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エッセイ〜「親友」

私の友達に
学校の勉強では
絶対に勝てない友達がいました。

その友達は
転校生で
小学校の登校のグループで一緒になり
友達になりました。
その友情は
中学終わりまで続きました。

なんと言っても
当時のゲーム機「ファミリーコンピュータ」を
徹夜でこなすほどの強者でした。

今度、リメイクされて発売が決まった
噂の「ドラゴンクエストIII」
その元である、当時の
ファミコンのゲームを
たった3日でクリアーするくらいでした。

それでも勉強はできる。
ピアノも少し弾ける。
家にはパソコンやキーボードの楽器がある。
正に天才と思える
私の一番の親友でした。
(と私は思っていました)

彼とは共通の本を読み
共通のゲームやテレビの番組などで
話を学校の帰り道に
毎日、1時間くらい話していました。



高校で「メンタル疾患」に罹患し
私の高校生活は地獄のようでした。

唯一の武器は
昔の昔の「渡来人」のような
私にカルチャーの下地を
教えてくれた友達との思い出だけでした。

その友達は
結局のところ
高校を卒業して
現役で東京大学に進みました。

病気でのたうち回っていた
私とは天と地の差です。

これが現実でした・・・。


私が熱心に本を読んだり
音楽を聴く、散歩する
などの活動の核となるものは
全て彼から受けた影響なのだと思います。

先に述べたように
彼とはいろんなことを
話しました。
小説を読んで感じたこと。
ゲームをやっても彼に絶対に勝てないこと。

そこには彼(友達)に対する
リスペクト(尊敬)がありました。
決して妬むという心理はなかったのです。


大人になって
本を読み
独学をしたり
素人の「冷や水」的なことを
してきました。

しかし、それは
誰かと認識を共通したいことです。

彼(友達)には
今になっても
到底、敵う気がしません。

このように
自分の病気になる前の回顧をしていると
虚しいことばかりが心に浮かびます。

しかし、私は当時の彼でも
しなかったことに挑戦しています。

それがこの「note」です。
自分で書くことです。

それは人と比べることではありません。
しかし、彼の前からドロップアウトしてしまったような
私には、彼に対するざんげのような
気持ちでnoteを書くような気もするのです。

今思うことは
もう一度彼と
許されるなら話してみたい。
ということです。

自分で大人になってから
読んだ本。そんなことを
また話し合いたい気持ちに
かられてしまいます。

・なんでも話し合えた友達。
・大人になって一人で始めた
読書やnote。

そんな複雑な思いが
重なり合って
今の私がいます。


言うなれば
私の「青年期」に多大な影響を受けた
正に「精神文化」な存在なのです。

彼(友達)は
私の「精神の柱」だったんだと
今更ながら気づく私でした。

今持って
彼にはただただ
「感謝」しかありません。

これからも
この「宙ぶらりんな気持ち」を
せめて書き綴れていけたらな〜と
願います。

彼は今でも
私の中のヒーローであり
私のラスボス(ラストのボス)的存在なのです。

このように
noteは書けば書くほどに
自分の内面を深く掘ってくれます。
それが自分でも気づかなかったこと
を思い出させてくれるのです。

このようなnoteを
最後まで読んでくださった方に
感謝いたします。

今日も、良い1日に
なりますように・・・。

おわり

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