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あきらめる力

こんばんは。kohです。

夜になるのも早くなってきて
なんだか、すごくすぐこの間だった夏が
懐かしくなってきます。

今回は「あきらめる」ことについてです。

私は人生経験値という意味では
他の人に劣るのが劣等感になっています。
今の会社に入ったのも30代ですし
若い頃はそんなに楽しい思い出はありません。

だから今こうやって
noteに出会えて、思いを綴って
他のnoterさんに読んでいただき
フォロワーさん、スキの数もある程度増えたことが
とて〜も貴重です。

これからもっと!と
力を入れるのが普通なのでしょうが
私は違います。
「もう諦めなさいよ」と自分に言いたい。
noteを諦めるのではなく、「もっともっと!」という
気持ちを「あきらめ」たいのです。

人間の欲には限りがありません。
だからいまだに
社会は発展しています。
それは良いことです。若い方には・・・。
まだ未来があるのですから、当たり前です。

noteで少し毎日更新が続けられると
この「もっと」の罠が待ち受けるような気がします。
だから「初心を忘れない」ことが
大切に求められるのです。

初めて記事をnoteに書いた時の気持ちを
覚えているでしょうか?
「まさかこのように続く」とは思わない人ほど
逆に「続いている人」のような気がするのです。

「足るを知る」という言葉があります。
私はまだリタイアする年齢ではありません。
しかし、「初心を思い出す」ことは
今の「もっと」を「あきらめ」
自分の心に「足るを知る」気持ちを灯すことと
感じています。

では、全ての人が「あきらめる」といいのか
という話ではありません。
ケースによっては「もっと」頑張る必要もある人もいる
のも確かです。
何が言いたいかというと
「あきらめる」ことはある意味で
「大人」に近づくことです。
限られた時間の中で
「できること」と「できないこと」を
見分ける力になることだからです。

「あきらめられない人は
最近笑ったことがない人」と言うことを
読んだことがあります。
「あきらめる」とは
踏ん切りをつける力。
普段の自分に戻る力。
自分を笑い飛ばす力。と言っても良いのでは
ないでしょうか?

最後に・・・
「あきらめる」とは
仏教用語で「明らかに見る」から来た言葉です。
今まで積み重ねたものにとらわれて
今を「明らかに見る」ことを
疎かにしたくない。
そんな心境です。
ネガティブでもなければポジティブでもない
ニュートラル、「中庸」な気分です。

もっと言いたいことはあるのですが
「あきらめて」ここで終わりにしたいと思います。

ここまで読んでくださり
本当にありがとうございます。

t0m0y0さん素敵なイラストありがとうございました。

また、次のnoteでお会いしましょう。

おわり

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