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子どもたちの変化を考える その4

2011年の6月に独立開業をした。場所はここまでで書いた2つの教場からそれぞれ10㎞程度離れた場所である。今までとは異なる鉄道路線の工業都市であった。

開業して5カ月ほど、5人の中学3年生が集まった。非常に大人しいタイプが揃った。授業の前後や休憩中にもほぼ会話が無い。開業したての塾の文化が自然とそういう空気になったのかもしれない。

ただ学力レベルの観点からは今までで経験をしたことのない状況だった。当時は2つの中学校から塾生が通っていたが、5教科の合計点で400点以上の生徒が学年全体の5%くらいだった。これは前年度まで担当していた教場では20%くらいだったので素直に驚いた。

学校公開日には授業参観にも行った。昔気質の厳しい教員も数人いたが、基本的にはほんわかと穏やかな空気が流れていた。また座席の配置がコの字になっている学校もあった。どうやらこの市では東京大学の名誉教授である佐藤学氏が始めた「学びの共同体」の手法を取り入れていると直後に知った。端的に言えば、教師からの一方通行の授業ではなく、グループで学びあう場面が至る所で見られるという授業である。下を包括することはできるだろうが、上を伸ばすのは難しいのではないだろうか?とテストの結果と併せて感じた記憶がある。

開校して丸2年の2013年。数多くの生徒たちが通ってくれるようになった。当時の中3は上の2学年と違ってC中から元々仲の良い生徒が声をかけ合って入塾してきたので、結構賑やかな空間になった。どうやら男女ともにスクールカーストが高い生徒たちが集まったようだと本人や保護者の話から感じるようになった。

ただ私の感触ではそうでもなかった。男子は確かに元気な子たちではあるが、学年で3番目くらいに目立つグループの子たちに見えた。異性の話題も出てこなければ聞いている音楽もSuperflyとかいきものがかりとか尖っていない。服装もオシャレという感じはなく、会話もゲームを中心に非常に牧歌的だった。女子はもう少し洗練されていたが、2010年頃に指導していた生徒たちと大きく異なるのは貞操観念が非常に高かったことだ。目立つ女子は塾の授業が終わっても講師としゃべったり自転車置き場で友人たちとだべったりが定番であったが、親が迎えに来るとサッと車に乗って帰っていく。結果終業後すぐに私たちも帰路につくことができた。

この学年には夏前に少し離れた隣の市から2人の男子が入塾してきた。この子らの通うD中学は「やや荒れている」と少し前から話題になっていた。実際にこの2人は口数が少なく簡単に大人を信じない目をしていた。後に彼らの体育大会を見に行ったがいかついいかにも悪そうな生徒たちが何人もいて、それでも騎馬戦や大規模な組み立て体操で活躍していた。私が通った中学の雰囲気があった。

話を塾内に戻す。この2人が入塾して3週間くらい経った頃に事件が起こった。休憩中にC中とD中の男子が取っ組み合いになっている。
「休憩中にあまりにくだらないことでうるさいので『黙れ』と言いました」
「『休憩中だよ。黙る必要はないでしょ』と返したら『舐めるなよ』と言われました。だから『舐めたら汚い』って返事したら…」
「こいつらあまりにヘラヘラしてむかつくんです。それでいてレベル低いし」
「レベル低いとかみんなの前で言う奴とあったのは初めてです」

場を収め授業に戻った。明らかに以前からたくさんいたC中の塾生の方はビクビクしている。こういう空気や状況に慣れていないのが分かった。反対にD中の2人は(正気か、こいつら。ケンカもできねぇのかよ)という空気をビンビンと出していた。
この事件があった夏の模試の結果が興味深い。C中の10人余りの平均偏差値は47であった。それでいて学校の平均を下回っている生徒は2人しかいなかった。D中の2人はそれぞれ偏差値が60程度と50程度だった。しかし学校の順位はそれぞれ上から3割と6割。内申もC中の生徒たちの方が高めだった。

ここを何度も繰り返して書くが、2007年くらいから中学の荒れ具合と学力レベルは見事に相関していた。教科書通りに考えると「荒れている学校⇔学力レベルが低い、穏やかな学校⇔学力レベルが高い」となりそうなものだが、いつも逆であった。これには自分なりに一つ結論を出していた。荒れている学校の子たちの方が精神年齢が高いというものだ。生存競争が激しいからか、普段から学校に危険があるからなのか、趣味趣向が大人っぽいものになるからなのか、荒れている学校、不良のいる学校の方が様々な指標で高い数値を出していた。

2014年の中3世代もC中の生徒が多い学年であった。この学年で強烈なのは「パパ・ママ」と呼ぶ男子生徒が激増したことだった。それがサッカー部や野球部のごつい生徒に見られたことが驚きを増す要素だった。彼らは休みの日も父母と一緒にショッピングモールに行き、親が選んだジャージやトレーナーを着て塾に通っていた。それを女子たちは歓迎する空気も無かったが嫌がるという空気もまた無かった。「その2」で取り上げた女子たちであれば、一瞬で見切っていた言動であろう。そしてやっぱりこの学年も学力レベルが振るわなかった。

ただ進路実績はそれなりのものを残すことができた。近隣の人気公立高校がほぼ定員ギリギリだったからである(実質倍率1.01~1.02倍)。ほんわかした精神年齢低めな子たちが、ほぼフリーパスの受験で無事に高校に進学していく。「何だかなあ」と彼らが巣立っていくときに感じた状況が、その後どんどん地域のスタンダードになっていくことになる。

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