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自分を傍観してるような虚無感

わりといつも虚無虚無してる。

基本的に感情の振り幅は狭い。というよりも、感情に振り回されると疲れるから、振り幅を狭く設定している。動き回ったりする肉体的な労働より、人に気を遣ったりする感情的な労働の方がよほど疲れる。

感情的なエネルギーを消費しすぎないように、何事も期待しない。

深入りせず、一歩引いて物事を見る。その場にいるのに、外からその空間を眺めてるような感じ。

本番にピアノを演奏するときに、「舞台で演奏してる自分とは別に、もう一人の自分を客席に座らせて客観的に自分の演奏を監視しながら弾くと良い」って言ってた先生がいた。いい言葉だなーとは思いつつ、私の場合、本番にそんな分身の術を使えるほどの余裕なんてなかった。

でも、日常生活においてはちょっとそんな感じだなって気づいた。本質的には全然違うし、むしろ逆だけど。

もう一人の自分が外にいるというのでなく、一人の自分から幽体離脱してるような感じ。(起きてるのに幽体離脱ってある意味すごい。)
疲れてくると、自分がそこにいないような感覚に陥る。肉体はもちろんそこにあるんだけど、魂が抜けてるような…

そして、一人歩きした魂は、その空間をぼーっと眺め始める。とくに何を考えるわけでもなく、「私今ここにいる。いったい私はここで何してんだろう?」って。

無って感じ。過集中してゾーンに入ってる状態とはまた別の種類の「無」。

自分ではどうにもならない不快なことが起こったとしても、その場を状況としてしか捉えないから、精神的には強いと思う。傍観するのみ。そこに私の感情を介入させたところで、その状況が変わるわけではないし、貴重なエネルギーを消費するだけ。

私の気分を他人に左右されたり、私の行動の幅を他人によって制限されるのが嫌だから、私は一人で過ごすのを好んでるんだと思う。


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