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あの時行っていたら~人生は選択の連続~

記憶とは不思議なもので、昔むかしのなんてことない話を何のつながりもない時に思い出すことがある
それがいい思い出なら歓迎なんだけど、ほとんどは忘れていた嫌な記憶だったりする

その一つが、母が話したこんな話の、そのつながりで思い出した嫌な記憶

戦後生まれの母は高校卒業後、隣町の洋裁学校に通い始めた
男女平等なんて言葉もなかったであろう時代、地方の、田舎の、女子、と三拍子揃っていたらよほど親が理解あるとか、考え方があか抜けているとか、本人の意思が個性的で強固だとかでなければ、保守的で男尊女卑は当たり前な雰囲気に包まれ、そのことに違和感も反抗心もなく育っていく

料理と裁縫上手が女子のたしなみというか、嫁入り道具の一つだったであろう時代、少しおっとりしたタイプの母も、何の疑いもなく勧められるままに洋裁学校に通ったんだろう

私が高校の頃、その時代を不意に思い出したのか、呟くように言った
「帰りの電車を待っている時に、少し年上の男の人と顔見知りになったの 
それで、『明日もここにおいで』と言われたけど行かなかった・・・今、その人は会社の社長になっている。もしあの時行っていたらどうなっていたのかなぁ」

当時高校生だった私は少しムッとして、黙って聞き流した
もしそれでそのまま仲良くなったら、その人と結婚したかもしれない
そうしたら、私は生まれてこなかったじゃん
私が娘じゃなくてもよかったってこと?

母とは仲が良かったから、そんなことを思っていたわけじゃないだろう
じゃあ、なぜそんなことを言ったのか、今ならわかる

お見合い結婚で自分でもいいと思って嫁いだけれど、思い描いていたような結婚生活なんて最初っからなかったから
家政婦扱いをする義父母、愛想が良かったのは最初だけで飲み歩いて朝帰りを繰り返し仕事に支障をきたす夫、自分の学歴にすがり酔うと高圧的で延々と罵る夫、実は結婚したい人がいたけれど反対されてできなかった女と切れていなかった夫、それでも息子が正しいと主張する義父母

子どもに手をあげることはなかったけど、いつも不機嫌で威圧的だったから緊張して顔色を伺いながら過ごしていた
大嫌いだった
書いていてもなかなかのクズっぷりに改めて感心するほどの男と、世間体のため、働いた経験が少ししかなく経済的に自立していないため、子どものため、なかなか離婚に踏み切れずに疲れ果てていたからだろう

もしあの時こうしていたら・・・ということは人生で数えきれないほどあるし、どの選択が正解かなんて人それぞれの解釈や感情で変わる
だからこそ、広い視野と柔軟な思考、強い意志を持っていたいと思う
あ、もしかしてこの選択はちょっと・・・と思ったときに、一度立ち止まって考えて、その先を修正できるから

母が耐えて続けた生活は、彼女にとってだけでなく私と弟にも暗い影を落とす結果になった

写真の中で微笑む母より年上になった今
もしもタイムスリップできるなら、どこに戻ろうか
「明日、また・・・」と言われた場所に行くべきよ、と背中を押そうか
「だめ!その人と結婚したら地獄だよ」と説得しようか・・・
不気味がられて信じてもらえないか

それなら
「もう離婚しようよ。先のことは何とかなる。大学に行ったらバイトもできるし。初めから父親なんていないようなもんなんだから」
この最後の一押しをもっと早く言えるように、自分に会いに行こうか

小さい時からずっと一番近くで見ていて感じた違和感や怒りや悲しみは間違っていないし、我慢しなくていい
もっと堂々と強く言っても大丈夫、勇気を出して
迷惑をかけてしまう実家には、遅くなればなるほど迷惑がかかることになるとお母さんに教えて説得して

不意によみがえった記憶は、これからも私を後悔させる







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