日々のこと:信用ならない私と1冊の本。
読みたい本があった。
買おうか買わまいか迷い、ショッピングアプリで新品・中古の価格を調べ、また図書館のホームページを上でその所在有無を調べた。
さあ、どうしようか。
検索している間に、あれもこれもと、読みたい本が出てくる不思議。
たった1冊の本の所在、1分や2分で検索し終えられたはずだ。しかし、あれもこれもと際限なく、検索してしまったがゆえに、30分ほど経過していた。
たった1冊の本の価格、新品でも、約1500円ほどであったはずだ。しかし、あれもこれもと際限なく、購入したいと考えたゆえに、オンラインショッピングのカート内での合計金額は約6000円となっていた。
そこで、ふと思い出した。私はすでに、先月、同じことをしていた。
その時は「素敵だな」と思い、迷いに迷って購入した挙句、結局、まだ使わずにいる、購入したモノ。その購入に、少し後悔しているのだ。
購入したモノは、今は”使わなくても”、今後は/も”使える” 、そのようなモノである。まだ、購入して1か月目だし、それは、今後も、何年にも渡り、繰り返し、何度も利用可能だ。
でも、私にとって、今もこれから先も、”使うかどうか分からない”モノを、使わずに、大切に保管していくことは、どこか苦痛なのだ。
苦痛で苦痛で、手放して(捨てて/不用品買取店で売って)しまいたくなるのだ。
これまでも、幾度となく、同じことを繰り返してきた。
忘れては気づいて、気づいては忘れて、その繰り返しである。
忘れに忘れ、忘れ続けて…、そのような状況よりは、たとえ0.1%でも、マシなのかもしれないが。
結局、私は図書館で、その、読みたい本を借りることとした。
他にも、”今、読みたい!”と検索までした、本のタイトルと資料番号を紙にメモし、あとは図書館で借りるだけであった。
図書館へ出発する直前にも、”閉架図書に2冊在架”と、貸出可能であることを、再度確認した。閉架図書ということで、貸出カウンターにて図書館職員に貸出希望を伝えることも、想定済みであった。
図書館に着き、まずは、一般図書の本棚から、メモに従って本を手に取った。一度で、貸出の手続きをしたいし、何より、誰かに借りられてしまうことを避けたかった。
そして、貸出カウンターに向かった。
あおまる:「こんにちは。すみません。これらの書籍と、閉架図書から〇〇というタイトルの書籍をお借りしたいのですが。」
カウンターに手に持っていた本と、図書館カードを置く。
図書館職員A:「分かりました。今、調べてみますね。」
図書館職員Aがコンピュータを操作し、本の所在を調べる。
図書館職員A:「すみません。貸出希望の本のタイトルは〇〇で本当にあっていますでしょうか?サブタイトルもなく、〇〇でしょうか?」
あおまる:「はい。〇〇というタイトルで、確か、サブタイトルはなかったと思います。」
図書館職員A:「出版社は△△さんで、あっていますか?」
あおまる:「はい。△△さんで、あっています。」
図書館職員A:「大変申し訳ないのですが、確認しましたところ、閉架図書の〇〇は、既に貸出を終了していました。〇〇にサブタイトルがついたものや、〇〇がタイトルの一部になっているものはあるのですが、閉架図書でお探しの本は本当に〇〇というタイトルでしょうか?」
あおまる:「はい。〇〇だったと思います…。」
私は、一体何を見て、何と思い込んで、何をメモしてきたんだろう。
ただただ、ただただ、自分自身への信用が急降下していく。
一度、貸出カウンターから離れ、その”思い込み”を、ホームページ上で再確認してから、再度、職員の方へ問い合わせる、そのような考えは持ち合わせていなかった。
借りることが出来なかったら、出来なかったでしょうがない。
持ち合わせていたのは、諦めと、諦めてもいい(≒しょうがない)のだという考えであった。
図書館職員A:「そうですか。〇〇は一般図書にはあるのですが、現在、”回送中”となってまして…。」
あおまる:「あ、一般図書の方にはあるんですね。」
図書館職員A:「そうなんです。ただ、回送中なので、返却されているかどうか…。」
本当に、私、何を見ていたんだ…!と、自分自身に落胆する気持ちと、読みたい本は、この図書館で貸出をしている安堵感が広がる。
今日、その本を借りることが出来なければ、他の本を返却に来るときに、貸出が可能かどうか聞けばいい。または、中古で買ってもいい。
私にとって、必ずしも、絶対に、今日、その本を借りなければならない!という訳ではない。借りる予定は変わってもいいのだ。
「では、また後日借りにきます。」と言おうとしたときだった。
図書館職員B:「回送中?その本、返却日はいつになっていますか?」
図書館職員A:「◇月◇日です。」
図書館職員B:「昨日の日付ですね。返却されているかどうか、返却された本の集荷所にあるかどうか、今見てきます。少々、お待ちください。」
さっと来て、さっと立ち去っていった職員さんの後ろ姿をただ見つめるだけで、あっけに取られてしまっていた。
図書館職員A:「本当に〇〇という本であっていますよね?サブタイトル等はついていなかったんですよね?まぁ、今、見に行っていますので、少々お待ちください。」
あおまる:「はい。」
もう、なんだか、いっぱいいっぱいで。この流れに身をまかせ、その本であってもなくても、「その本です」と伝え、借りようと考えていた。
図書館職員B:「大変お待たせしました。この本ですか?」
それから1分も経たなかった。
私が貸出を希望している、まさに、その本が、目の前に提示された。
あおまる:「はい。そうです。その本です。すみません、大変ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。」
図書館職員B:「いえいえ。良かったです。」
無事にすべての本の貸出手続きを終え、二人の図書館職員さんに再度お礼を伝えてから、カウンターを離れた。
私は嬉しかった。ただただ、嬉しいと感じていた。
その本なのか違うのか、返却されているのかいないのか、よく分からない中で、いやな顔ひとつせず、”見に行く”という行動をしてくれたことが、私は、とても嬉しかった。
たとえ、それは仕事のひとつであったとしても、とても、とても嬉しかった。
その1冊の本は、新たな物事の捉え方・考え方を教えてくれる/た、今の私にとって、必要な本であった。
【後日譚】
そういえば、私は、いったい何を思い込んでいたのだろう。
あらためて、図書館のホームページで検索をした。どうやら、図書館職員Aさんから話があった通り、旧版にあたる『〇〇+サブタイトル』と、今回借りた新版の『〇〇』とを、勘違いしていたようだ。
図書館職員Aさん、ごめんなさい。
心の中で謝罪した。
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