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重度の精神身障者として青春をすごしたとき

「精神身障者」ということばがそもそもあるのかどうかもわかりませんが、タイトルに使うことにしました。

町医者には――幸いなことに――とうとう匙を投げられて、大学病院の心療内科に回されたことは、すでに綴ったとおりです。

医師の面談とは別に、心理テストの担当の方にも一度診てもらっています。ロールシャッハ・テストというものを生まれて初めて受けました。「これは何に見えますか?」「…女性の骨盤」 そんなやり取りをしながら、私は順に答えていきました。

次か次の次の週だかに、医師の方から結果を教わりました。彼がカルテを読み上げました。私が自分で思っていたより、もっともっと酷い精神状態であることが、言語化されていました。

「私は、ひととほとんど話すことができません。何をどう喋ったらいいのか、わからないのです」 日本で最もたくさん読み継がれているという、あの著名小説から、うろ覚えでこの一節を引用します。同じ内容のことが、「私」つまり一人称ではなく三人称であったことを除けば、ロールシャッハ・テストの結果としてはっきりと診断されていたのでした。

その後、当初は母につれられて、やがて独りで毎週心療内科に通うようになりました。私がひとりでやってきたとき、医師が少し感心したような顔つきになったのをぼんやりと覚えています。

診療じたいは、あまり劇的な進展はなくて、隔週での通いを私が希望して、翌年の2月か3月かもう覚えていませんが、私の判断で通院の終了を希望しました。

その二年後、旧帝大の医学部を受けて、面接で酷いハラスメントを味わったことを思うと、私の診療にあたってくださったあの医師は、少々軽率であったという気もしますが、恨む気持ちは今も当時もわかないでいます。あのとき、そして今も思うのは、いったいどちらが私の人生の本体だったのかわからないということです。ある人物がいて、そのひとを励ましてくれる方もいれば、初対面であり背景も何も知らない相手にいきなりレッテルを貼って叱責する方もいたり…どちらも医者だったのをどう考えたらいいのでしょうね。私の凄惨な精神遍歴(こういうのは主観的なものです)も、お日様の下ではすべて消え失せてしまって、公園のベンチに横たわる臭いホームレスつまり「物体」しか残らないのです。

心療内科通院中に、医師に私がぼそっとこんなことを述べたのを覚えています。「眠りに落ちる直前、耳の奥から音楽が小さな小さな音で聴こえてくる。弦楽四重奏曲。それはとても小さな音で、イヤホンから漏れ聞こえてくるかのような小さな音だ」 ちょうどその頃、日本のある著名作曲家(昨日訃報がでたところです)が中学生のときに偶然聴いて衝撃を受けたという弦楽四重奏曲を、私も聴いていました。ドビュッシーの曲です。何がそんなに思春期の彼には衝撃だったのかわかりませんでしたが、彼の楽曲は前からとても好きで、いったいどうやったらこんな曲を書けるのだろうと思っていたことから、そのルーツだという曲をこの頃順に聴いていたのでした。その影響でしょう、眠りに落ちる直前に、イヤホンから漏れ聞こえてくるような小さな音で、カルテットの断片が聴こえることがありました。

私の診療にあたった医師は、その幻聴について特に何もいいませんでした。ただ私のつぶやきを書き留めました。診療のほとんどは、私のつぶやき、それもどっちに転がっていくのかわからないつぶやきを、彼が書き留めていって、私が何を語ろうとしているのか、書き留めた用紙を再見しながら彼が推察していく、そんな風に進みました。

イヤホンから漏れ聞こえてくるような、小さな小さな音で聴こえてくる、弦楽四重奏曲の断片… 当時の私もなんとなく感じていたことですが、それはきっと私のほんとうのことばでした。ひとに何かを伝えたいとき、誰しもありあわせのフレーズで間に合わせてしまいます。作文を課せられたとき、書き上がってくるものを読み返してみて「違う、言いたいのはこんなんじゃない」と苛立ったことはありませんか。自分の紡ぎ出すことばが、みんな既製品のパッチワークでしかないことに、どうしようもなく苛立ち、腹が立つという経験は、日常のありふれた会話においても、時折経験していると思います。

私の幻聴の弦楽四重奏曲は、誰の流用品でもない、私の体から流れてくることばが、音楽的幻聴として聴こえてきたものだったと、改めて思います。


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