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すずめの戸締まり 予告の感想 考察

新海監督の新作、すずめの戸締まりの予告が公開されました。
メインテーマの歌唱が披露されたのはこれが初めてでしょうか。
フェリー船や廃墟の景色が美しすぎます。めっちゃ楽しみです。


 冒頭は公式にも書いてある九州の港町に住むすずめが、謎の青年と出会い、扉を見つけるシーン。
そして扉から黒い怨念が漏れ出し、それを止める為に2人で協力して扉の鍵を締める。
漏れ出したのはすずめが扉を開けてしまったせい?
扉の先の景色はとても美しかったのに、なぜこんな禍々しいものが溢れてきたのか?


予告内のシーンを整理するとあと2つの大まかな流れがある。


一つはすずめがフェリーに乗るまで。
 
イス独りでに動き出す→すずめの部屋らしき窓から白猫が飛び出す→坂道を降りていく→フェリーに向かって走る→猫が船の上からジャンプ→船のデッキで呆然としているすずめ

どれも時間帯が夕暮れ時なので、この流れだろう。
制服のままフェリーに乗り込む。時間がギリギリだった?
坂道と船上でイスくんが一緒にいるのが確認できる。動くイスとすずめが共に旅をすることになるようだ。
デッキにいるすずめは船の進行と逆方向を見ている。
その直前の猫ジャンプから見ておそらく、もう少しで捕まえられるという所で猫が船を降りてしまったのだろう。
すずめの部屋から逃げた猫を追いかけ、次の目的地の神戸行きのフェリーに乗る。しかし猫に逃げられてしまう。SNSでねこの画像を検索し足取りを追っていくのか。


もう一つは神戸の場面。
 遊園地のライトが灯く→遊園地に向かうすずめとイス→観覧車の中でイスの足を掴むアップ→観覧車から外に手を伸ばすすずめ→帽子をもらい駅で見送られるすずめ

遊園地に向かっているシーンの看板に神戸ゆめの園とあるので、これらは神戸での出来事で間違いない。遊園地がライトアップされ禍々しいオーラを発している。イスくんと共に遊園地の扉を締めに行く。
 アップのシーンは分かりにくいがオーラの感じからすると観覧車内で、次の手を伸ばすシーンではすずめの胸元が何かに共鳴しているように見える。
扉に対し首から下げたカギが共鳴している?カギが扉の場所を教えてくれる?
 すずめの服装と髪型が変わっている。見切り発車の旅で、身なりを気遣う余裕があるとは思えず、駅に見送りに来てくれた女性に良くしてもらったのか?
駅は新神戸駅らしい。ここから新幹線に乗り東に向かうのだろう。ここまでが前半か。



その他・考察

パソコンの前の女性
USBの名前からしてすずめの母だろう。メモの内容からして役所の職員?
写真の中の女の子は中学時代のすずめ。父親が写ってないのが気になる。
母子家庭?

なぜ遊園地が動き出したのか?
無人で明らかに営業が終了し廃墟化した遊園地なのに。
状況からして扉からの黒いの念の力か。
念が取りつき、ものが独りでに動きだす。
最初にすずめが扉を開けたおそらくその後に、イスが動き出したのも同じ仕組みではないか?

青年とイス
おそらく最初の扉を締めた後に青年はすずめの家に案内される。
そこで発見した小さなイスに座りうずくまる。そのイスに特別な思い入れがありそうな様子。
不思議なことにこれ以降青年が登場しない。すずめを導く重要なキャラクターのはずなのに、なぜかすずめはイスと行動を共にしている。
 これは青年がイスになったとすれば説明がつく。
イスが動きだしたシーンですずめが驚いている。イスが動くのは初めてということ。その時部屋にいたはずの青年の姿がなく床にカギが落ちている。青年が部屋にいた時はまだカギが床に落ちていない。カギはもともと青年が首から下げているのは最初にすずめとすれ違う所で確認できる。
 そうなれば手を貸さないわけにはいかなくなり、すずめが旅立つ動機にもなる。
 イスに座りなんらかの後悔、未練に囚われ魂が閉じ込められてしまった?死んだもの、なくなったものの未練がものに宿り動き出すのだろうか。
骨の埋まった砂浜でイスに座る青年。三途の川?

双子と寝るイス
予告に映った要素のみで考えると神戸でお世話になる女性宅でのワンシーン?
それとも…


歌詞について
歌詞が作品の重要なメッセージになっているのではないか。

 君の中にある 赤と青き線 それらが結ばれるのは心の臓
赤と青が結ばれる心の臓。普通に考えれば赤と青は動脈と静脈なのだが、ここではすずめと青年がすれ違っている。
そしてただ偶然会ったというだけでなく
2人が反対の方向から現れてその瞬間すずめは何か運命的ものを感じている。2人は対比されている。
赤と青2つに分かれた線が心臓で合流する。線が2本で一心同体。
対を表すのはここだけじゃなく
 この身ひとつじゃ 足りないさけび
の部分で歌詞は身ひとつだが、映るのは先ほどの双子のシーンである。
またしても2人で一心同体が連想される。
(愚かさでいい 悔しさでいい 何かを決意したように制服の紐を結ぶすずめは君の名は的な運命が交差する演出?紐を締める。)

双子は青年とすずめなのだろうか?
欠けたイスの足はどちらかが欠けて不完全な状態にあるということ?
すずめの戸締りの世界には全ての時間が溶け合った扉の先の空間
平行世界のようなものがあるという。
すずめは兄を失い、青年の世界にはすずめがいない。
それぞれ別の可能性の世界を生きた2人が出会ったのではないか?

しかし双子というだけでは一心同体ではない。
一心同体とは平行世界の自分にあうことであり
2人は違う時間軸を辿った自分自身なのかもしれない説。
自分のもう一つの可能性。


 なんで泣いてるのと聞かれ 答えれる 涙なんかじゃ
 僕ら出逢えたことの意味には まるで 追いつかない

原因がはっきりしていてそれをなんとかすれば解決するのは葛藤じゃない。
ある選択をすれば必ず別の可能性を失うのが葛藤で、それが戻れない時間を生きる人の生き方である。何かを失っても選んだものが、出逢えた意味である。


行ってきます で始まった物語は
おかえりなさい で終わるだろう。
家で待っているのは家族。上で母子家庭?と書いたが父や兄を失い、その後悔によって上手くいかなくなってしまった親子の仲を、思いに区切りをつけることで取り戻す話なのかもしれない。

新海さんは初報の会見で、可能性を開いていくばかりでなく、区切りをつける事で新しい場所が見つけられる、と言っています。
すべての時間が溶け合った星空は無限の可能性、怨念は可能性の世界を手放したくない未練、扉を締めることでその未練に区切りをつけ次に進む物語になるのでしょうか。



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