シャニマス5th擁護という矛盾の塊

*完全にただの私怨を吐き出しているため、論理的ではなく、一読する価値はないことを念頭に置いてください。

円盤が発売され、X(旧twitter)でもシャニマス5thへの様々な感想を見ます。私は5th day1だけに参加したPでしたが、正直な話、未だに感情を処理できずにいます。恥ずかしながら、Xで流れる言説に「それは違うだろ!」と未だに腹を立て、こうして筆を進める程に強い感情を抱いています。

このnoteは、そうした私の感情を処理するため感情のままに書き進めているものです。主に、Xでよく見る言説に対して、私の感情、論理的ではない文章を書き留めていこうと思います。


day1演出と高山のオーコメ

誰にも伝わらないライブ演出

day1終了後の雰囲気は「困惑」にも近いものが流れ、様々な考察がされていました。しかし結果として、当時Xに流れていた考察は高山の意図をくみ取れておらず、後から高山が演出の意図を説明しました。
考察は自由であるという大前提はありますが、意図をくみ取れた人が居ない現状にも関わらず、何故「演出はよかった、理解できない人はシャニマスに向いていない」という言説がでるのでしょうか。誰も理解できなかった演出を、後出しじゃんけんで理解した風を装い、あたかも高尚で理解力があるのがシャニマスファンという流れには驚きを隠せません。

そもそもの話、day1とday2で全くといって良いほど演出上の繋がりがなく、なにがしたくてday1を描きたかったのでしょうか。day1の結果day2がある、そのような演出になっているのであれば理解できますが、ただday2を盛り上げるためにday1を曇らせ、テキトーなBADエンドを用意したようにしか見えません。
BADエンドはいいとして、BADエンドだけを見せられて喜ぶユーザーがどれくらいいるのでしょうか。「ギャルゲーを買ったのにtrueエンドやgoodエンドがDLCだった」並みに意味不明です。なぜ、day1単体として見ても未完結で、day2通しで見てもday1の意義がよく分からないような演出にしたのでしょうか。

後述しますが、アイドル達がステージを降りる選択をしたのがday1、アイドルを続ける選択がday2、このような意図があったとします。では果たしてこの意図が演出にどの程度盛り込まれていたのでしょうか?なんの為に、なぜアイドル達はアイドルを辞めるのでしょうか?どういう想いを抱えてあのステージに臨んだのでしょうか。

意図を読むにも、シナリオの全体、もしくはバックボーンが必要です。少なくても、シャニマス本編ではアイドル引退の要素を強く押し出したシナリオはないです(ないよね?あったら自分がアンポンタンです)。ですので、アイドルが辞めるバックボーンをライブ中に理解できるレベルで演出する必要があったのではないでしょうか。

高山のオーコメ

5th終了後、高山さんが急遽オーディオコメンタリー(オーコメ)付きアーカイブ配信を行い、演出の意図などを語っていました。高山のオーコメでは、彼女たちがアイドルとは別の道を選んだとしても、彼女たちの選択を応援したい、そのような話がありました。私自身、アイドル一人一人を大事に、紳士に向き合ってくれるシャニマスのその姿勢が大好きです。また、私としても、「最後」というものは悲しいだけでなく、彼女たちが歩んできた成長、軌跡を締めくくることができる存在だと捉えています。そのため、コンテンツとしての最後を疑似的に描写する、というものは貴重な体験だと考えています。

一方で、day1は曇った雰囲気が続き「彼女たちの選択」ではなく、「否応なしに終わりを迎えさせられた」ような演出だと感じました。高山の話と実際の演出で矛盾が生じており、「自ら選んだ最後」なのか「他人が下した最後」なのか、コンセプトがぶれているように感じられます。
このような演出であるにも関わらず、なぜXの人々は演出は凄い!理解できない人はシャニマスに向いていないと発言されるのでしょうか。正直な話、演出単体で見るととても褒められたものではない、そう感じます。

また、高山オーコメの販売形式もファンを舐めているとしか思えません。ライブの意図を説明するのになぜ、現地に参加した者がアーカイブをフルプライスで購入しないといけないのでしょうか。また、安くはないお金を払った者のみに意図を説明する、というのはかなり悪質だと捉えています。

本当にライブに対して説明や補足が必要だと考えたのであるならば、クローズの場ではなく誰でも閲覧できる場所で行う必要があるのではないでしょうか?ライブのアーカイブは期限内なら何回でも視聴できますがオーコメはリアルタイムでしか視聴できません。

このような逃げの姿勢かつ、お金を払い、意見をすべて肯定するような信者の前でのみ意図を説明するという行為には失望を禁じ得ません。やっていることは、詐欺師がオンラインサロンで信者から金を巻き上げトンチンカンな言説を垂れる構図とさして変わらないのではないでしょうか。

意図を説明するという行為

そして何よりも、エンターテインメントを作るものが、作品の意図を自ら説明するほど恥ずかしいことは無いのではないでしょうか。お笑い芸人がネタの面白い所を、自分から説明するところを見たことがありますか?アニメの監督・脚本家がキャラクターの心理背景をアニメ終了後に説明しているところを見ましたか?

ライブ演出が想定とは違う方向に考察され始めた、もしくは意図が全く伝わらなかったので意図を説明したのだと思いますが、これらは演出が拙かったことの証左になるのではないでしょうか。

それとも、「シャニマスはハイコンテクストだからそれが分からないのは向いていない」とでも言うのでしょうか。言っていることは「自分のお笑いで笑うには知性がいる」、これと同じです。曲の合間に多少のセリフを挟んだだけで演出家面できるのであれば中学生でもできます。

「day1を踏み台扱い」するな!という言説

時として、day1を非難する、もしくはday1はday2の舞台装置にしか過ぎない旨の意見に対して「演者や関わってきた人に対して失礼」という言動を見ます。しかし、day1を踏み台のようにしているのは運営側です。day2の体験を重視したために、day1をカタルシスをためるだけの装置にし、挙句プロデューサー達でさえ舞台装置にしています。それを踏まえても尚、day1を踏み台扱いするな、と言えるのは演出を理解しきれていない方なのでしょうか。シャニマス界隈に従って表現するならば「シャニマスに向いてない」ですね。皮肉な話です。

また、私からしたらday1の内容をそのままやると文句が出るからday1に特殊演出やダンサーを採用したようにしか見えません。イルミネやアルストなどのユニットに特殊演出が無かったのは、特に人気のユニットだけにリソースを割きたかったからでしょうか。とにかくday2をやりたくて、後からday1をこしらえたようなチグハグさが見えます。

ただ、ライブのタイトル的にはそれこそday1がまさしくやりたいライブであるように思えます。にも拘わらず実際にはday2に力が入れられ、アイドルが辞める選択を「自分で」選んだのか「他人が」下したのかがブレており、後から高山が補足を入れるこの構図からもライブ全体の演出の拙さ、チグハグさが分かります。

配信があるからday1だけ現地組に文句を言うなというday2現地組

この件に関しては「お前はなにを言っているんだ」状態です。私も、貴方も、そしてシャニマスの運営も現地ライブに重きを置いているから現地に行き、現地でライブを開催するのではないのですか?
そう言うのであれば、貴方がたがオンラインで視聴し、現地の席を少しでも多くの人に譲ってあげてください。

day2はオンラインで見ればシナリオは完結する、という話もありますが、わざわざ映画館に行って作品を見たのに、後日追加映像をお金を払って見ないとシナリオが完結しないようなものです。なぜわざわざ現地に行ったにもかかわらず未完結の話を見せられ、挙句day2が本命で我々が参加したのは外れクジだったような体験をしないといけないのですか。

そもそも、day2に参加しておきながら「day2は配信で見ればいいだろ文句言うな」というのは何故でしょうか。思いやりが無さすぎて心が泣きそうです。イルミネのシナリオがお勧めですよ、読みましょう。それとも皆さんシャニマスに向いていない方々なのでしょうか。

誰も演者の方々のパフォーマンスに異議は唱えていない

タイトルの通りです。恐らく殆どの方が演者の方々のパフォーマンスにかなり満足しています。それ故に演出に対する行き場のない感情が爆発しているんじゃないでしょうか。パフォーマンスが良かったという感情と演出でモヤモヤするという感情とで心が二つある~って感じですね。

day1だけ現地組の私が何に怒りを感じるか

感じている怒りは以下のものです。
・大金(4th円盤やアソプレなど)を払ったのにday1があたかも外れクジみたいな構成だった

外れクジ、という表現は他の方から怒りを買う言葉だと自覚しています。私自身も、アンティーカのバベグレで「アンティーカ!」って叫んだことなど、いい記憶もたくさんあります。ただ、正直なところ5thという祝いの場でお祭り騒ぎをし、未来に向けた告知など、とにかく楽しそうなday2をみると「外れクジ」を引いた感覚を覚えざるを得ません。
私も、5thという記念のライブでシャニマスのお祝いをするべくライブに臨みました。しかしday1だけだと祝いの場から外され、なぜか現地に行ったのにBADエンドで時が止まっているように感じてしまいます。

ライブに行くようなコア層から「否」の意見が出たという現実

賛否両論という字面の通り、5thでは沢山の意見で溢れました。健全なコンテンツであるためには、良い・悪いのどちらも出るような環境にし、閉じたコンテンツにならないことが重要です。そのため、賛否両論というのはある種健全なコンテンツである、あるいは注目されたライブだったと言えると思います。しかし、ライブに行く層というのはかなりコアな層であるため、批判的な意見は従来出にくいです。逆に、シャニアニやシャニソンは、ライト~ミドル層も多く見ているためクオリティに関する批判をyoutubeコメント欄やXで確認できます。
ライブ層は好意的な意見が多いにも関わらず、ここまで大きく賛否両論で分かれているということは、5thの現状を重く受け止める必要があるのではないでしょうか。

俺についてこい!のストロングスタイルでここまで続けてきたのでしょうが、そのストロングスタイルで一体どれだけのファンが残ってきたのでしょうか。「シャニマスらしい」というものを、運営がいい方向にブラッシュアップしてくれるように願っております。

最後に

これは完全に私見ですが、5thのせいでシャニマスP内で軋轢が生まれ、断裂が起きたように感じます。その断裂のきっかけが「5th」という、5年間を振り返り、お祝いする場だったことが深く悔やまれます。


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