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サハラ砂漠の日の出 ②

まだ薄暗い中を、らくだに揺られて進んで行った。
暗闇の中で、誰かの声に耳を傾けることで安心感を得ていた。
ひだり横を向くと、遠くに懐中電灯の火が揺れていた。
らくだに乗らずに、歩いて行く人々の列だった。
気づくと膀胱炎のための尿意は、なかった。
出発前は、どうなることかと心配していた。
砂漠にトイレなど、あるはずはなかった。
らくだの暖かな背と広さにリラックスしたのだろうか?
丘を上ったり、下ったりをくり返しながら進んで行った。

丘の窪みに止まると、そこには人々が集まっていた。
その丘の向こうに陽が昇るようだ。
ベンベル人がサッサと丘のてっぺんに上がり、敷物を敷いた。
手招きするので、丘を上がった。
しかし、砂の登り坂は、簡単に上がれなかった。
ズルズルと滑りながら、ようやく上がった。
上に立つと、ぼんやりとした中でも、360度の砂の世界を感知できた。
右・左、前・後ろ、どちらを向いても砂の丘が広がっていた。
永久に続くであろうと思われる砂の海だった。
やがて、正面に一筋の光が見えた。
いよいよ、日の出だ。
何もない世界に、色が現れた。
その色の数と濃さが、刻々と増していった。
灰色の世界に、色の世界をつけながら光が輝き始めた。
その神秘的な光景に、誰も発しなかった。
ただじっと見つめるだけであった。
感動が誰の胸にも、鼓動のようにうっていた。
 
4000メートル上の雲海での日の出。
海に広がる水平線での日の出。
森の緑の中での日の出。
同じ太陽なのに、その雰囲気はちがった。
その場のエネルギーに共鳴しながら、違ったハーモニーを醸し出していた。
何もない砂丘の砂上に現れた太陽は、すべてを包み込む恵みを感じさせた。
その暖かさは、からだの芯まで伝わっていった。
砂漠の民が、太陽を神と崇めたのは当然だろう。
私の身体も、それを受けいれ、膀胱炎は小安を得ていた。
現地人のベルベル人は、皆ハンサムだ。
日の出のセレモニーが一段落すると、ハンサムな彼らに注目がいった。
一緒に写真に納まったり、自分のスカーフをターバン巻きにしてもらい頭に巻いてもらったり、
砂の上にアラビヤ語で名前をかいてもらったり、太陽をモチーフにしたポーズで写真にとったり・・・


さすがベンベル人はターバンが似合う!!


それぞれが砂丘の中で、遊んでいた。
妹がてっぺんから2メートル下の砂を横に払うと、砂なだれがおこった。
これもベルベル人に教わったのだが・・・
真似をした。
まるで花火のナイアガラの滝のように、砂が流れて、美しかった。

そして太陽が天に昇ると、一体の景色はさらに変わった。
雲ひとつない青空に
灰色の世界が、さらに奥へ奥へと広がり、砂の波が現れた。
風による模様が均一的に、あるいはランダムに広がり、
その奥にあるであろうオアシスの緑の世界の、想像が広がっていった。
 

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