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【エッセイ】蛙鳴雀噪 No.6

 かぎかっこを忘れたり、誤字や脱字もあり、家族を巻きこんでのおお騒動のひと月半。『競う子』はともかく、『永遠の待機中にリミットなし』は、結末を書きあぐねたまま月日が経っていたため、最終章まで書き直せるのか、とても不安でした。
 読みづらい書式のうえに、説明過多の会話も多く、けっして誉められたしろものではありませんが、noteに載せさせていただいて、もっともよかったことは、天国へ旅立ったルーシーともう一度、巡り会えたことです。
 飼い主だった方が亡くなられて、保健所へ連れていかれる寸前だったルーシーは、十一歳で、わが家にやってきました。
 戸外で飼われていたルーシーはやってきた最初の日、玄関に近い廊下から動こうとしませんでした。その日からルーシーは七年、私たち家族と暮らしてくれました。
 ルーシーは子犬だった頃、飼い主さんに気に入られず、一度は捨てられた経験がありました。そのとき、交通事故に遭い、右の後ろ足が不自由でした。獣医さんに診ていただきましたが、高齢なので手術はできないと言われました。
 それでも毎日、遠くまで散歩へ出かけました。走ることもできました。階段を上ることも。
 シャンプーは嫌がりましたが、寒い日にはペット用の赤いチェック柄の服を着せてやると、尻尾をふってご機嫌な表情をしました。家族の感情を読み取る、とても賢い子でした。やさしい子でした。 
 この小説に登場する黒猫のドラは、ゴミ捨て場にうずくまっていました。片目のまぶたが腫れあがり、閉じられていました。手のひらにのるほどの大きさなのに、拾いあげると、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、「ぼくはいい子だよ」とでも言うようにけんめいに鳴くのです。
 抗生剤の注射をなんどか打ってもらうと目が開きました。なぜか、おとなになっても他の猫より小さいままでした。
 その頃のわが家には、猫や犬が何匹もいて、収拾のつかない状態でした。いまいるチャワワは、七歳半でやってきました。ただひとり?生き残り、今年で十三歳になります。うちにくる前に、閉じこめられた期間があったせいか、空腹だったのでしょう。自分のウンチを食べる癖をやめさせるのに時間がかかりました。心臓が悪く、朝夕、薬を服用しなくてはなりませんが、唯我独尊、天下太平、ちゅーる中毒の日々を送っています。抹茶のあんこも大好きです。
 どの子も、いっぱい思い出をくれました。
 彼らの私たちへの無条件の信頼と愛がなければ、こんなにも笑顔になれる毎日を過ごせなかったと思います。

『競う子』のフジ猫は二十歳まで生きました。この子は、双子の娘が十歳のときに近所の方から譲っていただきました。わがままを絵に描いたような子でした。拾ったり、心ならずも引き取った子たちといっしょのトイレは使えないとばかりに、猫用トイレの近くでオシッコを撒き散らすので、床が変色しました。
 ミーちゃんを描いたのは、日本画を専攻していた娘です。
 もう一人は工芸学科でした。
 球体関節人形も絵も、彼女たちが学生だった頃の作品です。
 最後に、どうでもいいことなのですが、秦野亜利寿は、苛酷な境遇で育ちながらも破天荒な人生を生き切った母がモデルです。クォーターでも美人でもありませんでしたが、性格はそのままに近いです。
 モテ女を自称する母は、陽気にふるまいながら心に深い闇を抱えていました。いまの私なら少しは寄り添えたのにと思うと、残念でなりません。
 長い後書きを、お読みくださった方に、厚く御礼もうしあげます。ありがとうございます。


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