見出し画像

湊かなえ先生・「人間標本」の感想みたいなもの



こんにちわ葦原です。
最近、往復合計で100kmほど、ママチャリを漕ぐ機会がありました。
なかなか楽しかったです。
自転車一人旅は肉体と精神の限界値を垣間見ることができるのでおすすめです。





今回は湊かなえ先生の「人間標本」という小説の感想を書こうと思います。
普段漫画とアニメにしか触れていないので小説を読むのは大変でしたがとても面白かったです。
若干ネタバレを含むのでぜひ先に読んで欲しいです。
この記事を読んだ後だと変な先入観がついてしまいそうなので。

湊かなえ先生の作品は「告白」「少女」「サファイア」「贖罪」「絶唱」「母性」「落日」を読んだ経験があります。あまり読書家ではないのでこれはかなり読んでる方ですね。イヤミスは良いですよね。
知らない方向けに一応補足しておくと、「イヤミス」は「読んだ後嫌な気分になるミステリー」です。
「イヤミス」の代表的作家が湊かなえ先生ですね。ご本人がその肩書をどう思っているのかは知りませんが、湊先生のイヤミスは最高です。

最初に読んだ作品が「告白」で、それでとんでもない衝撃を受けて「少女」を読んで、「なるほど、、、こういう作家さんなのか。」と理解しました。
それからは予定調和として終盤に待っているどうしようもない喪失感にそわそわと胸をそばだてながら読み進める、という作業をするのが快感になっていき、いつの間にか虜になっていました。
必ずしも最後に最悪な展開になるとは限らないんですが(落日とか体感そうだった)、やはり私の身体はイヤミスを欲しているんですね。
その点、今回の「人間標本」は完全なイヤミスでした。
それも「イヤなミステリー」だけじゃないんです。
「人間標本」の「イヤミス」は、「イヤなミステリー」かつ、「イヤなミスリード」でもあります。
今作のどんでん返しは過去一(全部読んだわけじゃないですが)と言っても過言ではないです。

言うなれば

ミスリードだった、というミスリード、それさえもまたミスリード。


なので、少しくらいあらすじを書いてみてもネタバレにならない気がするのであらすじを書きます。

主人公は蝶の研究の第一人者である榊史郎。
幼少期、蝶の採集や標本づくりを経験してから蝶の虜になり、蝶という生き物に対して異常なまでの執着心を持っていた。

彼の父親は「人間を標本にしたい」と発言し画壇を追放された画家・榊一郎という人物で、一郎氏の遺作が、同じく画家である一之瀬佐和子の肖像画であった。その肖像を披露する際に、史郎は佐和子氏の娘、一之瀬留美と出会う。その際、史郎が夏の自由研究で描いた、蝶の色覚で描いた花畑に標本を取り付けた作品に留美は強く興味を示した。留美の目には、常人より多くの色(四原色)を識別できる、という女性だけに現れる珍しい特徴が備わっており、それをコンプレックスとして捉えていた留美にとって、蝶の色彩で描かれた絵は魅力的に映ったのだろう。

肖像画が完成して間もなく、一郎氏も佐和子氏も亡くなってしまい、二人の関係性は途絶えたが、時を経て再会する。
史郎は蝶博士、留美は「色彩の魔術師」と呼ばれる画家になり、互いに畑は違えど、メールなどを通じて親しく交流するようになった。
二人共自身の道を順調に進み、留美は渡米し世界的アーティストに、史郎も蝶の採集のために世界中を飛び回るような研究者になった。各々で家族や子供を持ってもその交流は継続された。

しかし、留美が病に冒されたことで転機が訪れた。
自身の死期を悟った留美は「色彩の魔術師」の後継者を探すべく、画才のある6人の少年を集めて、かつて留美と史郎が出会った家にて短期間の画塾を行うこととなった。
その少年たちの中には史郎の息子である榊いたるも含まれていた。

それぞれで、自身の中に芸術的な世界観をもった美しい少年たちが集う様子は、史郎にとって、蝶と同じ色彩を持ち「蝶の女王」たる留美を中心に、美しい蝶たちが飛び回っている光景を想起させ、史郎は次第に少年たちが蝶に見えるまでになってしまった。最も美しい少年期のまま、彼らを切り取ってしまいたいという衝動に駆られた史郎は、自身の父の「人間を標本にしたい」という発言に着想を得て、自身も留美の後継者候補であると言わんばかりに、少年たちを殺して標本という芸術作品にすることに決めた。

史郎は、六人の美少年を標本にする過程や作品を撮らえた写真、制作にあたっての心情を記した手記をインターネットの小説投稿サイト「小説家をめざせ」に投稿し、数日後に自首した。
衝撃的な写真とともに猟奇犯罪者の文章が万人にアクセス可能な場に置かれたということで、事件発覚を皮切りに、手記は瞬く間に拡散した。
その記事に付けられた題名こそが「人間標本」であった。


という感じ。巧く説明できていない気がします。
蝶のように美しい少年たちを標本にする猟奇殺人事件を題材にした小説です。

作中の手記「人間標本」の一部を公式が公開してくれていたので貼ります。
「異常殺人者・榊博士」、、、凄い強烈な見出しですね。



今作では、ネット上の反応や考察合戦みたいなものも書かれていて、ネット社会をよく風刺していて、それが一番印象的、というか、考えさせられました。
noteの記事みたいなものもありましたよ。


我々は、所詮見えやすい形に加工されて見せたい部分だけ切り取った情報を享受することしか出来ません。
そのうえで、その情報を様々、自分好みに解釈して、批判する者も、肯定する者も、面白がる者も、持論の支えにする者もいます。
この記事もその一つでしょう。
また、人々はそれらの意見を更に批判、肯定、など様々解釈してゆきます。
誰もが自分の意見や解釈を正解だと信じて疑わず、様々な媒体や立場を取ってそれを押し付け合うのですが、結局はもとが切り取り歪めて加工された情報。どれほどの肩書や権威の上で行われた論理的な考察合戦であっても、はなっから間違った道かも知れません。
実際「人間標本」においてはそうでした。

謎が解き明かされるに連れ、人々の解釈とその内実をどんどん乖離させていく「人間標本」を読むうちに、そのようなネット社会、情報社会の現状を意識させられました。

この間友達とも話したのですが、「クオリア」という概念があるように、私達はどれだけ言葉を重ねても自身の感覚を完全に他者と共有することは出来ません。
どんな情報でも少なからず発信者に依存した歪みがかかります。
言語や論理のルールに則って、その歪みをできる限り小さく抑えたものを「事実」と呼び、それ以外のものはすべて「感想」です。
私はひろゆきじゃないですが、世の中の大抵のものは「それってあなたの感想ですよね?」って言えるような気がしてきました。


交通事故で半身麻痺になった被害者の気持ちを思うと胸が痛む。
運転手がどれだけ慰謝料を支払おうとその障害を一生抱えて生きていかなければならないのだから。

遺書も遺さず自殺した高校生、数週間後に学校ではいじめがあったということが発覚した。いじめを苦にして命を絶つなどあってはならない。

不倫が発覚したアーティストは結局離婚することになった。
たった数十万の賠償金で手切れとなった。これでは元妻は捨てられたも同然だ。

皆さんは、上の文章を読んでどう思ったでしょうか。

これらの文章で事実と呼べるのはせいぜい「交通事故」「自殺」「いじめ」「不倫」「離婚」「手切れ金」といった限られた要素、、、、、、、。

ではなく、事実は一つもありません。

すべて私の妄想だからです。
もちろん正しい意見もひとつとしてない。

私達は、ネット上に転がる膨大な情報から、なんとか根拠を見つけて、客観的事実を導き出しながら情報社会を生きます。
しかし、根拠の判断が主観的かも知れませんし、事実をどの様に解釈するかは人それぞれです。多くの人が指示するからと言ってその意見が正しいとは限らないです。
公的に「事実」と認定された出来事でさえ、嘘を含んでいるかも知れない。

だから今後私は、ネットリテラシーやらクリティカルリーディングより前に、「全部ウソかもよ?」という疑いを前提としてもって情報の消費に臨むことにします。
目で見えるものすら怪しい世の中なので。





と、いう教訓を「人間標本」という小説を読んで抱きました。
しかし、ここにある文章はすべて私の個人的な「感想」です。

「人間標本」における「事実」あるいは「真実」を知りたいと思うのなら、ぜひご自分で購入して読んでみてください。

風刺とか教訓とか抜きにして、小説としてとっても面白いです。
ていうかそこが一番大事です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?