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わたしのキャリア。誰かのようになりたいとか誰かのようになりたくないとも、思わなくていい。

「実はさ、ぼくは〇〇になりたかったことがあってさ」

急に、夫がカミングアウトしてきた。
本人も初めて口にしたと言うし、私ももちろん初めて聞いた。

そもそも、夫は、軸はありながら軽やかにキャリアチェンジしているほか、学生時代も様々な経験をしており、そもそもなんになりたかったん?とツッコミを入れたくなる人生を送っている。それなのに、まだ、なりたかったものがあったのか!

平凡なサラリーマン一筋の私は驚くばかり。

さはさりなん。

私にも、何かなりたかったものがあったのではないか?

「ママはさ、何になりたかった?」
鋭い息子からの質問に、わたしの口が心のままに勝手に動いて語っていた。

「ママはさ、ずっと普通の人になりたかった。だから、今夢が叶って幸せだよ。」

そうだったんだ!?
私の心と頭が分離してしまったかのように感じた。頭が追いついていかない。でも間違いなく本心だ。

「ぼくは、普通の人になんてなりたくないな」
息子は言った。

ふふふ、大丈夫。
息子は少し、変わっているところがある。それでいい。逆に、普通になりたいと思った時に、なかなかなれないことに悩むんじゃないかと思う。

息子にはむしろ、普通じゃないを発展させ突き抜けてほしいくらいだ。

夫は言った。
「パパは、本当になりたい職業には、結局就けなかったから、〇〇(息子の名前)は、なりたいものになるんだよ。ママは、なりたいものになれてよかったね。」

傍目から見ると夫の今の仕事は夫にフィットしていると思ったが、就きたい仕事に就けなかったと言い切ってしまうほどなのか?とまたも驚く。いろいろやってきて、追い求めて、ドアを開け続けて探究する過程が好きなんだろうなと思う。仕事観は人それぞれだ。

私はなんで普通になりたかったんだろう?
そもそも、普通ってなんだろう?
人間は誰でも、みんな違う個性がある。

自分が歩んできたキャリアは、自分で言うのもなんだけど、割とお気に入りだ。

医療系のメーカーを志望して、海外業務に携わって、品質という職種を知ってハマり、そこから外資系企業で品質の仕事のスキルを磨いてきた。そこから、扱う商材は化粧品にシフトしつつ、外資系企業ならではのクロスボーダーのプロジェクトマネジメントをするに至っている。

若かりし頃は医療系の商品を扱うことに思い入れがあったが、人の命と生活は医療以外のものにも支えられていると痛感してから仕事で扱う商材はなんでも良いと価値観が変わった。

実は、表面的には十分に普通のサラリーマンだけど、よくよく紐解くと、ずっと多数派じゃない「その他」「季節労働」「何でも屋」みたいな仕事をやってきた。そんな、ちょっぴり普通じゃないキャリアなところが、なんとも私らしくて好きだ。私みたいに組織ピラミッドの秩序の外に出ちゃっている感を自覚する友達や先輩方と「我々、企業内のスキマ産業だよね」と笑い合っている。

私が普通のサラリーマンになったのは、両親の影響が大きい。父は典型的なただのサラリーマンで母は典型的な専業主婦だった。両親のいいとこ取りで、私は、楽しく働き稼ぐ主婦になりたかった。そう、現代では、それはごく普通の人。かくして、私は普通になった。

つくづく、育った環境が子どもに与える影響は凄まじいと思う。

息子は普通になりたくないと言うのなら、私は普通じゃないことの素晴らしさを伝えたり、普通じゃなくなる方法を示していくべきなのだろうか。ならば、企業内スキマ産業の本領を発揮し、適宜に息子にアピールしようか?

でも、普通かどうかなんて本人が決めること。
例えば、女優さんは希少な職業だけどなるべくしてなった人からすればそちらが普通のこと。狭き門に憧れるのはよいけど、それ自体が目的になってなりたい自分が置き去りにされないようにしてほしいなと思う。

今の仕事を通じて、私はやりたいことがある。

新しい課題に知恵でチャレンジすること。
困難な目標にチームで立ち向かうこと。
変化の激しい環境に楽しく働ける仲間を増やすこと。
そんな無謀な冒険をおもしろおかしく、かつ普通の人の感覚で進んでいこうと思っている。

そうした一連の試みを通じて、私は、なりたい自分になろうと思う。

誰かのようになるのではなく、誰かのようになりたくない、というのではなく、ただ、なりたい自分になりたい。

知識があり、判断力があり、ユーモアがあり、温かみも鋭さもある、そんな人になりたい!と思うだけ自由なので思っている。

とは言え、ただ普通のサラリーマンを続けるだけでも、結構大変だ。

それから、魚のきらいな夫に留守番をお願いして、いつか、たまの贅沢だよと息子たちを回らないお鮨屋さんに連れて行くのが夢だ。そのためにも、キャリアは大切にしようと思う。

この先、自分の仕事がどうなっていくのか全く予想がつかない。同じかもしれないし、もっとやってみたいことが見つかるかもしれない。既に異動してみたいところもある。

普通のサラリーマンの範疇でも、ユニークな経験は積める。ただし、終始1人で体験することはない。だから安心だし、かつ、スリリングでもある。私はまだまだ、一見普通でよくよく見ると一風変わったキャリアの続きを歩いていきたいと思う。

いつか、もしも、息子が「普通じゃない」仕事の夢が破れたときに、「大丈夫!自分が自分でいられる仕事、自分にしかできない仕事は、いくらでもあるんだからね!!」と力強く言ってあげられるといいなと思う。

ふと気づくと、キャリアがいつからか自分だけのものじゃなくなっていることに驚いた。
それもまたたのし。

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