのだろうが、日常に潜む当たり前から脱却し、発想の転換ができる人が、後世に名を残すのかもしれないと感じる。

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