見出し画像

命の砦を自分自身に


今からずいぶん前
私が専門学生の時に病院実習で
救命センターのドクターから指導
を受けた期間がありました。

実際に救命センターに入らせてもらい、
出来ることは最低限血圧を測ったり、
心電図のモニターをつけたり。

実際に患者さんに触れることで、
これから救急現場に出るための知識や
経験を積ませてもらう実習でした。


その病院は三次医療機関だったので、
搬送されてくる患者さんは重症患者が多く


ある日、
高所から転落した傷病者が運ばれてきまし
た。

心肺停止の状態で、救急隊が心臓マッサージ
をして、点滴のルートも気道も確保された 
状態で

すぐに救命センターのドクターや看護師、
救急隊も一緒になって1人の命を救う為に
気付いたら10名以上もの人が集まっての
処置が始まっていました。

考えられるであろう命を大きく脅かしてる
箇所を特定して、数名のドクターで軽く会話
をしたのち、一斉にそれぞれの専門の先生
によって、1人の患者さんを救う為の手術が
目の前で開始されました。


私は目の前で行われてる命を救う闘いを、
ただただ邪魔にならないようにと部屋の
端で呆然と見ているだけでした。

今でもあの時の光景は鮮明に思い出し
私自身の救命士としての志を大きく意識
する出来事でした。

ずっと意識のない患者さん
に向かって

「頑張れ。頑張れ。戻ってこい!」

と声をかけ続けており

「絶対に救う」

という先生達の姿が私には泣きそうな
くらい衝撃で、こんなスゴイ人達が私
たちの命を守る最後の砦にいるんだ、、、
と、

そして、
私はこんなスゴイ先生達のところまで
命を繋いでいく仕事をこれからしていく
んだ。と、、、

目の前の命を救う闘いで、心拍はもどり
ましたが、脳の損傷が激しく、ここから
先は家族と専門医の先生に委ねられる
ことに。


そのセンター長の先生は
心拍は再開させられるけど、

QOL(クオリティ・オブ・ライフ、
人生の質、生活の質、元の生活に戻す事)

を考えるとほんとうの意味で救ったこと
にはならない。と言われた事を今でも
ものすごく覚えてます。

そして、その先生からもう1つ。

「目の前の患者さんを自分の家族や大事
 な人だと思って向き合ってください。」

と。


そこから、1年後消防士(救急救命士)として
現場に出る時は常にこの言葉を心に持って、

この日の光景やこの日感じた自分の感情を
大事に、目の前の患者さんに自分の今持っ
てる知識と経験を毎回全力で出す。と決め
てスタートしました。


私が学生の頃に見た医療は三次医療機関 
で高度な設備や機器、そして高度な処置を
専門でできるドクターがいる病院だった
んですが、

救急隊として働き出した場所には、
二次医療機関しかなく、私の住んでいる
地域でもし、命を脅かす大きな病気や怪我
をした場合は、1時間以上かけて高度な医療
が受けられる三次医療機関まで搬送しない
といけなかったんです。

今はドクターヘリがあるので、
当時よりも早く高度な医療を受けれるよう
になっていると思いますが、

私が憧れた救命センターのドクターの姿を
期待して二次医療機関の役割を理解してい
なかった私は、こんなにも病院によって
先生によって救命処置も患者さんに対する
対応にも差があるのか、、、と、

そして、
医療はどんどん進歩していく中で、
救命士として知識を深める為に色々な
講習会や研修などに参加して、自分を
磨いて行っても、

患者さんを救う為に必要な新しい処置や
搬送方法も、国や県からの通達文書がない
と動けない組織にいたので、

どんどん救命士としての仕事に
フラストレーションを感じ始めて
いきました。


あの日、
目の前で繰り広げられた1人の命を救う
為に自分の持ってるものを迷いもなく
全力で出して闘ってる救命センターで
見た光景と、

その時純粋に感じた自分の使命が、

あの時もらった
「1人の患者さんを自分の家族と思って
向き合って下さい。」
と言われた言葉が、ぜんぶ崩れ落ちて
いくように、

現場に出るたびに、
私は目の前の患者さんに本当はもっと
最善の搬送方法や処置があるのに、
できない悔しさを抱えていき、

患者さんのQOL(生活の質、元の生活に戻す事)
を考えた時、

もし、この患者さんが自分の家族だったら
と考えると本当にこれで良いのか、、、
というどうしようもない葛藤の中にい
ました。

どんどん自分のやりたい事、
やるべきだと思ってる事の差が広がって
いき、自分の大事な思いを諦めていく
自分が嫌になり辛くなっていきました。

救急救命士としての仕事は大好きだった
ので組織の都合に合わせたり、できる
範囲で上手くやればいいという考えに
なればよかったけど、

それが、私には目の前の命に対して
妥協しているようで、、、

目の前の患者さんが自分の大事な人だったら?
といつも自分で自分に問うクセがついていた
ので、

真面目だったんでしょうね、、、

どんどん心が無(考えると辛くなるから、
考えないよう)になっていき始めたんですね。

これから良くしようにも、
あまりにも組織が大きすぎて、
あまりにも自分が小さすぎて、
時間が埋めてくれるのを待つことも
できずに、

これから先、私にとってどんな人生に
していきたいのかを考え始めた時に
初めて消防士を辞めるという思いが
湧き始めていきました。


消防士として働いてた頃の救命率は
とても低く、どんなに医療機関や
救急隊の技術や設備や質が上がった
としても、心肺停止状態の患者さん
を一番救えるのは、目の前にいる
方々次第なんです。

救急隊が到着するまで平均8分〜9分
かかります。

5分以上そのまま何もされないと、
救命率だけでなく、その後の生存率や
社会復帰も難しくなっていきます。

救急救命士としてやれることは、
現場から病院までの傷病者の苦痛の軽減
と救命処置を行い1分1秒でも早く病院に
搬送すること。

そしてもし、目の前に意識のない人が倒れ
ている時にAEDや心肺蘇生法で助ける方法
を伝えることです。

目の前で意識がなくなって倒れる人と
出会うことなんて滅多にないと思いますが、
倒れた時にどれだけ早く心臓マッサージや
AEDでの救命処置が行われたかで、その後
のQOLが大きく違ってくるので、
本当に大事なんですよね。


現場でどれだけ早い処置ができたか、
そしてどれだけ必要な救命処置を救急隊が
できたか、そして、病院でどれだけ適切な
治療、処置を受けれたか…

そこが全て揃った時に初めてQOLを含めて
1人の命が救えるんだと思います。

逆にどこか処置が遅れたり、
適切な治療が受けれなかった場合は救えない。
ということですよね。

命を救う為の終わりのない闘いだと思います。

私は今パーソナルトレーナーとして、
身体を整える仕事をしてます。

そこで強く感じるのは、
そもそも命を脅かす状態になる前に
自分の不調のサインがわかっていれば、
その終わりのない闘いの現場に寄りかから
ずに、1人1人が自分の命の砦になれるの
ではないかと、、、

予防医療には地域格差はないですよね。
どんな田舎に行ってもすぐにSNSをひらけ
ば身体を整える運動法は出てくるし、ジム
だって、ヨガだって整体だって探したらあり
ますよね。

自分の身体の良い状態を知っていれば、
不調のサインには敏感に気づけるように
なると思うんです。 

一番救急搬送が多いのは自宅からの搬送です。
そして、急病の患者さんが一番多いんです。

平均年齢もどんどん上がってきているから、
搬送される年齢も65歳以上が多くなって
ますが、30代〜50代の救急搬送も多いんです。

一番自分の体を知ってるのは自分自身なんです。

でも、
それを毎日の痛みだからと我慢すること
に慣れてしまうと、本当は命の危険な
サインだったりする事だってあります。

大人になるにつれて毎日同じ姿勢でいる
時間が長くなり、体を動かす習慣も意識
しないとどんどん減っていきます。

そうすると動かさないところは、
どんどん固まっていって血流は悪くなり、
病気や不調を引き起こしやすくなってしまい
ます。

命の砦を「自分自身」にできるよう、
そんな人を増やせるよう、

私は今目の前の人を自分の大事な人だと
思って、自分の持ってる知識や技術を毎回
全力でだしきる事に命を燃やしてます。

救急救命士としてフラストレーションを
溜めてしまってた頃の迷いはなく、

あの救命センターで感じた純粋に
「人を救いたい」と思う気持ちに素直に
向き合えてる自分がいる今を大事に
していきます。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?