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【小説】嬲(なぶ)る 28 家族が家族でなくなるとき

 七 お姉ちゃんが壊れちゃった
 想像を交えて説明するな。気になるだろう、他人の離婚って。のぞき見根性って、誰の心にもあるもんだからな。
 えっ、想像じゃしょうがないって? お前らだって、想像にすぎないことをさも事実かのように噂してるじゃん。

 世の中、そんなもんさ。まぁいいから、黙って聞けや。事実も少しは交えているわけで、そう的外れでもないはずだぜ。

 藤枝クリーニングの資金繰りが厳しくなり、やがて亭主も察するところになる。
 亭主は、保証人から外してくれと言い出したんだ。しかたなく、保証人は親父1名にした。

 亭主の気もちもわからなくはない。衿子の夜遊びが始まったころであり、衣装が派手になり、指輪やイヤリングなどの装飾品も急に増えだしたんだもんな。
 そこへもってきて、会社の資金繰りが厳しくなったんだからな。自己防衛したくなったっておかしくはないがな。厳しいとはいえ、一応、回ってはいたんだがな。 

 世間的には、まだ順調に見えていたころだから、銀行も納得した。それでも信用度が下がったことは間違いないだろうな。長年、藤枝クリーニングの銀行内ランクは最上だったんだが。

 衿子が保証人に入っていなかった理由は、簡単さ。無収入だったからだ。
 実質的に藤枝クリーニングの金を動かしていたのは、間違いなく衿子だ。衿子の許可なく、親父や亭主といえども1円の金も自由にはならなかったはずだ。

 衿子は取締役にもなっていなかったんだ。法的には、平従業員でも、パートやアルバイトでもない。ただのユーレイ、せいぜいボランティアでしかない。
 ボランティア従業員が、資金繰りをはじめ経営のほとんどを動かしていたというわけだ。

 そこが藤枝一族の牧歌的なところであり、杜撰さであり、他者依存症であり、勘違いDNAのなせる業でもある。
 ほんと、ぼーく、ぼーく、笑っちゃいます♪ ってんだ。

      ***
 亭主が保証人から外れてから、衿子の深夜帰宅と外泊は増えていった。そして亭主は、自宅の担保を衿子に黙って外した。

 冷たい関係は、熱い紛争に変った。
「俺の給料と退職金で建てた家だ」
「頭金もローンも半分は藤枝の家が出してるのよ」
 口に出かかった言葉を呑み込んだ。代わりに衿子は亭主の家を出た。
 あとから呼び寄せた子どもたちとともに、実家に移り住んだ。

 実家でも衿子の深夜帰宅と外泊は続いていた。自室には鍵を取り付け、子どもたちさえも入れなかった。
「入ろうとしたら、機嫌がわるくなる」
 父親も母親も子どもたちも衿子を気遣い、恐れ近づこうともしない。

 袖子が帰省した日も、昼過ぎまで起きてこなかった。袖子は、父親が止めるのを振り切って鍵のかかったドアを叩いた。
「開けなさい! 5秒待っても開けなかったら、火をつけるよ」
 昔から衿子は、なぜか袖子には逆らわない。
 
 ドアが開いて、驚嘆した。
 閉め切ったカーテン、湿り切った空気、脱ぎ散らかした衣服。パジャマ姿の衿子の目は焦点が定まっていない。
 部屋じゅうを見回した袖子に気づいた衿子は、力なく薬袋を隠した。

 追及の視線を向ける袖子。
「睡眠薬。眠れないのよ」
「眠れなかったら眠らなくていい。そんもの飲んでまで眠らないといけない義理はどこにない。一年も起きていたら、嫌でも寝てしまう!」
 袖子は衿子から睡眠薬の薬袋を取り上げ、ゴミ箱に捨てた。

 約束手形の件で、父親と衿子が揉めたのは、袖子が東京に戻ってまもなくのことだった。
      ***
 袖子、スゲェ。一年も起きてりゃ、立ったままでも眠れる自信あるよ。
 いまさらながら、おいらの嫁でなくてヨカッタ。この一言に尽きる

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