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ブギウギ  _54

出題範囲:第57話~第71話

キーワード:茨田りつ子が味わった戦争の悲惨 戦後の暮らしと希望 東京大空襲が鈴子に与えた恐怖 新型爆弾の恐怖 終戦後の鈴子とりつ子の活動が開始される

 このクロスワードパズルは、主に朝ドラファンの方々向けに作ったものです。朝ドラで放送されたいろいろなエピソードを設問の形で紹介しています。読者の皆さんは、問題のなかの * で伏せられた文字を補ってエピソードを完成させてください。また、エビソードの中に □□ 等の印があるものがありますが、これは伏字です。 □□ の文字を想像してみてください。

 パズルの設問の内容を知らないときには、グーグルなどで、検索してみてください。例えば問題が朝ドラが“ブギウギ”でエピソードが“第18話”の内容だったとすると、グーグル検索などで、“ブギウギ”“第18話”と検索するとその概要を知ることが出来ると思います。また、関連するサイトのリンクも参照してください。NHK+ では、1週間前までの番組を見ることが出来ます。

縦方向、横方向の設問は、朝ドラのエピソードをもとに作られています。* で伏せられた文字は、エピソードの内容から推理してみてください。

なお、このパズルの答えは、通常のクロスワードパズルと異なり、答えが必ずしも名詞だけでは、ありません。他の品詞が混入していたり、複合した名詞の一部や、方言なども含まれる場合があります。ご了承願います。

縦方向

1    戦争が終わって愛助や鈴子たちは食料の調達に苦心するものも、名も知れぬ草も取って来て食べました。愛助は「これなんの草?」と問いますが、小夜は「よもぎと、これは?摘んだときは美味しそうだったんやけど」と言い「今なら何を食べても、みんなご馳走だ」と **** に言いました。......小夜さん逞しいです。第67話

2    鈴子たちが *** に公演に行ったとき、五木のもとに□□と言う女性とその子供がやって来ました。その子供は五木のことをお父ちゃんと呼んでいました。そのナツは、「五木とは旅館の女中をしているときに知り合った」と言い、鈴子のファンだと言って、あっけらかんと手持ちの手帳に鈴子のサインをしてもらいました。...........□□は、伏字です。□□の中の文字を想像して、*** を推理してみてください。第59話

10    東京大空襲から半年が経過した8月に、鈴子に富山の高岡への慰問の依頼がきました。それは、「“銃後を守る **** や子供たちやお年寄り”のための公演をしてほしい」というものでしたが、空襲の恐怖におびえる鈴子はこの依頼を最初は断りました。第64話

3    戦争が終わり、鈴子たちは公演が重なり多忙な毎日を送っていました。一井は「また、来週も休みなしか」と呟きました。あまりに忙しいために、仕事の日程を調整してほしいという楽団 ** も現れました。これを聞いた山下は、「すぐに先方に言うて調整します」と答えました。第71話

5    愛助と鈴子がつき合っていることを知った母トミは、愛助を呼びつけ開口一番「 *** 事をしてもすぐにばれる」と言い、「あんたの本分は今は学業や 福来スズ子と会うんはもうやめなはれ!山下のマネージャーの話もなしや!」と畳み掛けました。それでも愛助が納得しないと、トミは愛助に「鈴子に会わせろ!」と迫りました。第60話

8    鈴子は、小夜と一緒に愛助のために御馳走を用意するために闇市で食材を買いに行きました。ついでに運試しに宝くじを買いました。鈴子と小夜は愛助に宝くじを見せました。早速3人で宝くじの賞金10万円の *** 道に話が咲きました。愛助は、チャップリンを日本に呼びたいと言い、小夜は飽きるまで鰻を食べたいと言いました。第68話

14    東京大空襲からおよそ半年が *** した8月に、鈴子のもとに富山の慰問の依頼がきました。しかし、鈴子の心の傷は治っておらず、山下に「どこにも行きたくない、愛助のそばにいたい」と言って、慰問を断りました。第64話

6    「ラッパと娘」は、戦時中には公演が禁止されていました。このため、鈴子はこの曲を長い間歌うことが出来ませんでした。しかし日帝劇場で茨田りつ子と福来スズ子の公演が決まりました。これは、 ***** 後の初めての公演でした。鈴子の最初の曲はやはり「ラッパと娘」に決まりましたが、前と同じように歌えるか心配していました。しかし、“歌える喜び”に気づいて、「うまく歌えるかどうかは脇に置いて、自分はスキに歌う」と心に決めました。第69話

12    空襲警報が鳴り響き鈴子たちは近くの防空壕に避難しました。幼子が恐怖で泣き出し、その鳴き声に苛立った男が「泣き止まないなら防空壕から出ていけ」と言いました。そんな殺気だった防空壕のなかで鈴子は「アイレ可愛や」を歌いました。その歌声のおかげで皆はなごみ、その後鈴子は一晩中歌を歌い続けました。 **** 、空襲警報が解除されて穴から出てきた鈴子たちは、朝日を浴びて背伸びをしました。皆は鈴子に感謝して家に帰っていきました。このことから鈴子は再び公演に行くことを決めました。そしてこの後、富山に公演に行きました。第64話   https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/12/27/gazo/20231216s00041000374000p.html

横方向

4    トミの許しが出て山下が鈴子の楽団のマネージャーとなりました。愛助はこの山下のことを親しみを込めて“じい”と呼んでいたと語りました。愛助は、「幼いころから体が弱かった僕を、“じい”が *** 館やら芝居に連れて行ってくれた」と話しました。早くに父親を亡くした愛助は、山下が父親代わりでした。第59話

2    五木は全国にオンナがいるようなタイプで、劇団員たちの間では、五木の素行の悪さが評判になっていました。そんな五木のところに ** という女性が訪ねてきました。五木はその女性にお金を渡していました。第59話

9    鈴子は富山の慰問先で広島に新型爆弾が投下されたことを新聞 ** で知りました。楽団員たちは、たった一発の爆弾で広島の町が焼け野原になったことを知りショックを受けました。第66話

7    愛助は咳き込んだ折に血を吐きました。結核が再発したのでした。その時から鈴子はすぐに愛助を病院に入院させて付きっ切りで看病していました。小夜も付き人としてこれにつき合っていました。そして小夜は、愛助の病室のドアを *** して、「鈴子さん、洗濯物だ」といって中に入ろうとしていました。部屋の中からは看病い疲れた鈴子が愛助の腕のなかで、いびきをかいて寝ていました。第61話

16    上海で羽鳥は、中国人作曲家の黎錦光が作曲した「夜来香」にブギのリズムを取り入れようとしていました。羽鳥は、「音楽が *** や場所に縛られるなんてバカげてる!音楽は自由だ このことを僕たちが証明しよう」と息巻きました。第65話

13    坂口の計らいにより愛助と鈴子は三鷹に愛の巣を構えることが出来ました。愛助は一日中鈴子の看病を受けていました。愛助は小夜に「鈴子さんをいつまでも、自分の看病だけをさせていいものか?」と聞きました。そんな愛助に鈴子は「気になるんだったら、自分で聞けばいいだろう」と言いましたが、愛助は「鈴子が本当のことを言うわけないだろ *** なこと考えんと、体治せといわれるだけや」と言いました。第62話

5    戦争によって、東京や大阪の劇場は次々と閉鎖に追い込まれていましたが、鈴子は地方公演に活路を見出そうとしていました。しかし、地方公演でも出演料の一部が芋で支払われたり、警察の *** が厳しいことなど楽団の運営には困難が付きまとっていました。第58話

11    りつ子は鹿児島の海軍基地で特攻隊員の慰問に行きました。隊員たちのリクエストによってりつ子は「別れのブルース」を歌いました。これは上官の横井の望むものではありませんでしたが、りつ子の **** 力によって隊員たちは、「勇気づけられました」「もう、思い残すことはありません」「元気でゆきます」「覚悟はできました」と感謝の言葉が出るほどの感動を与えました。第66話

18    東京大空襲があり、愛助の安否が気になる鈴子は東京三鷹の愛助のもとに駆けつけました。鈴子は愛助の無事は確認できましたが、大阪にも大きな空襲があり、“はな湯”の人達やUSKのメンバーたちの安否も分かりませんでした。そんな中、鈴子は *** と恐怖から泣きじゃくってしまいました。第64話

17    戦争が日本の敗戦で終わったとき、羽鳥は敵地の上海にいました。羽鳥は、黎錦光に「日本は負けたんだ。僕はもう、このまま日本に帰れないかもしれない」と自らの *** を口にしました。事実この後、羽鳥は拳銃を突きつけられて、連行されました。第64話

15    鈴子は、富山で夫が戦死したという女中の静枝に会いました。静枝には幸という幼子がいました。幸は鈴子たちの食卓に遊びに来ていて、鈴子たちは幸に自分達の料理を食べさせていました。それを見た静枝は言葉荒く叱りました。鈴子はそんな静枝をなだめますが、静枝は、「贅沢させたら、 ** になりますから!贅沢は敵です」と言って、幸を連れて部屋から下がりました。第65話

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