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【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.12

   コメントはむずかしい。

 ハートマークを押してくださった方の投稿欄は、かならず拝見しています。小説やエッセイや詩の場合は、短いコメントを書かせていただくよう心がけていますが、なにせ、パソコン弱者の私は、その方のどの文章を選んで書き込むべきなのか、迷います。
 どこを開くか迷った末に、自分では書き込めないので、口述筆記になるわけです。
 私がしゃべって、老眼鏡の夫が、キーボードを、そろそろと打つことになります。

 東北出身の夫は、「い」と「え」、「ひ」と「し」が聞き取りにくい。これは夫にかぎったクセですので、けっして、東北の方すべてに当てはまる発言ではないと、先にお断わりしておきます。
 しかし大昔、夫の友人が電話をくださったおり、「もすもす、はつろうくん、おられますか」とおっしゃたのです。夫のご両親にお目にかかったさいも、何を話していらっしやるのか、ほとんどわかりませんでした。

 話が横道にそれますが、ご維新の前、薩摩藩と会津藩が手を結んだ時期がありました。このとき、通訳の方がいたのでしょうか?  大河ドラマなどで見ると、支障なく会見はもたれたように描かれていますが、私には、疑問が残るのです。
 お互いに、自分の言いたい内容をしゃべって、合意できたと勘違いしたのではないかと……。
 敵対する長州藩と薩摩藩の仲をとりもった坂本竜馬は、土佐弁でした。
 その時代の武士は、以心伝心の術を体得していたとしか考えられません。

 夫が言うには、大学生のとき、東京で出会った青森県出身の同級生とは、会話が成立しにくかったようです。また、夫と親しくしていた鳥取県出身の方が、おっしゃるには、夫と同郷の福島県出身の学生同士が話しだすと、そばで聞いていても、何を話しているのか、まったく理解できなかったそうです。

 話は転々ところがりますが、書き込んだコメントを一応、読み返すのですが、2、3行の文章でも意志の疎通がスムーズでない私たち夫婦は双方、疲れ果てます。
 時々、自分たちでも、何を書いているのか、わからなくなるのです。
 先日も、「食事のさいは、いただきますとごちそうさまを言いましょう。外食であってもきちんと言う人を目にすると、善人だと思います」。
 要約するとそのような素敵なエッセイが書かれていました。
 ナルホドと思った私は、「わが家では夫だけが、いただきますとごちそうさまを言います。私は悪人です」と、夫に書いてもらったつもりでいました。
 ところが、私のコメントへのお返事をいただいたところ、「ご主人もいつか、言ってくれるようになります」とあったのです。
 OMGです。
 夫婦そろって認知症を患っているのかもしれないと思うと、対策を立てなくてはならないと思う一方で、もう間にあわんと諦めの境地にもなります。
 いかにすべきか??

 そもそも毒舌家の私は、若年のころから「イバラのお恵」と、ありがたいあだ名を、父親の異なる兄姉に付けてもらっていました。当然、親戚中の鼻つまみ者でした。数少ない友人にその話をすると、「ぴったりやん」と言われ、イバラの生えた心にさらに刺を生やすことに。

 対人関係がうまくいかないのも、原因の多くは、自分自身にあります。日本社会では通常、口にしてはならない事柄が多々あり、それらは互いの領域を侵さないための大人の知恵だとわかっているのですが……。
 天候のあいさつなど、そのよい例です。いさかいを避けるための社会通念を、阿吽の呼吸を、理解できない人間がいると、排除されます。親戚は私を排除できないので、うれしくないあだ名をつけたのだと思います。
 次第に、コメントすべきではないと思うようになりました。と言いつつ、きょうも書き込んでもらいました。もう病気としか言いようがありません。

 博識の「ゼノ哲学」さんや「広瀬クリストファー」さんにもしも、お目にかかれることがあれば、30分は質問し、1時間はしゃべりまくると思います。
 お2人の知識量の多さもさることながら、文面から察するに知性と理性があいまった穏やかな文章に関心を抱かずにいられません。どのようにすれば、マシュマロのような柔軟な境地に至れるのか、知りたいものです。
 
 この年齢になっても、本音でしかしゃべれない。
「イバラのお恵」がやめられない。

 気に入った文章や詩やエッセイに出会うと、いらぬことまでしゃべって夫に書いてもらいます。夫や娘は、だれも意見なんて求めていないと言います。失礼があってはならないと。
 私の中で、小説とは、かくあらねばならない、こうあってほしいという意識が強すぎるせいで、文体の統一と、構成とが気にかかってしまうのです。しかし、そうした方法論自体が、古くさいのかもしれません。
「note」で読ませていただく小説は、私にとって、はじめて読む形態でした。

 ペーパーレスの時代の小説とは、どのような形式の小説なのかと考えていましたが、答えは、ここにあるのかもしれません。

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