国民もアスリートもファースト

 一時はニュースなどでよく小耳に挟んだ「アスリートファースト」という言葉をパタリと聞かなくなりました。2015年に刊行された廣畑成志氏著の「コンセプトはアスリートファースト」には、「アスリートファースト」についてこのような記述があります。


難題を抱えながら準備が進められる「2020東京」です。それだけに、どのようなオリンピック・パラリンピックにしていけば、競技者はもとより、都民も、国民も、そして世界からも共感が得られるのか、安心して国と民族を超えた交流ができるのか、国民的な知恵と力を寄せ合ってより良い「2020東京」のビジョンを打ち出していく必要があります。
それを考えてく上で根幹になるコンセプトー核になる言葉や概念―が「アスリートファースト(選手が主人公)」ではないでしょうか。そして、そのコンセプトは競技者本位にだけとどまらず、必ず「国民が主人公」という信条と連想して一体となるものだというのが私の確信です。

廣畑成志 「コンセプトはアスリートファースト」より


 前述の通り、これは2015年に刊行されたものなので冒頭の「難題」は2020年3月ろから生じたコロナ禍による混乱を一切含みません。しかし、この頃には想定もしていなかったコロナ禍という「難題」によって、「アスリートファースト」という言葉は姿を消してしまいました。2021年6月のネット記事にはこのような記載があります。


代表選手のワクチン優先接種や、選手村への酒類持ち込み容認などが明らかになると、一部の国民による怒りの矛先が非のないアスリートに向くようになり、世論は政府や組織委員会に不信感や憤りを持っている。その人たちが選手を慮るようにアスリートファーストという言葉を使うのは逆効果。選手側から組織委員会の関係者へ安易にアスリートファーストと言わないでほしいという趣旨の訴えがあった。

 この記述からは、世間の「アスリートファースト」に対する嫌悪感は突発的なものであり、コロナ禍だからこそ生まれたものであるという印象を受けます。しかし、本当にそうでしょうか。この「アスリートファースト」をめぐる世間の反感は、スポーツ界と世論の間で長年溜まっていた膿がコロナ禍を契機に一気に吹き出してしまったのではないか、僕はそう考えています。


 そもそも、五輪がどうこうの前に、いわゆる「国民のスポーツ」である「生涯スポーツ」は政策単位では軽視されてきました。まず、日本のスポーツに割かれている公的財源は他の先進国と比較しても対GDP比では最低水準です。そんな少ない財源の約7割を国は国際競技力の向上に注ぎ込んでいます。そして学校体育に財源の2割を割き、1番恩恵を受ける人数が多いはずの生涯スポーツに割かれている財源は1割にも満たないのが現状です。財源が不足すると何が起こるでしょうか。1番深刻なのは、スポーツ施設の不足です。スポーツ施設の数は平成2年をピークに減少の一途を辿っています。増設される予定もありません。しかし、多額の建設費、維持費を要する国立競技場は新たに建設されます。これがこの国における「アスリートファースト」の形です。「アスリートを第一に優先する」のではなく「アスリートではない国民のスポーツを蔑ろにする」という意味での「アスリートファースト」が長年行われてきました。


 まだ蔑ろにされるのが「国民のスポーツ」ならば問題が表層化することはそこまでなかったかもしれません。しかし、五輪開催可否に揺れた2021年、感染収束の見通しが立たず五輪開催によって国民の安全が脅かさされることが危惧されるなかでも国民やアスリートに対して十分な対話や説明がなされることなく、五輪関係者は「開催以外は考えていない」という一貫した姿勢を示しました。これではアスリートファーストどころか政治ファーストです。これらの対応で日本のスポーツは「国民の生活」をも蔑ろにしているような態度を表してしまいました。そのことが、「アスリートファースト」への嫌悪感、そして五輪開催への反感につながったのではないかと考えます。


 今まで経験したことないほどの敵意を向けられながら開催された五輪のを通じて、「スポーツはアスリートのためだけのもの」という印象を国民に与えてしまいました。しかしこれは2020年から始まった五輪開催云々の問題に対する対応が招いたものというより、かねてからの国のスポーツに対する姿勢がパンデミックという事態によって明るみに出たに過ぎないのです。


 この国にとってのスポーツのあり方を示す「スポーツ基本法」の前文には、このような記述があります。


「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利であり、全ての国民がその自発性の下に、各々の関心、適性等に応じて、安全かつ公正な環境の下で日常的にスポーツに親しみ、スポーツを楽しみ、又はスポーツを支える活動に参画することのできる機会が確保されなければならない。」

スポーツ基本法 前文より


 今の日本で、「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営む」権利がどれだけの人に保障されているでしょうか。そもそも、「スポーツを通じた幸福で豊かな生活」とはどのようにして実現するのでしょうか。


 私は、「スポーツを通じた幸福で豊かな生活」のほとんどは「みる」スポーツではなく、「する」スポーツや「支える」スポーツから生まれるのではないかと考えている。もちろん「みる」スポーツ自体にも特有の価値があるが、「する」スポーツや「支える」スポーツに比べれば「豊かさ」への貢献度は限定的になるのではないか。なぜなら、「する」スポーツ、「支える」スポーツはそのほとんどがスポーツに対して能動的な取り組みであるのに対して、「みる」スポーツは受動的にならざるを得ないからである。スポーツを通じて自身の成長を感じたり人との関わりを深めたりすることが「スポーツを通じた幸福で豊かな生活」であり、それは継続的な「する」スポーツや「支える」スポーツによって生まれるものではないだろうか。


確かに、私たちは時にトップアスリートのパフォーマンスに勇気と感動をもらう。でも、それが生活を豊かにすると言えるとは思えない。例えば、私たちは昨年のサッカーW杯で日本代表の躍進に大きく感動した。しかし、そのことが1ヶ月後も生活にポジティブな影響をもたらしていた人はどれだけいるだろうか。ほとんどの人にとっては、ほんの数日のカンフル剤のような影響しか及ぼさないのでないか。「みる」スポーツが私たちの生活に及ぼす効果はもちろんあるにはあるが、限定的であると私は考えている。

もちろん、「みる」スポーツを否定するつもりは一切ありません。それどころか、「みる」スポーツをはじめとするスポーツ産業は日本はまだまだ発達途上であり、さらなる発展を目指すべきだと思います。しかし、ここで私が言いたいのは「スポーツを通じた幸福で豊かな生活を一人でも多くの国民に提供する」という視点に立った時、ほとんどの人が「みる」スポーツとしてしか携われないトップレベルのスポーツに財源の大部分を割くことはあまりにもナンセンスだということです。


 国は、より多くの人が質の高い「する」スポーツができるように環境を整備すべきです。オリンピックのメダル数を増やそうとするより、誰でも使えるスポーツ施設を増やそうとすることに財源を割くべきです。日本は成人のスポーツ実施率自体はそこまで低くないですが、体操、トレーニング、階段昇降、ジョギングなどの特別な施設を必要としない運動が実施種目の大半を占めます。テニスがしたい人にテニスができるテニスコートを使える、バスケがしたい人にはバスケができる体育館が使える、そのような環境づくりを国は目指すべきです。特別な施設を必要としないからといって、テニスがしたい人にジョギングを勧めるべきではありません。


 開催までの過程でここまで多くの反感を買った東京五輪でしたが、いざ開催されてしまえば連日アスリートの活躍が報じられ、五輪は成功だった、という世論が形成されつつありました。もし新型コロナウイルスが存在せず、当初の予定通りに東京五輪が開催されていたとしたら、日本のスポーツにおけるさまざまな問題は語られることもなかったと思います。しかし、コロナ禍を通じて曲がりなりにもスポーツとはどうあるべきか、誰のものなのか、について多くの人が向き合った、その過程こそが、東京2020のレガシーだと私は思います。だからこそ、私たちはこの経験を風化させず、「スポーツを通じた幸福で豊かな生活」をより多くの人々が送る社会に向けて歩みを進める必要があります。



参考文献

廣畑成志(2015) 森の泉社 「コンセプトはアスリートファースト」

石坂友司(2021) 人文書院 「コロナとオリンピック」

NEW ROAD 2021.6.18 「政府も組織委も避ける「アスリートファースト」NGワードとなった2つの理由」( https://www.new-road-media.com/article/article-1694/ )

文部科学省(2023) 「令和4年度スポーツ実施状況等に関する世論調査」の概要

https://www.mext.go.jp/sports/content/20230324-spt_kensport02-000028561_1.pdf

文部科学省 スポーツ関係データ集
(https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/shingi/001_index/bunkabukai/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2016/10/13/1374264_006_1.pdf)
(https://www.mext.go.jp/sports/content/20210421-spt_sseisaku01-000014339_8.pdf)

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