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海を通じて自分を見る

自分の心は、透明のグラスのように艶っと透き通ってはいない。
むしろ、まばらに濁っていることが多い。

心は綺麗でありたい。
人に優しい自分でありたい。
いつも穏やかな気持ちでいたい。 
常に心地よいものを取り入れていたい。

だけど、
日によってはネガティヴな灰色がかった気持ちに包まれて、そういう自分でいられなかったり。
そんな時の自分は、ありたい自分の姿とはだいぶ乖離しているように感じる。
ネガティヴな感情に包まれていると、明るくて、あたたかくて、純粋で、きれいなものやひとが眩しく見えて、
どうしてそういられるの?
と少し羨ましくなったりも。
自分の心に濁りがかかっていることが、いつもそうやって苦しくなる。


今日は少しひとりになりたくて、ふらっとチャリを一漕ぎして、いつもの海に行った。
何かを求めるように。
何かちょっとでも癒され、自分の中で何かが変わると信じて。


目の前一面に広がる海は、
やっぱり偉大だった。
水平線の先まで、いや、それよりももっとどこまでも、果てしなく永遠に続く海。
青じゃなくて、いろんな色が淡く、濃く、じんわりと混ざり合う海。
底にある岩や石がよく見えるほど透き通ったひんやり冷たい海。
穏やかにさらさらと波を打ち寄せて漂う海。
たまにざぶーんと少し荒れ気味に波を打ち寄せる、そんな姿さえも美しい海。

ちょっと歩いた先にある、あんまり人が来ない岩の上でしばらくずっと、そんな海をぼんやり眺めていた。

海みたいになれたらなぁ

ふと、そう思った。
日々自分を取り巻くあらゆる感情。
そこに波があってもいい。
静かな色、元気な色、はちゃめちゃな色、どんよりした色、あたたかい色...
どんな色もゆったりと混じり合いながら、
共にゆらゆらと漂う感じ。
それであっても透き通っている感じ。

どんな自分も自分なんだ

海のようにまた
広く、大きく、寛大に。
そんな風にして、あらゆる自分を受け入れることができたら。



今日もまた、海がすきになった。

何かにふわっと背中を押されるように、
帰り道に向かって自転車を跨ぐ。






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