⑦凛空の真実 

♢虐待処女とデジタルタトゥー

  怪奇集めの掲示板に書き込みがあった。
 母が葬儀屋に勤めています。ハンドルネームは真実《まみ》です。
 葬儀屋では、時々見えるはずのない人が見えたという話や死者が生きていた時同様に存在しているのを目撃したという話はよくあるそうです。

 特に、小さな子供は存在していない誰にも見えていない人間が見える確率が高いようです。母自身、誰も鳴らしてもいないおりんがちりんと鳴った現場に居合わせたこともあるそうです。

 でも、本当に怖いのは、いるはずのない人間が見えることではないと思うのです。これは、私が体験した怖い話です。誰かに聞いてほしかったのでここに記しました。私がたとえ消えたとしても文字として残しておきたいという気持ちでこの掲示板に辿り着きました。この場所を与えてくれた開設主に感謝です。

♢♢♢
 線香の香りは人の心をある意味落ち着かせる。あの世への道筋を煙と香の香りが導いてくれるような気がする。 

 葬儀屋は、死と向き合う仕事だ。あの世に行く人に一番近い場所。母は葬儀屋の社員をしていた。葬式というのはいつあるかわからないため、不規則で急に仕事が入る。母は家にほとんどいなかった。働いても働いても暮らしは豊かにはならなかった。たまの休みに、母はにこやかにあの男のそばにいる。一体あの男のどこに魅力があるのだろうか。はなはだ疑問だ。中年の脂ぎった男は煙草の香りと酒の香りを漂わせる。顔がいいわけでも性格がいいわけでもない。お金もない。あいつのなにが母を虜にするのだろう。

 母が一生懸命働いているにも関わらず、あの男は何もしようとしない。ただ、毎日食べて寝る。外出と言えばパチンコに行くくらい。不健康極まりなく、ああいう大人になってはいけないといういいお手本だった。私はただただ苛立つ。あの男は私を人間として扱っていない。

 あの男は、私の父ではないし、母の正式な夫でもない。入籍もしていない。母とは交際をしているらしく、ある日突然私と母の家に転がり込んできた。どうせヒモになりたいのだろう。

 私は母のおかげでなんとか高校に入学はできたが、勉強もできず友達もできなかった。できないづくしの私にはお金が必要だった。高校に入学後はアルバイトを探していた。

 そんな時、中年男性に声をかけられた。いわゆるスカウトだ。話を聞いてみる。芸能界の入り口として、モデルにならないかと言われる。その辺の店でバイトする時給とは比べ物にならないくらいお金が入るらしい。レッスン料詐欺ではないか。確かめたところ、お金は要らないと言われた。ちゃんとした事務所なのかわからないが、見学だけでもとせがまれる。

「今日、バイトしていかない?」
 スカウト当日、事務所で声をかけてきたのはイケメンのカメラマンだった。その日、私はただのモデルのバイトだと思っていた。人生が激変した一日だった。私の裸の姿を撮影したいと言われたからだ。

 裸ときいて尻込みする。しかし、彼は全くいやらしい素振りはなく、芸術家らしい語り口だった。

「裸は芸術なんだ。美大でも裸体のデッサンをするだろ。あれは犯罪行為でもなんでもない。美しさを求めた結果が裸体なのさ。女性の曲線美というのはなんとも美しい。実は俺、美大を出て、この会社に勤めてるんだ」

 彼は天を仰ぎ、芸術を語る。でも、それは本当のことだとも納得できる意見だった。

「それはそうですが……私は全身にあざがあります。決して裸の姿は美しくないのです」

 このあざはあの男につけられた傷だった。つまり、日常的に身体的暴力を受けていたのは事実だった。しかし、誰にも話せずにいた。母親には一番話しづらく、それ以外の大人や同級生にも隠していた。夏でもなるべく長袖を着用し、足も出ない服装を選んでいた。決してお金持ちではない。片親家庭だったけれど、お金がないわけではなかった。あの男が使い込んだりすることで困窮した時期はあったが、母が話し合いでなんとか生活は維持していた。

 学校であざについて相談する気はなかった。結局は保護者に権限があり中途半端に大人に頼っても他人は立ち入る範囲が限られる。下手に親に説教でもされたら何倍になって返ってくるかわからない。そんなことを、経験のない教師や役所の職員はわからない。辛い気持ちなんて誰にもわからない。早く大人になりたい。自立したいと願う日々だった。

 あの男は私が中学に入ったくらいから同居していた。母がいないときに、しつけと称して暴力を振るった。その結果が全身の黒く赤い打撲のような跡。どう見ても不自然な跡。でも、誰も気づかない。気づかないふり。そんなものだ。中学校では部活に入ることもなく、親しい友達もいなかった。不登校になることは余計自分の首を絞めるので、なんとか学校には通っていた。

 母はあの男にとって、お金を稼ぐための道具だったので、暴力は振るわれてはいなかった。母のお金で生活ができている自覚があの男にはあったのだろう。母があの男を心の拠り所にしている事はわかっていた。母の心はとても弱い。それ故、仕方がないことも理解していた。

 童顔で美しい顔をした若いカメラマンが言う。こんなことを言われたのは初めてだった。

「君の傷も芸術だよ。他者にはない哀愁を漂わせている。しかも、作り物ではないから、傷の位置も配置も自然な色合いだ。悲しみと苦しみを表現した写真を撮りたい。もちろん、腕や肩だけでいいよ。表現も芸術も自由なんだ。全てが芸術になるんだよ。俺は人間の心の傷も体の傷も美しいと思っている」

 そう言われ、最初は少しだけ服を脱ぐ程度で全身の写真を撮ったわけではなかった。彼は優しく傷を撫で、話を聞いてくれた。心の傷も撫でてくれたと感じた瞬間だった。普段は無縁なイケメンがこっそり耳元で囁く。

「痛かったね。でも、もう大丈夫。さっきのスカウトマンも帰ったから、俺でよければ話を聞くよ。かわいいね。もっと萌えるポーズをとれる? 俺、直感でわかるんだ。君には芸能の世界でやっていける素質がある。写真をもっと撮らせて。芸術家の血が騒ぐよ」

 カシャカシャとカメラを撮る音が鳴り、フラッシュが光る。モデルの仕事をしてるなんて、まさか私は選ばれた人間なのだろうか。

 最初は制服の普通の写真だった。ポーズをとるだけだ。それから、少し上のボタンをはずして胸が見えそうな辺りまで胸元を開けた。

「大丈夫、見えてないよ。男って見えそうで見えないところに魅惑的なものを感じる生物なんだよ」

 ポーズをとってみてと言われ、モデルになった気分になる。
 彼の話術は巧みで、私の話を聞き少しずつ、私に大人っぽいポーズを撮らせる。そして、きゅっと抱きしめられた。彼からは甘い香水の香りがする。あの男とは違うにおいだった。いい匂いだ。きっといい匂いの人に悪い人はいない。急に真面目な顔をする。

「俺がおまえの初めてになっていい?」

「どういう意味ですか?」

「こういう意味」

 ぎゅっと抱きしめられた。

「痛かったね。かわいそうな体を優しくなでてもいいかな」

 友達も彼氏もいない私に初めて優しい声をかけてくれたのが目の前のイケメンカメラマン。

「あなたの名前は? 凛空っていうんだ。凛とした空って書くんだよ」

「かっこいい名前ですね」

「心のケアが必要な人間がたくさんいる。それは、カウンセラーではできない領域だと俺は思っているよ。それは、恋愛だ。脳にドーパミン、セロトニンが一気に出ると人は幸せホルモンに包まれる。つまり、幸せだと感じられるんだ。辛い過去を忘れられるんだよ」

 ひとめぼれだ。こんなに優しくてかっこいい。服装もおしゃれでかっこよくて一言で言って素敵だ。

「君のことが好きになった。もしよければ、撮影していることにして、ここは外部から人が入れないようにしておく。内緒で俺とキスしよう」

「でも、私何も経験ないし。キスしたことだってないんです」

「じゃあ、俺が初めてのキスの相手になる」

 強引にキスをされた。悪くない。初キスの相手がこんなに素敵な人だなんて。職業はカメラマンで芸能関係者。なんだかかっこいい。

 すると、胸のあたりに彼の手のひらが触れる。悪い気はしなかった。
 そのまま彼の指はもっと下の方に伸びた。くすぐったい。彼の指は細く長い。まるで楽器を奏でるかのように優しくリズミカルに触れてくる。変な感じがする。

「私のあざ、嫌じゃない?」

「かわいいよ」
 にこりと笑う顔は歳よりもずっと幼く見える。
 深いキスを何度もされるとそのままベッドに倒れ込む。
 これって恋人になれるのかな。きっと両思いなんだ。彼も一目惚れしてくれたんだよね。

「君はかなり感じやすい体質なのかな」
 気づくと吐息が溢れる。声が出ていた。誰が教えたわけでもないのに、体が勝手に反応する。人間は本能で生まれ持っているのだろう。
 そんなことをしているうちに、彼は私の全てを奪った。
 むしろ奪われたいと思った。

 正直初めてのそれは、気持ちのいい行為とは思えず、大人の感覚が全く理解できなかった。痛いほうが先だった。でも、日頃暴力を受けている私としては痛いの部類には入らない。初めて故出血もした。でも、覆いかぶさる彼の筋肉質で美しい芸術的な体に見とれていた。愛されているという実感がうれしかった。

 疲れ果てた私の体を見て、彼は一枚撮らせてという。

「穴って最高の芸術だと思うんだよ。まさに神が授けた生の場所だ。神聖な領域に俺をいざなってくれて嬉しいよ」

 彼が喜ぶのならば、喜んで差し出そう。彼が言う通り、子が生まれると言われる穴は神聖な領域だ。

 初めての体験は、いつかは奪われるものだ。好きな人と一つになれるなんて幸せの絶頂だ。撮影代としての謝礼はいただいたが、写真を撮っただけなのでたいした金額ではなかった。これからちゃんとバイトを探そう。芸能のモデルのお仕事もできたらいいな。前向きな気持ちで本当にそう思っていた。出会いは突然だ。彼氏ができたのは一番の収穫かもしれない。

 その後、いくら待っても芸能事務所からは連絡がなく、こちらから電話をしても電話番号が使われていないとアナウンスされていた。事務所も移転したのか、既に空きテナントとなっていた。まさか、倒産? 詐欺なんてことはないよね。でも、そんなこと相談できない。

 凛空に会いたい。でも、連絡先がわからない。
 そんな時に、あの男にアダルト動画に出ているのかと問い詰められた。
 アダルト動画を検索していて偶然見つけたらしい。

 『虐待処女とやってみた』
 なんともいえぬタイトルが目につく。
 あの男のスマホの映像には私の顔が写っており、最初は普通の制服でポーズをとった画像が出てきた。その後、少し胸をみせた感じでボタンを何個か取って撮影した画像、そして、だんだん過激な画像になっていった。これは、凛空が撮影した写真だ。

 あらすじは、家族に虐待されている処女を拾った男が彼女の初めてを奪う。処女ならではの不慣れな感じが初々しい。出血も見もの。SM行為に興味のある方も本物のあざを堪能してほしい。穴は聖域であり、芸術だ。

 これは動画の説明文だ。

 隠し撮りされた動画。被害届を出すべきだろうか。でも、契約してお金をもらったのは私だ。ただのモデルの仕事だと思ったので、受け取ったのは、わずかなお金だった。

 あの男は独占欲を丸出しにして怒りを露にする。実の親でもないくせに。

「俺が手塩にかけて育てたんだ。実の娘のようにな。でも、俺たちは実の親子じゃない。結婚だって法律上はできるんだ。お前の母親より、若い方がいいに決まってる。経済力は成人したあいつのほうが頼りになるが、体はお前の方がずっといい。でも、俺はロリコンじゃない。中学生なんか興味の対象じゃなかった。でも、もう高校には行って16歳になったんだ。つまり、俺の対象にようやくなったってわけだ」

 にやりと笑う。この男は幽霊や妖怪よりもずっと怖い存在だ。

 そう言うと、あの男は凛空がしたことと同じ行為を始めた。
 行為までの過程が強引で、無理矢理という点だけが違う。
 でも、結果的には同じだ。
 キスを強要して、胸を触り、覆いかぶさり、激しく私の大切な場所を触る。そして、穴を自分の物だと言わんばかりに欲を吐き出す。

 今思い返せば、顔がいいだけの凛空と油まみれの加齢臭のする中年の男の行為自体は同じだった。
 優しく感じたのは気のせいだった。
 心の隙間に入られただけだ。
 経験がない故に、どれが優しいのか、強引なのかはわからなかった。
 行為の最中、痛いと感じたが、殴られるほどの痛みに比べたらマシだった。

 相手がさわやかイケメンではなく、油まみれな中年男性。それが同じ行為でも不快に感じるだけだ。抵抗すれば、どんな暴力が振るわれるかはわからない。でも、性行為の時は優しく触れてくれる。暴力行為よりもずっと安心できた。あの男は、女性を気持ちよくすることが快感なタイプらしく、あんなに暴力を振るっていたことが嘘のように優しい。男が自らの快感に浸ってくれることのほうがずっと幸せだった。殴られるより性交渉は痛くはない。案外、この男はこの時ばかりは優しさを見せる。母が男を好きになる理由がわかるような気がした。

 それ以来、あの男はいつも母がいない時を見計らい、私に無理矢理行為をせがんでくるようになった。それ以来、私には直接的な体の暴力はなくなった。つまりあの男に殴られなくなった。あざのある女だと萎えるという理由らしい。私は性交渉と引き換えに暴力を受けなくてもよくなった。虐待、暴力の形が変わっただけなのかもしれない。でも、私にはこっちのほうがずっといい。

 それ以来、凛空だと思い、あの男との行為の時間はひたすら耐えた。めいいっぱい気持ちのいいふりをすると男は思いの外喜んだ。どんなに激しく求められても、口の中に舌が入ってこようと私の心の中に凛空がいれば私の精神は壊れない。相手の体を懸命に口で舐めることも心を無にすれば、たいしたことではなかった。一度、凛空の体も舐めたことがある。つまり、同じ人間だ。凛空の味だと思えばいい。人間の味は所詮は一緒だ。気持ちの問題で、気持ち悪くも感じるだけだ。一度しか会えなかった初恋の人は心の支えになった。

 芸能事務所に騙され、隠し撮りされていた私の裸体。性交渉の動画。デジタルタトゥーを入れられた私は学校でも噂になり、停学になった。ますます家にいる時間が増え、あの男は私を欲する。好きでもない男から抜け出すために私は色々と思案した。でも、経済力もなく高校すら卒業できない状態だと将来的に就職が難しいことは目に見えていた。

 母がその動画を見て悲しまなかったことが一番悲しかった。どこか冷め、諦めた目をしていた。きっと知っていたんだ。私が身体的暴力を受けてたことも、性暴力を受けていたことも。

 見て見ぬふりをする親。冷めた瞳。一番怖いのは自分の母親だった。
 私の怪奇現象は母親の行動だった。
 
 停学処分から少したって、高校を退学した。社会に居場所がない私の穴は、あの男の所有物となっていた。家を出てどこかで生活をしよう。働こう。でも、高卒すらかなわない私が働ける場所は限られる。頼れる人もいない。どこに逃げたらいいのだろう? 逃れられるはずがない。私の初めてはデジタルタトゥーに刻まれた。

 凛空、助けてよ。恋はどんなカウンセリングより効くんだよね。
 優しい童顔の笑顔を見せてよ。甘い香りをかがせてよ。
 どこにいるの? 凛空。虐待処女なんていう括りで私を見ていたの?
 あんなに優しく話を聞いて傷を撫でてくれた。あの人に会いたい。

♢♢♢

 ここで書き込みは終わっていた。今までの怪奇現象の中である意味一番怖い話だったように思える。主人公の生き様や境遇。周囲の対応。行き場のない状況。

「この真実っていう人の初恋が凛空なんて皮肉な話よね。しかも、あんたと同じ名前だね。まぁあっちの凛空は詐欺師の犯罪者で最低な男だと思うけどさ」

 凛空は私を見て笑う。

「凛空っていう男、俺みたいにイケメンだったのかな。どんな顔してたんだろうね」
 にこりとする。自分でイケメンと自覚しているあたり、ちょっとムカつく。

「どんな顔って……きっと童顔で目がまあるくて、鼻は高くて、小顔で顎はシャープ。笑顔がかわいいんだよ。髪の毛はサラサラでいい匂いを放っているんだよ。男性であんなにいい匂いの人っていないと思うよ」

「へぇ、なんで、そんなに細かいことを知ってるの? 見た目以外に香りまで知っているんだね」

「あれ? なんで知っているんだろう? 私、虐待処女の動画を見たっけ?」

「真奈は凛空を見たくて何度も動画を見てたよね。もう、彼がどこにいったのかもわからないんでしょ」

 この真実《まみ》っていう人……もしかして、私のこと?
 私の名前は真奈だけれど、ハンドルネームは自分の名前に近いものにした。 
 この書き込みをしたのは私だった?
 一瞬思考が停止した。
 私は何を考えていた?
 凛空が言った台詞はどういう意味?

 傷が疼く。心の傷も体の傷も思い出も痛い。

 真実《しんじつ》は一体何?
 考えているといざなが現れた。突然だったので驚く。

♢いざなと凛空の真実

 いざなが現れ、気持ちを元に戻す。何を思っていたんだろう。
 私は真奈で、凛空という大切な彼氏がいるのに、なぜ、あんな可哀そうな書き込み主に同情し、感情移入してしまったのだろう。きっと名前が似ていたからだ。冷静さを取り戻す。

 怪奇魂はだいぶ集まった。これをどの程度集めたら、呪いの病が治るのか、把握はしていない。いざなはそこまで詳細なことは教えてくれなかった。怪奇を集めて、本当に治るのかもわからない。暗黒の先の見えないトンネルの中にいるような気がした。

「いざなさん、怪奇魂はかなり集まりました。でも、もっと必要でしょうか。凛空の病はどの程度完治の可能性はありますか」

「ありがとうございます。ステキな怪奇魂がたくさんネックレスを通して私の所に集まっています。あなたは実に素晴らしい仕事をしてくれました。こんなに短期間にたくさんの情報を集めるなんて今までお願いした人間の中で、一番かもしれません」

「凛空、最近、少しばかり記憶を失っています。私はどうしたらいいのかわかりません」

 いざなは終始落ち着いており、目をつぶっていた。いざなの周辺、つまり全身にたくさんの色合いの怪奇魂が浮かぶ。まるで壊れない色のついたシャボン玉が散りばめられているかのようだ。

「あなたのおかげで彼女を助けることができそうです」

「彼女って?」

「ここだよ踏切の彼女ですよ。私にとって彼女は最も大切であり、助けたい存在なのです。私が殺したのですがね」

「どういうこと?」

「冷たくしたら、あっけなく飛び込み自殺をしたのです。でも、私は彼女を愛しているんです」

「でも、冷たくしたのでしょ」

「好きだから、とことん優しくする期間と、とことん冷たくする期間を置くんですよ。暴力と優しさの間で支配するんですよ。すると、たいていの女性は私なしでは生きられなくなる。彼女はお気に入りだったのに、自ら死んでしまった。その後、私も、何人もの女性と付き合っていたのがばれてしまい、一人のストーカー女に刺され、殺されたんです」

「聖人君子みたいな見た目としゃべり方なのに、結構ひどい人間だったんだね」

「人は見た目じゃありませんよ。死んだ人間としか基本はつながることができない。だから、踏切の女はどうしてもそばに置いておきたいのです。女がいない人生なんてつまらなすぎですよ。いじめる対象がいないなんて、からっぽな気持ちです。恐怖に怯える顔を見るのが一番の快楽なのに」

 平然とした顔でしれっと快楽を語るいざなは怖い。

「死んでも馬鹿は治らないというけれど、それに近い感じだよね。呆れてものも言えない。凛空とは全然違う。凛空のことは助けられるよね?」

「凛空……? はて、そんな人はいましたかね」

「蒼野凛空は、私の一番大切な彼氏です。幼馴染で、優しくて、カッコよくて、いつも面白いことを言って笑わせてくれるの。友達がいない私にもクラスで人気者の彼はいつも優しい。でも、呪いの病にかかってしまったから、あなたにすがったんじゃない!!」

「蒼野凛空なんて存在しませんよ。よーく思い出してみてください。あなたは幼少期から友達がいなかった。クラスに馴染めなかった。でも、そんなあなたに都合よくカッコいい人気者の彼氏ができるのでしょうか? ずいぶんと自分に都合のいい設定ですよね。そんな話は少女漫画の中くらいですよ。だんだん人は気づくのです。そんなに都合よく外見のいい男性が自分を好いてくれないと」

「でも、一緒に怪奇魂を集めたよ。怖がりなのに、いつも一緒に私たちは怪奇に立ち向かったんだから」

「凛空というのは、もしかして、あなたが創造した理想の男子像だったのかもしれませんね。スマホの連絡先に蒼野凛空なんてないはずですよ。写真にも写っていないはずです。あなたはずっと一人だったじゃないですか」

「何を言っているの?」

 慌てて、スマホの連絡先一覧を見る。蒼野は「あ」の段だから、すぐに出るはず。友達のいない私の連絡先一覧は家族や店の番号しか入っていない。でも、「あ」がつく名前の人物は連絡先にいない。写真を見ると、凛空の姿は写っていなかった。いつも私一人が写っている。自撮りしている姿。凛空を撮ったつもりが、風景しか写っていない。これって、もしかして、本当に凛空はいなかった?

「あなたが凛空を消してしまったんでしょ!!」
 強く問い詰める。

「まさか、そんなことはしません。ただ、真面目に怪奇魂を見つけてくれる人間を探し、あなたに辿り着いた、それだけです。ずっとあなたは一人で空想上の人物と一緒に活動していた、それだけです」

「あなたの目的は何?」

「ここだよ踏切にいた女性を呪縛から解くために怪奇魂が必要でした。でも、なかなか集められる人間はいない。そこで、集めなければいけないという設定が必要だった。それが、呪いの病です。もちろん、対人嫌悪症という病はでっちあげです」

「でも、医師に告げられたって」

「あなたは実際に医師に会っていないはずですよ」

 たしかに、医師に会ってはいない。つまり凛空の話を鵜呑みにしていたということだ。

「担任の先生は覚えていてくれたよ」

「二人に対して話していましたか? あなた一人に対して話していたのではないですか? ネットや電話の場合も同様です。ネットや通話越しに相手の顔は見えない。だから、会わずして怪奇を集めてもらったのです。あなたが一人だと極力ばれないように」

「じゃあ、私はずっと一人だったということ?」

「あなたは後にも先にもずっと一人でした。ただ、周囲の人からは、最近独り言が増えたと認識されてしまったようですがね」

 あぁ、そうか。納得した。ずっと友達がほしかったんだ。空想の物語では幼馴染みでかっこいい少年がいて、両思いになる。そんな漫画ばかり読んだり書いたりしていた。お互い言わずとも両思いで、浮気することもなくずっと一緒だという設定が定番だ。憧れていたんだ。でも、女の子の友達すらなかなかできずにいた。そんな私が勝手に想像していただけ? でも、実際に怪奇を集めた記憶はある。

 でも、今思えばみんななぜか凛空をスルーしていた。気のせいではなかったんだ。そして、体調が悪いという理由で来ないときもあったので、結果的に一人で話を聞きに行った時もあった。小学校の村山先生も、凛空とは一言も会話していない。会話していたのは――今思えば私だけだった。

「でも、実際に私は色々な人と接触して怪奇を集めた。それは事実だよ。それに、あなたも幻なの? いざな」

「いいえ、私は幻ではありません。空想力の強いあなたを選ばせていただき、利用させていただきました。ここだよ踏切の彼女は私の大切な人なのです。でも、あの世にもこの世にも来ることができない状態で助けを呼んでいます。だから、私の所に呼んでずっと一緒にあの駅で過ごすつもりです。次の駅長が来れば、私たちは別の駅で一緒に暮らすでしょう。それには、怪奇魂の力が必要でした。でも、人間が集めたものしか効力がないとわかったのです。普通の人間で、集めてくれる人を色々選別した結果、時間と空想力のあるあなたを選ばせていただきました。あまり他人と接点がない女性を探していました。接点があると、私たちのことが色々と知られてしまうので。最後に、あなたからネックレスと私たちにまつわる記憶をいただきます。これが一番大きな怪奇魂となるでしょう。あなたはたくさんの経験をし、怪奇に触れましたから」

「じゃあ、大学教授っていうのは?」

「バケルの仕業かもしれませんね。既に腕輪自体ないのではないでしょうか?」

 気づくと身に着けていたはずの腕輪がない。

「バケルは存在するの? あなたの仲間?」

「そんなところですが、それをあなたが知る必要性は皆無です」

 いざなが私に向かい、手のひらを広げ何か光を放つ。それの勢いが激しくて、私は思わずしりもちをついた。その瞬間目の前にあった何者かは消失しており、今となっては確かめることができなくなっていた。

 一瞬真っ白い世界に閉じ込められたと思ったけれど、気づくと自分の部屋だった。私は、今まで何をしていたのか、記憶は全くなくなっていた。ただ、想像していた幼馴染と怪奇体験をするという自作の漫画を描こうと思っていたネタ帳だけが机の上に置かれていた。ホラーとラブコメが融合した漫画だ。

 でも、現実は退学になっており、人間に触れることが怖くなっていた。
 将来も怖い。本当に怖いのは道を外れてしまった人間かもしれない。自分はちゃんと学校に行くとか就職するとかそういう道からはずれている。しかし、もっと怖いのはそういう人間に対する人間の憐みとなかったことにされる目だ。どんどん学校での辛い出来事を思い出す。家族との辛い出来事を思い出す。虐待され、なんとか進学するも、中退せざるおえなくなったんだ。

 義理の父親の皮をかぶった母の交際相手の男は暴力を繰り返す。あざが日々どんどん増えていく。母親は見て見ぬふり。そして、外に助けを求めた。

 知らない大人からお金をたくさんもらえるバイトを紹介すると言われる。モデルと称して写真撮影され、隠し撮りされてアダルトビデオに出演させられたんだ。そして、それがネットの動画に拡散された。

 身体的暴力は受けなくなる代わりに、あの男に性暴力を受けるようになった。何度も何度も犯された記憶を思い出す。嫌な記憶もデジタルタトゥーも、もう消すことができない。だったら、私自身を消そう。潔く今日はそう思えた。

 ふらっと夕暮れの町へ出る。カラスがかぁかぁ鳴いている。そんな声すら心地よく感じていた。私を大切に思ってくれる人間はこの世界にいない。凛空は最初からいなかった。凛空の元となったカメラマンは行方知れずの詐欺師。もう、何もいらない。どれくらい歩いただろうか。以前にも来たことのある人気のない踏切の前に立っていた。

 カンカンカンカン――踏切の音が鳴り響く。たしか、ここだよって警告音が鳴り響く踏切で有名だった人気のない暗い踏切だ。でも、今日はなぜか普通の警告音に戻っている。修理したのだろうか。でも、何度修理しても直らない踏切で有名だった気がする。長年変な音がすることで有名でテレビでも取り上げられていたと聞いた。地元でも有名だったあの声――

「ここだよ、ここだよ、ここだよ、ここだよ」
 女性の悲鳴のような声は今日は聞こえない。
 なんだか安心した。

 足がたどたどしくなり、ふらつく。最近何も食べていなかったんだ。
 私って何のために生きている?
 親から暴力を受けるため? 好きでもない男に犯されるため?
 知らない人に自分の体をネット上で見られるため?
 
 私は何のために生まれた?
 幸せになるためならば、私は幸せではない。
 もう、こんな人生は終わりにしよう。

 死ぬ寸前に踏切のここだよと叫ぶ女性が浮かぶ。踏切での自死だろう。そして、いざなは彼女が創造した理想像に違いない。

 つまり、彼女は直接的に誰かに殺されたわけではなく、間接的に殺されたのだろう。この世の中で、人々の中で生きることが辛くなったということだ。

 凛空は幻想だった。カメラマンのほうは外見が同じ生身の凛空でも、中身は悪人だ。それを考えると誰も信じられない。本当に優しい人っているの? みんな自分のことばかりで精一杯の世の中。助け合いなんて上っ面。保身のために笑顔で取り繕う人間たち。お金のためにただ頭を下げてひたすら労働する。出来の悪い人間はすぐに蹴落とされ、秀でた人間も嫉妬の対象として蹴落とされる。

 だから私は創造したんだ。完璧で優しい男性を。実在の凛空はいい人ではなかった。私にこれ以上の救いはない。もう、何も考えられなくなっていた。まるで踏切にいざなわれるように、足が前に進んだ。たどたどしくも一歩一歩ゆらりゆらりと前のめりに歩く。
 
「さようなら……」
 誰に言うわけでもなく、踏切の警告音が次に鳴って電車が来た時、私の体は踏切の中にいた。カンカンカンカン――電車の音がやけに大きかった。しかし、その後の記憶はもうない。

♢♢♢

「ここだよ、ここだよ、ここだよ、ここだよ」
 通称ここだよ踏切。
 一度警告音が普通の音に戻った時期が一時期だけあったのだが、ある少女が踏切で飛び込み自殺を図ってから、また踏切からは若い女性がここだよと言う声が聞こえるようになったと地元では噂になった。

 そして、知らず駅という都市伝説の駅に迷い込んだ者は蒼野凛空という端正な顔立ちをした童顔の少しばかり頼りなく優しい駅長がいるという噂がオカルト界隈で話題になった。想像上の理想の人物と一緒になるためには、怪奇魂が必要らしい。そのために、今でもここだよ、と女性は毎日毎日電車が通るたびに誰かを呼んでいるらしい。あくまで都市伝説レベルの話だから、本当かどうかは確かめようがない。怪奇集めというネット掲示板の噂によると、蒼野凛空の名付け親はここだよ踏切にたたずむ女らしい。

 

 完


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