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【子育て】通知表だけがあなたの評価じゃない

私は子供たちの通知表はほとんど見なかった
保護者会で先生が通知表を広げながら学校での様子を含め説明してくれるから、それで十分じゃないかと思っていたから

自分か小さい頃、通知表の良し悪しで臨時でお小遣いをもらったり怒られたりした
授業参観の後、どうしてわかっているのに手を挙げないのかと怒られながら帰ったことを今でも覚えている
成績が悪かったら「お前に似たからだ」と父が母に暴言を吐く材料になった
だから『良い子』でいなくてはいけないとずっと思わされていた

でも、そんなのはおかしい、間違ってる

もちろん、先生から見てどんな様子なのかはしっかり聞く
子どもから毎日聞いているけれど、先生からも教えてもらうことで学校での様子がよりわかりやすく、家とは違う一面があることもわっかてくるから

「通知表は、先生から見たあなたたちの評価。でもそれだけであなたがどんな人かって決まるわけじゃないよ。母さんから見たら違うし、友達から見たらまた違うし、見る人によって見えるところが違うからね。だから参考にはするけど、それだけ」
そんなふうに話していた

人間はもっと多面的で複雑な生き物だろう
一方からの見方だけでわかる、そんな単純なものではない

小さい時期は特に、マイナスの感情よりもプラスの感情をたくさん貯金して土台にしたほうが成長と共に経験する辛さや悔しさに対してぶつかっていく強度が増すのではないかなぁと個人的に思っている

でも小学校も高学年になってくると
「ねえ、そんなに悪くないんだからちょっとは通知表見てよ」
と娘に言われた

そっか、家で通知表を見ながら学校の話をすることが抜けてたな、と反省

中学に入ってからも相変わらず通知表はさらっとしか見なかったけれど、成績表はしっかり確認した
怒るためではなく、テスト用紙と共に現状を把握するため家族会議と称して集まり、話し合った
わからないのか、ケアレスミスなのか、どこが苦手なのか
原因がわからないと対策が立てられないのは万事に通じることだろう
その対策が上手くいった時、結果が数字に表れ、表情に表れるという楽しさがあったな

今はもう通知表を見なくなってずいぶん経つけれど、懐かしい記憶の1ページとして残っている


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