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孤独でさみしい男〜鬼舞辻無惨〜(前編)

数年前に大ブームとなった『鬼滅の刃』。
社会現象で終わらせるには惜しい傑作漫画である。私はあまり漫画を読まないので偉そうなことは言えないが、ここ数十年でトップレベルの傑作であると感じている。

その鬼滅の刃の、最大の悪役が鬼の始祖、鬼舞辻無惨だ。

鬼舞辻無惨は外見は美しいが恐ろしい男で、残酷で無慈悲である。気まぐれで人や鬼を殺し、良心の呵責を覚えない。

だが、しっかりと読み込むと、彼が恐ろしいラスボス、というだけではないことに気づく。彼には彼の事情がある。

彼が初登場するのは大正時代の浅草である。
当時の浅草は日本随一の繁華街である。
そこで彼は、主人公の炭治郎と遭遇し、炭治郎から逃げてしまう。その直後、ガラの悪い3人組に絡まれる。
無惨は謝り、穏便にすまそうとする。
しかし、3人組のうちの1人に
「青白い顔しやがってよぉ 今にも死にそうじゃねえか」
と言われ顔色を変える。その直後、怒った無惨は男2人を即死させ、残ったひとりに言う。
「私の顔色は悪く見えるか」
「私の顔は青白いか?長らく生きられないように見えるか?死にそうに見えるか?」
「違う違う違う違う 私は限りなく完璧に近い生物だ」
この一連のセリフが、実は無惨を表す全てである。
太字で書いた部分は、原作では傍点が打たれている。非常に大事な部分であるよ、とわかりやすく示されているのである。
(余談ですが、アニメでは関俊彦さんがこのシーンを見事に演じています。違う違う違う違う、と言うシーンが見事すぎて震えました)

無惨は平安時代に貴族の家に生まれた。その頃は鬼ではなく人間だった。
おそらく藤原家だろうと思う。
藤原家を表す藤の花が、鬼は苦手だ。無惨も藤の花が苦手だ。
鬼となりたくさんの人間を殺した無惨は一族の汚点であり、藤原家から排除されているのだ。

無惨は死産として産まれ、荼毘に付されようとしたその時に産声をあげた。
原作では
「もがいて もがいて 私は産声をあげた」
とある。
彼が誰も愛さず、愛されているという実感もないのは、この生まれ方と深く関わっている。お前はいらない存在だ、と焼かれようとしていた時に、彼は自分の意志でそれをはねのけた。少なくとも彼はそう考えている。
だから彼は、親の愛も人からの情も信じていない。彼は生まれた瞬間から孤独で、他者を必要としていなかった。
そしてそれでいいと思っていた。
そう、千年も、彼はそうやって生きてきた。

人間だった頃の無惨は、その生い立ちもあいまって病弱だった。二十歳まで生きられないだろうと言われており、常に死の影がつきまとっていた。
裕福ではあったが家族から隔離され、ひとりぼっちで床にいる日々だった。
彼は病状が悪化していくことに苛立ち、彼を助けようと一生懸命だった医師を殺してしまった。
彼はそこで決定的に道を誤った。
唯一、彼を心配し、彼に暖かく接していたであろう人間を排除してしまったのだ。そして彼は、その過ちに気付かない。良心の呵責も覚えない。
無惨には自分しかいないからである。

その医師は実は有能で、薬が効いていたことに無惨は後から気付く。
鬼となってしまっていたのである。人間に戻る薬の調合は殺した医師しか知らず、無惨は人間には戻れない。
人間を喰って闇の世界を生きるしかないのである。

まるでメタファーである。どんなメタファーであるのかは、それぞれ考えていただければよいかと思う。

無惨の台詞に
「私には何の天罰も下っていない。何百何千という人間を殺しても私は許されている。この千年神も仏も見たことがない」
というものがある。彼の孤独を表す大変印象深い台詞である。
これは鬼を滅する目的の、鬼殺隊を統べる一族、産屋敷家の当主との会話の一部である。
このシーンで、無惨と産屋敷家は同じ一族であることが明かされる。
産屋敷家の当主、産屋敷輝哉と無惨は双子のように瓜二つである。
輝哉は無惨を心底憎んでるが、無惨の気持ちが手に取るようにわかる。一方で無惨は、輝哉との対話に安堵感を覚え、懐かしさすら覚える。ホッとしてしまうのである。
「気色が悪い」
と、無惨は思う。愛を知らず、情を知らない男にふさわしい感想だと思う。
自己の力だけを信じ、愛も情も不要であると考えて生きてきた者が自分の中の柔らかい感情を感知した時、出てくる感想はやはり「気色が悪い」だろう。
作者の吾峠呼世晴先生は、おそらく感覚でこういったセリフが思いつくのだろう。理屈ではないものを感じる。吾峠先生はこの時、無惨であり、輝哉であるのだ。

前述の、私は許されている、という趣旨の台詞に輝哉はこう答える。
「君は誰にも許されていない。この千年間一度も」

そう、無惨には見えないだけなのだ。神も仏も。なぜ自分が憎まれるのかもわからない。良心の呵責を覚えない。許されていないという感情がピンとこない。愛や情を知らないからである。

無惨は大変さみしい男なのである。
ここまでひとりぼっちで孤独な存在を、漫画作品で見たことがない。

さて、物語の終盤で、無惨は鬼殺隊のメンバー全員が力をあわせることにより倒される。
ひとりぼっちで生きてきて、それをよしとしてきた男が、仲間の絆や愛、死んでいくものから生きているものへと繋がれた思いに倒されるのである。
肉体が滅びようとするなかで、無惨はそれに驚き、感動してしまう。
そして自分の想いも繋いでみたいと思うのである。

そこで関係してくるのが、主人公炭治郎なのである。(後編へ続く)




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