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生業に「詩人」と書くや秋寒し(桃と紅茶)。昔書いたものと3編一緒に投稿します。やけくそ現実逃避ですか。

仕方のないことなのかもしれませんが、どうしても相談窓口やカウンセリングというものから弾き出されてしまう人、相手にされない人もいるのでしょう。
人の話を聞く、耳を傾けるということはそれほど難しいものなのでしょう。
お忙しい中、ご担当の皆様には大変お世話になりました。
この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。(桃と紅茶)(2,068 文字)


1. 失業生活洗濯参拝

数えても、数えても合わないことがある
それが突然一致する、ということもある
そんなことが本当に起こったのだ
わたしは 失業した
 
これが当たり前かそうじゃないかなど
誰に分かるというのだろう
そして失業するたびにカーテンを
洗っていたわたしはちょうど
 
七回忌の失業の日その日わたしは
子供部屋の薔薇色のカーテンを取り外すと
コインランドリーへ行って走って取り外すと
回した
 
そして硬貨が落ちる音を聞いたりしました
音 に耳を澄ますと最後に
底 にたどり着きます本当に
たどり着くと音 は木霊します
 
聞こえますか 音が
お賽銭箱に落ちるお賽銭の音が
四方八方どなた様もよろしく
二礼二拍手一礼 一家安泰 商売繁盛
 
「音」は鈍く音を立てて
落ちるその度にその箱の中に
思わず身を乗り出して中身を
盗み見てみたくなりました
 
落ちるわたしは出来心となって
わたしはおちるおちるお賽銭
それはちょうど子供部屋につながる通路
そこで目を覚まします 初夢初詣初日の出
 
日出処の国の天子の出来心は
日没する処の天子にお賽銭を
落とす つつがなきや 
西日を遮る全三色洗いたてのカーテンを
 
掛けてカーテンを干す風向き
ハローワークの天の香具山
お参りするのよ定期的に
お賽銭はいつまで頂けますか、と
 
会社都合か自己都合
見てくださいよく 雇止め 
見せてくださいよね ハラスメント
失業ののろし揚げしか畝傍山
 
天下無添加無着色
カーテン掛けたら足して引く
「四則計算やってみて」
割って掛けての全三色
 
「全三色」の鈴の音(おと)
以前に職に就いていますか
そして信号では止まりました
はい 全三色の心療内科前
 
赤青黄色のネオンサイン
それはみごとな全開三色
答えようのない職務質問
前回三色職出来心
 
いくらなんでも悟りに至る ここまで来れば
痛る三食昼寝付き、の子供部屋
おじさんおばさんカーテン給付
きゅうふ給付 何見て跳ねる
金星木星見て跳ねる
 
「お前はきゅう婦か
きゅう婦か か婦か」
窓辺の一言 たれぞ知るらん
「カフカ」と答えるきゅう婦か か婦か
 
辞めやめ給付か か婦前三職は
六六三(ろくろくさん)年 白村江(はくそんこう)
六七一(ろくなないち)年 壬申の 乱乱乱の
七〇一(ななまるいち)年 大宝律令以上です。

日本国憲法第二十五条 
(美辞麗句)
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する
 
このように 早熟は美しい言葉でつづられる
同様に 失業も麗しい音(ね)色であふれている
そろそろ洗濯が終わる
鈴の音(ね)が聞こえる
 
 
参照:万葉集<持統天皇>、日本のわらべ歌「うさぎ」、『隋書』東夷伝倭国条、村上春樹「窓辺のカフカ」
引用:日本国憲法第二十五条

2. ある日の面談

小さな家で雷が鳴って
水たまりの中で
二時間ごとに目を覚ます
わたしは水の魂を抱えている
 
向かい合って座る人が繰り返す問いに正しく答えるのは
うんざりした患者の義務です、か
 
向き合って座る人の
答案用紙の立て札のような
みごとな明るさよ
 
そんなふうにしていつしか
わたしは忘れてしまった あなたを
どんな立場すらもないところで
もう一度出会い
共に生きていくことはできないかと
守られない約束などしてみましょう
 
遠いどこかで馬がいななく
「あなたはどなたですか」と
それからゆっくり草を食む
あなたは嬉しそうに反芻し
草は何度も何度も吐き戻され
唾液と入り交じり
深く入り交ざったそれを口移ししてもらいたくて
わたしは子供のように身悶えた
 
「そろそろ 降りそうですね」
座っている人は欠伸をして
わたしは雨宿りを探した
そこから見える風景を覚えておくために
 
どこかに育ちきれない蟻がいて
砂糖ではなく 塩を舐めにやってくる
瓦礫の下では 少女が助けを待っている

3. 徒歩十分

師曰く
詩は脚で書け

その日から 詩人は徒歩でした

駅から車で五分のところを
徒歩十分
電車で二十分のところを
徒歩一時間
飛行機で六時間のところを
徒歩九十日
ロケットで一か月のところを
徒歩二十億光年
詩人は詩を書いている

子曰く
パン屋はパンを焼いている
詩を書いている
吾十有五而志于学
新聞屋が朝刊を配っている
三十而立
詩を書いている
四十而不惑
赤ん坊はお乳を吸っている
五十而知天命
詩を書いている
六十而耳順
母親はおかしくなっている
七十而从心所欲
詩を書いている
不逾矩

恵まれているはずの子供たちが
互いに罵り合い
流行り病のように傷つけあうこの国で
見えない拳でたたかれても
「痛い」とは言えない子供たちよ

だから詩人は詩を書いている
歩いている

引用:論語第2章「為政第二」第4

以上、
作者: 桃と紅茶
初稿: ①2023年(令和5年)11月08日 ②2017年(平成29年)夏 ③2005年(平成17年、推敲2021/04/16)
初出: note 令和5年11月10日

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