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【短編小説】慰留嘆願書(仮案) 辞めないで!

《あらすじ》
とある星の、とある国の、生活苦のライター。彼のもとにやってきた依頼は、辞任を示唆する政治団体の代表に向けて、慰留を求める文書を作成してほしいというものだった。
失言多発、組織内外からの批判多数する代表。生活苦のライターが作成した慰留嘆願書とは……。


「ディスカウントしたんだって」
「介護士やってる女性で、どう見てもお金なさそうなんだもん」
「金のない苦労は身に染みてわかるってわけだ。タダにしてやればよかったのに」
「そうはいかないよ、俺だって、家賃3カ月ためてるんだから」
「で、10万円から3万円をディスカウントして7万円で引き受けたってことだ」
「うん」

とある星の、とある国の、とある政治団体の代表。彼は口がわるく、失言を取り上げられては批判を浴びている。加入した党員の脱会も増えているとかいないとかウワサされている。
そのことに負担を感じたのか、最近になって、代表辞任を示唆する発言をしだした。

60代と思われる介護士の女性は、代表辞任をひどく悲しんでいた。悲しみの想いだけでも伝えたいのだと言う。

「代表のどこが、そんなに気に入ったんだろう」
「口のわるいところなんだってさ」
「人はいろいろだな」
「ダイバーシティの時代だもんな」
「で、何て書いたんだよ」

夫は公立高校の数学教師でした。21歳のとき、12歳年上の夫のもとに嫁ぎました。以来1度も、ケンカをしたことはありません。
元々無口な方で、穏やかな性格でした。別々の家庭で育った者同士ですので、様々な違いはありました。そんなときは、私が黙って、夫に合わせていたのです。

近所の方々は、我が家を理想の家族だと言ってくれました。すぐ近くには、夫婦ゲンカの絶えない家がありました。言い合う声は、外にも聞こえ、我が家と比べられていました。

夫は、ささやかなことで生徒と問題を起こし、教壇を去りました。まもなく家族の前からも姿を消しました。幾分かのものは残してくれましたので、2人の子どもは何とか育て上げることはできました。しかし、いまだに生死不明のままです。

私は、かねがね夫婦ゲンカの声が聞こえてくるたび、とても羨ましくてたまりませんでした。何でも言いたいことを言える。それができたら、どんなに気分がいいだろう。夫が消えることも、教団から去ることもなかったのではないかと思ったりもします。
何でも言える先生だったら、生徒に不満がたまることはなかったかもしれない。同僚の教師の方々も日ごろから言いたいことを言いあえていたら、窮地に立った夫をかばってくれていたかもしれない。
そんなことをよく考えます。

代表は人前でもよく、事務長と言い合っていました。そのたびに私は、とても羨ましく感じておりました。
政治家といえば失言もせず、無難なことしか言いません。万一、言いたいことを言っても、反論してくることはありません。だから私たちも言いたいことは言いません。どんなに言いたいことがあっても、言いません。
非難の多い代表、その一々に無邪気に反論する。こんな政治家がいてもいいと思いますし、もっと多くの政治家がそうであってほしいなと思ってもいます。
そのほうが私たちも、言いたいことが言えますから。

もちろん文句を言われると、心が傷つきます。自分がダメな人間のように思えてきたります。
だから、無理やり、辞任しないでくれとは言えません。そのような権利も、資格もありません。
ただ、私のような想いを抱いている人がいることだけ知っていただければ満足でございます。
人生、ただ一度くらい、自分の想いをお伝えさせていただくことがあっても許されるかなと思い、筆をとりました。

「代表さん、思い直してくれるかな」
「無理だろう。他人の考えを変えさせる筆力があれば、自分を変えてるよ」
「でもさ、この代表さん、前から前から、『辞める辞める』が口癖なんだろ。ヤメルヤメル詐欺とかってこともあるんじゃないのかな」
「そうなんだぁ。だとしたら俺にとっては幸いかもな。ディスカウントしてるとはいえ、金をもらっている以上、責任感じないでもない」
「心配するなって。偉い奴って、一々メールなんか読んでないと思うぜ」
「そっか。ちょっと気が楽になったよ」








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