見出し画像

今年の秋は梅雨のよう

毎日のルーティン、みたいなのを作るのが苦手で
ずっと避けてきたところというか、そんなものがあるといざという時に困る!とかルーティンがある私かっこいい!とか思っちゃうとかなんだかんだ理由をつけてやってこなかったんですけど。

つい先日、毎日洗濯をしてみようと思って習慣を変えてから、あれよあれよといい気が舞い込んで身体が軽くなりました。
ここ最近は、その洗濯を干しに行ったついでに窯を見て、庭の雑草を見て、ご飯を食べる、がルーティンです。
わ、なんかかっこいい。

そんなこんなで窯の話と草の話がしたくなったので久しぶりにnoteを更新しました。

窯の話から
作り始めて早1ヶ月半。
夫氏と何度衝突したでしょうか。
一緒に考えて一緒に作業したい私と
先読みしてあれこれ一人で考えてくれて行動してくれている夫氏。
自然素材でやりたいという割に労力も時間もかけたくない私と
労力も時間もかかることがわかっているから焦る夫氏。
丁寧に綺麗に美しく作りたい私と
(私から見て)すごい大雑把な夫氏。
まーこれが本当に相入れない。
1つのものを完成させるのには緩衝する第三者が必要と思うくらい本当に合わない。
出会ってから10年以上、基本的にはそうなんですけどね。
だから一緒に物を作ったりすることがこれまでほとんどなかった、私が不機嫌になるから(それでも夫氏は根気よく待ってくれるのでとっても感謝)
一緒に作業したいと思っていたのは、主に私の経験にも知識にも自信がなかったから。
基本的には夫氏の経験測を信用していたので、頼りきりっていたのだと思います。
初めに「1人で勝手にいろいろ決めないでよ」と言った時に
私はこの人のことを本当の意味で信用してないのだなと思ったのです、もちろん私自身のことも。
私の中にもちゃんと経験測からくるイメージがあって、伝える努力さえしてなかったんだなって。

それから基本的に夫氏がやってきた作業も自分でするようになって
自分のイメージを自分で形にするようになってから、夫氏が「さすが、綺麗にやるね」と言った時に自分を信じてよかったんだなと思いました。
夫氏よ、さすが、いざという時にかける言葉が完璧だね。

そんな風に窯作りに向き合ってきて自分が変わったなと思うのは、不快と感じる閾値が下がったことです。
締め切りがあるからというのもあるのだけど、大雨が降っていても窯のためなら動こうと思えるのです。
前の私なら雨に打たれてまでやるとか・・服も足も濡れるし・・いいい嫌!
とか言って何もしなかったんでしょうけど、夢中になっていると不思議と何も感じない。
作業が終わってシャワーを浴びた時に、わ、体冷えてたんだな・・と気づく。
雨に降られても動じない心を自分の中に感じた時に、あぁ、自然と生きているんだなって思えて何だか嬉しい気持ちになりました。
達成したい目標があって、その過程で自然から試練を与えられる
自分がそんな時に喜びを感じるなんて思っても見なかった、現代っ子だから。
でも、きっと先人達はそんなことを繰り返し繰り返しやってきているわけで。
そんな風にして生きてきた人たちを本当に心からかっこいいと思うわけで。
烏滸がましいにも程があるけど、そんな足るを知る時代に生きてきた人たちに少しでも近づけたのが嬉しいのかもしれません。

本業であるリハビリで、利用者のおばあちゃんに
自然のもので物を作るって、どうしてこんなに時間がかかるんだろうか
と言ったら
時間をかけて作るから、長く使えるいいものができらんだ
と教えてもらいました。
長く使うために丁寧に、自然に対する感謝の気持ちを込めるその心がかっこいいのです。
何でもスピーディーで、消耗する現代に忘れてはいけない大切な心。
私は地球に生まれただけの一生物であって、地球の空気と太陽の光を得ている植物と何ら変わりない存在なのだから。

そんな窯はようやく50%。
焼き床まで完成したのでこれからようやく窯部分に取り掛かります。
ここからが正念場だ〜がんばろう〜

長くなったので草の話は別の回で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?