物語が消えた。

突然の感情の起伏に自分でも驚く。
何をしたらいいのかわからなくなった。

突然に自分のことが嫌になる。
その感情を急いで言葉に起こしているところだ。

怖い、怖い怖い、怖い。
自分でも歯止めがきかないくらいに怖い。
いや、恐ろしいと言うほうが正しいのだろうか。


物語を作ろうとしているのに「それは物語ではない」と別の自分が声をかけてくる。確かに、その物語は私の描きたい物語ではないのだ。
しかし、届ける相手や他の要素を考えるなら、そのような物語にせざるをえないのである。

ただ、書ける気がしない。筆が止まる。
確かに、物語の流れは書けるが、結末が綺麗ではない。
というより、物語が終わらないのだ。

もはや、物語を終わらせる必要などないのか?
読み手の心の中で動き続ける物語があるならそれでいいのか?

ほんとうの”ものがたり”とは何なんだ。


そんなもの、最初から存在しないのかもしれない。
嘘かまことか。
夢か現か。
見えるのか、見えないのか。


物語には書き手の思いが込められているという。
それは文章として書かれているが、その文章自体が思いではないはずだ。見えないところにこそ、本当の思いが隠されているのではないか。

「秘するが花」という言葉がある。
『風姿花伝』という古典に登場する一節だが、私はこの言葉が好きだ。

初めから見えていては観客は驚かない。
それを隠しているからこそ、形に現れたときに驚きがもたらされるのだと。

もちろんこれは私の解釈にすぎないから、本当の意味とは異なっているだろう。しかし、この言葉にも本当の意味があるはずなのだ。


どうしてだろう。
今の状況を言葉にしたくてたまらないのは。
誰かに届けるわけでもない。見てほしいわけでもない。

ただ、言葉がないと、私はこれ以上生きていける気がしないのだ。

突然死にたがりのような気持ちに襲われ、自分の体を痛めつけ、怠けた自分を憎み、焦燥にかられる。

書きたい物語はこれじゃない。
私に必要なのは、こんなものじゃない。
でも、これ以上考えたって、浮かばない。


誰かに助けを求めることだって、きっとできるだろう。
しかし、この感情をどうやってあなたに伝えればいいんだ?


空想の世界に溺れて、現実の世界を描けなくなった私は、もう生きることなどできない。それでも、言葉にし続けるしかない。


誰かが言った。
「あなたが言葉と現実を大切にしている」ということを。

違う。違うんだ。
私はそんなこと、できない。
現実から逃げるために、言葉を使って空想に逃げているだけだ。
偽善者なんだ、結局。


これだけ言葉にしたって、私の心は元に戻らない。
涙すらでない。怒りすら感じない。



もう、こころは戻ってこないかもしれない。

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