見出し画像

【小説】嬲(なぶ)る 29 他人事だって、明日は我が身

     第六章
一 家庭内殺傷事件、勃発
 人生を閉じると決めたとき、最後に連絡をするのは誰か。普通に考えれば、一番大事に思う奴だろうな、やっぱ。
 衿子の場合は、立浪だった。冴子を3倍の給料で引き抜こうとして、フラれた男だ。爪マニキュア男でなかったのがせめてもの救い。それにしても衿子の周りにはろくな奴がおらん。人生の最期を託したのが立浪だったとは、あまりにも哀れだよな。

 約束手形の無断発行がわかったとき、袖子は内容証明郵便を配達証明付きで取引先に出したんだ。
 身内にそこまでするか!?
 元々評判のわるかった袖子は、さらに評価を下げた。
 血も涙もない女。

 しかし、しょうがないよな。衿子の周りにいる連中は、親子の温情を当てにして持ち上げたわけだ。
 衿子にしても、親父の会社だから報連相もなしに、ナイショにしても思い通りにやってきたわけだ。他人の会社に勤めていたら、公私混同はしていなかったと思うぜ。
 
 同級生だから肩を持つわけじゃないんだが、袖子にしてみれば、衿子の取り巻きたちへの通告の意味があったんだと思うんだよな。
 藤枝クリーニングは、公私混同する会社じゃありません! ってな。
 その見せしめとして、衿子は使われた。

 もちろん、衿子は逆上したさ。
 台所から包丁を持ち出して、親父を斬りつけちまった。

     ***  
 ケータイがけたたましく震えた。袖子は、パジャマに着替える手を止めた。
「警察の者です。お父さんが刺されました」
「……」
「出血はありますが、ケガ自体は大したことありません」
 
 袖子は、やっと事態が飲み込めた。
「父は元気なんですか」
 ケータイから父の声が聞こえた。
「俺は元気じゃ。ちょっと血が出ただけ。心配ない。それより、お姉ちゃんが」
 ケータイの声は再び、警察官に替わった。

「お父さんは事件化する気持ちはないと言っています。お譲さんはどうしますか」
「私も同じ気持ちです。姉はそそっかしいです。ちょっと手が滑っただけだと思います」
 袖子は、家庭内のことに他人が入って来てほしくなかった。例え警察であっても、だ。

「それで、姉は今どうしているんですか」
「……睡眠薬を飲んだという連絡がありました。全力で捜索していますが、今のところはまだ」

衿子は、立浪の留守電にメッセージを残した。「お父さんを殺してしまった。もう生きていられないから、薬を飲みました」
 メッセージを聞いた立浪が110番し、警察が親父の家にやってきたというわけだ。
       ***

 藤枝家の得意技、勘違い。衿子は、親父が死んだと思い込んだんだろうな。
 この時点で、親父はまだ70歳前だろ。若いとはいえ、女の力でそう簡単に命を奪えるとは思えんがな。

 夜明け近くなってかかった親父から電話は、衿子が発見された報せだった。海辺に止めた車の中で、意識不明になっていた。
 そのまま救急車で運ばれ、胃洗浄。一週間後、一命をとりとめた報せがあった。
 人騒がせな家族だぜ、まったく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?