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心の傷で忘れたくないこと

私が想定外のことで
悩んだり、不安になったりする時
ハッと気づくというか
思い出す言葉があります。
それは

「それは、私だけではない」
「みんな見た目は違えども同じ苦しみを味わっている」
と誰かに教えられた言葉です😢

科学的な根拠は提示できませんが、
私の人生経験上、この考えは
ほぼ、あたっていると思います。

だから、
他の人の苦しみや悲しみを
他人事のようにすり抜けてゆくことは
私にはできません。
(余計なことは慎みますが・・・)

朝の散歩

何故か?

人によっては
「自分は自分」という考えの人もいますね。
(すくなくともnoteの街では見かけませんが)
それはそれで正しい…

それはそれとして
誰でも同じような苦しみ
同じような悲しみは
ちゃんと平等に感じていると思います。

人間は公平ではありません。
格差もあるし
競争もあるから発展もしてゆきます。

でも、そんな不公平さの思いや悔しさを
感じることにとってはみんな同じ
平等ではないでしょうか?

自分のことは
自分が一番理解しやすいですね。
わかりやすく、言うなれば一番の理解者です。

誰だって
いつも楽しいことばかりは
ありませんし、
いつも辛いことばかりだったら
それはそれでちょっと問題です。

つまり、自分の心に
気づいてあげられるのは
一番近くにいるのが自分です。

それをどうにかして
癒してゆくのもこれもまた
自分です。

これは何も全てを
自分一人で解決しろというわけでは
ありません。
助け合いならそれも良し。
共感できて悲しみ苦しみが
和らげたらそれはそれで素晴らしいことです。

それでも
最終的に仕上げではありませんが、
自分を納得させられるのは
自分です。

花がきれい…。

だから初めに戻りますが
「それは、自分だけではない」と
思うのだと私は考えます。
または自分を自分でなぐさめます😢

人間は基本一人です。
(念の為、これは精神的な観点から見た場合とします)
誰もが自分のことで精一杯です。

それでも
助け合いや
募金などの支援
などなど(自分だけが大丈夫ではない)と
心のどこかでわかっているからこそ
そのような行為に出るのでは
ないでしょうか?

「人は生まれながらにして
コミュニケーションの技術を
持っているわけではありません。
他人とぶつかったり
嬉しいことを共感しながら
人間同士のコミュニケーション術を
学んでいくのです。」(要約)

これは「生きかた上手」(日野原重明著、ユーリーグ)に出てくる日野原先生の文章の
一節です。

だからこそ
苦しむこと
なんで思い通りにならないのか?
などの色んな感情や葛藤は
無駄にはならないのだと思います。

自分が辛いときに
他の人を観察して
それが学びになるのか?
その分水嶺は
「それは、自分だけではない」という
素直な気づきから生まれます。

対応策はそれからでも
遅くないと私は考えます。

未熟な私でも、ふと気づく時が
生活の中で幾時もあると思います。
そんなことも大切にしたいと
私は願っています。

どうか よい休日の午後を、、、

おわり

kokoronikewoさん再度素敵なイラストを
ありがとうございます。

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