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祈り(PRAY)

昨晩は私にとって寝苦しい夜でした。

なにしろいろんな
嫌なこと
期待されること
自分の望み、などなど・・・
気持ちばかり膨らんで
とても眠りにつくことが
できませんでした。

そんな時、私は
少しだけ楽になれる方法を
行ってみました。

それは、祈ることです・・・。

人間、全てのことは上手く行く
はずはありません。
まさかという困難も
いつ現れるか分かりません・・・。
人には限界があります。

そこで祈るのです。

祈るということは
ただ「なんとかしてください」と
お願いすることではない。
と瀬戸内寂聴さんはいいます。

自分と向き合うことです。

自分の我を捨てさせてもらうことです。

人間どんなに尊いことを言っても
煩悩(欲望)が尽きることは
ありません。

祈るということは
許すということでもある。
と寂聴さんはいいます。

人間には自分には
どうしようもすることがない時が
あります。
そんな時も祈ります。

祈りは、「答え」を求めるものではない
と寂聴さんはいいます。

とことん、祈ることによって
ままならない現実にどう対処するか
自分の心と体を整えるのかもしれません。

ドイツの宗教改革者である
ルターは
聖書のドイツ語への翻訳など
とても忙しい人生を送ったそうです。
ルターはいいます。
「私には忙しすぎて時間がない。
故に祈る時間が必要なのだ」
当時のキリスト教への批判から
改革運動まで忙しかったルターは
それでも静かに祈る時間を大切にした
のでしょう。

私のいう「祈る」といは
特定の宗教ではありません。
言うなれば科学でいう
サムシンググレート。
もしかしたら
自分の中にいる
もう一人の自分かもしれません。

私は願います。
少しでも、祈る勇気をください。
祈ることにより、
少しでも心が穏やかに慣れますように・・・。
と。

今回の参考文献はこちらです。

最後に、
祈ることは
誰のためでもなく、自分の心の平安のためです。

どうか、皆さんにとって
穏やかな1日になりますように・・・。

では また
おわり

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