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【天才絵師】長沢芦雪に会いに。(前編)

大阪での仕事の帰り、中之島美術館まで足を伸ばす。気になっていた長沢芦雪展へ行ってきた。

伊藤若冲は有名どころ。
しかし恥ずかしながら、長沢芦雪に関しては不勉強であり無知であった。
だから、あえて勉強せずに現場にいって、ありのままを感じてみようと裸一貫の気持ちで観に行ってきた。

大阪中之島美術館は、大阪北区の中之島にある美術館。
こちらでは、近代美術・現代美術品を収集・展示している。

外観は、黒いキューブ状のような形。
この美術館の建築の核となるテーマは、「パッサージュ(passage)」というものだそう。「パッサージュ」とは、フランス語で「歩行者用の小径」というニュアンスの言葉。屋内の空間も広く、現代建築の建築物としても異彩を放っており外観・内観ともに面白い。

中に入ると、立体的空間が広がっており、1階から2階につながる階段がある。2階に着くと、次は展示会場につながる長い長いエスカレーターに乗り込む。ゆっくりと上へ上へと上がっていくこのエスカレーターは、なんだかアトラクションに乗り込んだかのようなワクワク感を抱かせる。

ふと気がついたことがある。
この建物に入ってから、視線はなぜかずっと上を向いている。
これは建築家である遠藤克彦さんが意図したものなのだろうか?
パッサージュとは確かに人々が行きかう空間であり人々になじみのある場所。これを取り入れるとは、奥深い建築テーマだなとしみじみ思う。

中之島美術館

さあ、展示会場の前についた。
入り口の反対のところに「長沢芦雪展」を表する立体ポスターがお出迎え。ここで写真をパシャリと撮る。これは外せない。

大阪中之島美術館「特別展 生誕270年 長沢芦雪 奇想の旅 天才絵師の全貌」

展示会場での写真撮影はNG。
だから、目に焼き付けるが如くじっくりと見て回った。

美術館あるあるだが、たまに我に返った時、食い入るようにガラスケースに入った作品を見ている自分がいる。その姿は他者から見ると、異様に映るのではないかとメタ認知が始まることもあるが、そんなことへっちゃらで、この時間を十分に味わうのだと開き直る。

だって、本当に楽しいし、やはりアートに触れ合う時間は、私にとって人生の至福の時間だから。

長沢芦雪は、大阪と京都の境にある「淀」という場所で生まれ、幼い時から「絵師」になることを決めて、円山応挙のもとで絵を学び、師匠である応挙に比肩、いや彼を凌駕するほどの奇想天外なテーマやモチーフ、構図を用いて数多の作品を描き残してきた。

残した作品は多い。しかし、芦雪の一生は若いうちに幕を閉じた。
享年45歳。夭折というわけではないが、絵師にしては若すぎる年齢だ。
彼の幕引きには今も多くの謎が残っているとされている。直接的な原因はわからないが、一説には彼の天才的才能に嫉妬した者によって暗殺された可能性もあるとか。どの時代にも、才能に羨む人間がそれが理由でひどい行動に移すこともあるのだなと感じる。悩ましい世の常である。

さて、初期の作品群を見ていると、やはり師である円山応挙の影響を受けたものが多いように感じた。しかし、応挙を凌駕する芦雪の味は、その「緻密さ」にあると思う。筆に込めた一本一本の線が、繊細で儚い部分を描きつつも、大胆に一本黒くどーんと思いっきり描き表す曲線には、圧倒される。

芦雪の緻密さを感じる作品の一つに、「虎図」(オオタファインアート所蔵)がある。虎の瞳に目を奪われつつ、虎の毛並みが一本一本細い線で丁寧に描かれているところには、脱帽した。特に尻尾の毛並みが見事なまでに緻密に細い線で描き込まれている点。これはかなり根気のいる作業だ。この人、どれほど忍耐と高い集中力を持っていたのだろうか。また、虎の持つ二つの力強い瞳もたまらなく良い。好きな顔つきだった。

長沢芦雪「虎図」(オオタファインアート所蔵)


虎の緻密さも好きだが、一方で私は「枯木鴉」という作品も愛らしくて好きだ。
一本の木に止まる真っ黒なカラスが、首を傾げるかのようにこちらをクリクリとした目で見つめる様子。秋深まる中、柿の実を足元に持ってなんとも愛らしい。(気になる方は、ぜひ展覧会で目撃してきてください。)

あとは、仔犬の作品。
まあるくて、生まれてあまり日が経っていないのだろう。コロコロと本当に可愛らしい。芦雪はたぶん仔犬が好きだったのだろうな。絵からその情熱が伝わってくるように思えた。

大阪中之島美術館「長沢芦雪 奇想の旅 天才絵師の全貌」エントランス前の写真より

余談だが、丸くてフワフワなものに「かわいい」、「愛らしい」という感情を抱くのは、人間特有のもの。だから赤ちゃんの顔のパーツは中心によっていて、全体的に丸みを帯びたフォルムをしている。犬は進化の過程で、人間と生活を共にするようになってから、人間から寵愛を受けられるように、つまりエサをもらうため人間に好意を抱かれやすいよう自身の体のパーツ(特に瞳)を丸い形状のものへと進化させた歴史があるそうな。この進化が、狼(犬でいうならシベリアンハスキー)と我々が知っている今の犬を大きく分つ要因になったそう。なんとも健気な進化ではなかろうか。

さて、話は芦雪に戻る。
次に目を引くのは、「西王母図」である。
西王母とは、道教の最高の仙女とも言われる神格化された存在であり、美麗の女神から後漢時代には織姫と同一視される存在として認識されている。

芦雪が描いた「西王母図」に描かれた桃の女神「仙女」はどこか艶かしく、フォルムの全体がS字曲線で描かれており、こちらを見つめる瞳は艶やかで、見ていてどきっとする。しかし、その横の童子と言えるのだろうか、幼い女の子のあどけない表情に、少し胸を撫で下ろす。また仙女が持っている桃は、私が知っている桃とは形状や色合いが少し違っていて、不思議な感じだった。

また、仙女が頭にのせている鳳凰がモチーフになっているような玉勝(髪飾りのこと)も印象的であり、きれいだなと純粋に思う。ここまでは前期の作品群である。

長沢芦雪「西王母図」

次のブースに進んでいくと、一風変わって、面白い作品がたくさんあった。
まず、「絵変わり図屏風」という屏風に作品を連ねたものに心惹かれる。
牛の上に乗って、振り向いてこちらに笑いかける童の姿などさまざまある中で、ひときは心惹かれたのは、「空と海」を描いた部分である。

この空と海の様子が白と黒のコントラストで描かれている。
この絵には、海面から空に向かって無数の船が飛び立っている様子が描かれていて、まるで七福神を乗せた宝船が天界へと戻っていく風景にも見える。

しかし、私はふと、「この船って、UFOぽいなあ。」と感じてしまった。
根拠はないけど、なんとなく地球から宇宙へと帰還していくUFOの集団に見えて仕方がない。
芦雪もUFOが見える人だったのかな、なんて。真相はわからないけれども、そういう発想をして、この作品を見てみるのもユーモアがあって面白い。

そして、一番インパクトが強かったのは、和歌山県にある無量寺が所蔵している「虎図襖」と「龍図襖」の相対する襖の作品だ。これには絶句してしまった。芦雪の渾身の力が込められているこの作品に、鳥肌が立つ。
この絶句した話の続きは次にします、長くなってしまいそうだから。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
Bless you:)

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