ミスティー・ナイツ(第23話 人質)
「貴様一体……」
「今からおれが、あんたの主人だ。言う通りに動いてもらう。そこにある金を全部、車に積むんだ。あんたは人質だ」
「このままで済むと思うな」
明定の腹に、どす黒い怒りがこみあげた。眼前の男を、今すぐ殺してやりたい衝動が突きあげてくる。が、現実には明定の生殺与奪を握っているのは、目の前にいるイケメンだ。
それを思うと嵐のような憤りで、気が狂いそうになる。
「お前ら早く、車を1台用意しろ」
名札に『山下』と書いてある男は、警官に向かって怒鳴った。
「おれと現金、明定を乗せるための車だ。10分以内に用意しなければ、まずは明定の腕に一発撃ちこんでやる」
「お前ら何をやってるんだ。すぐ行って、車を用意しろ」
命令したのは、明定である。警官達は、先を争ってその場を去った。誰が自分達の主人か、よくわかっているらしい。
「おっと。おっさん、話が早いぜ。ほら、先に行って歩くんだ。外へ出て、これから駐車場に向かう」
山下を名乗る男は右手に拳銃、左手に現金の詰まったアタッシュケースを持って、明定を先に行かせた。2人は1階まで階段で上がり、周囲を警官に遠巻きにされながら、そのまま駐車場へ向かった。
「一体、どこへ行く」
聞いてきたのは、紅山県警本部長だ。
「人質を撃たれたくなかったら、さっさと車を用意しろ。そうじゃなけりゃあ、駐車場の車を適当に見つくろって、逃走用に使うだけさ」
明定の背後で『山下』が言葉を放った。
「ハッタリを聞かせるのもいい加減にしたまえ。駐車場の車には鍵がかかってる。それで簡単に逃げられるものか」
紅山が、歯ぎしりするような口調で話した。
「さあ、どうかな」
『山下』が、不敵に言い放つ。
「ミスティー・ナイツをなめてもらっちゃ、困るぜ。それはおたくら警察が、誰よりもよくわかっていると思うけどな」
明定と、背後の男は駐車場に出た。どこからかジェット噴射の音が聞こえて、それはどんどん大きくなって近づいてくるが、どこを見回しても、音の主は見つからない。
音が大きくなるごとに、発生源が見えないために、明定の不安もふくらむばかりであった。出しぬけに、今まで何も存在しなかった眼前の空間に、突然1台の自動車が現れた。
運転席には真っ黒なサングラスをした美山が乗っていたのだが、無論明定は、強盗団のリーダーの顔を知る由もない。その自動車は、地面の上に着陸した。
「後ろに乗れ」
拳銃を持った背後の男が、うながした。命ぜられるまま、カジノの支配人は後部座席に乗りこんだ。明定のような者にとっては、こういう形で人の指示に従うのは人一倍屈辱的な行為だが、この状況ではしかたない。
『山下』と人質が後ろのシートに腰を落ちつけると、車は再び空へ向かって上昇する。窓から見下ろすと、地上がどんどん下に向かって遠ざかってゆくのが見えた。視覚的に見えなくなる自動車を強盗風情が持っているのにまず驚いた。
地上には集まった警官達の姿が見える。その気になれば、拳銃でこっちを撃つのもできなくはない距離だが、人質がいるのもあって、自制しろという指示が出ているのだろう。
「このまま逃げられると思ったら、大間違いだぞ」
支配人は、横にいる『山下』と、前にいるグラサンの男の顔が映ったミラーに向かってガンを飛ばした。
「あんたも知っての通り、おれ達は狙った獲物は必ず手に入れるのがモットーでね」
黒眼鏡の男が唇に笑みを浮かべた。
「あんたにとっては残念ながら、今回も勝利の女神はおれ達に微笑んでくれるだろうさ」
「とりあえずあんたには、静かにしててもらおうか」
横にいた『山下』がしゃべるが早いか、いつのまにか手にしたスプレーを明定の顔に噴射した。その直後、猛烈な眠気が襲う。次第に意識が朦朧とする。強力な睡魔が、彼の精神を混濁させた。
やがて深い、深い眠りの海の奥に引きずりこまれる。抗おうにも抗えぬ、圧倒的な薬のパワーだ。
*
「ぐっすり眠ってくれました」
美山の背後で、嬉しそうに海夢が話した。
「こんな男でも、寝顔は可愛いもんですね……いや、可愛くないか」
2人は、そこで爆笑した。美山の運転するスカイ・カーは南美島の上空を脱すると、一路フォルモッサをめざして飛んだ。フォルモッサとはポルトガル語で『麗しい』を意味する言葉で、美山が買いとった領海内の離島につけた名前だ。
そこはミスティー・ナイツのアジトの一つで、美山が偽名で会長をやってる会社が、合法的に買いあげたものである。洋上に出ると、美山は操縦を自動に切りかえた。
*
激しい頭痛がする。まるでいかづちを食らったように、頭が痛い。意識は何か真っ白な闇のような物に包まれて混濁しており、自分がどんな状態なのか、己が一体何者なのかもはっきりしない。時間も場所もあいまいである。
世界が生まれる前のカオスというのは、もしかしたらこんな状態だったのかもしれない。やがて五感が徐々にだが本来の機能を取り戻してゆき、まるで接着剤で固めたようにふさがったまぶたを薄々開いた時、まばゆい光が目に飛びこんだ。
やがてまぶしい光に慣れ、徐々にだが周囲を普通に観られるようになった時、瀬戸菜は自分が真っ白なベッドに寝ているのに気がついた。ベッドの脇に、白衣の女性看護師の姿が見える。
「一体ここは……。ここは誰。私はどこ」
「救急病院です。カジノの近くの」
ナースのそばにいた、瀬戸菜の部下の喜多見(きたみ)が応えた。身長190センチの大柄な男で、年齢は30歳。学生時代はラグビー部に在籍しており、ガタイがいい。
「姫崎さん、金庫のそばの警備室で倒れてたんです」
「そうだ。山下とかいう警備員にスプレーをかけられて……王冠とカジノの売上金は、どうしたの」
思わず大声を出していた。自分でもまだろれつが回ってないのがわかる。舌が何かの金属にでもなってしまったようだ。
「あいつはミスティー・ナイツだったの」
質問の連続に、喜多見は渋い顔をした。コーヒーに間違って、塩でも入れたような表情である。
「もしかして……盗られちゃった?」
「我々としては、ベストを尽くしたつもりですが、王冠も金も獲られました……」
胸の奥からしぼりだすような重苦しい声で、喜多見が話した。
「しかも、明定さんが人質になってるんです。地下の金庫を警備していた山下って男は、ミスティー・ナイツの一員でした。名前もおそらく偽名でしょう」
「もう1人の警備員は」
「警部補と一緒で、やはりスプレーで眠らされてました。山下は明定さんを人質にして、空飛ぶ車で脱出しました。彼は今回の特別警備で美術館側が大量に雇ったガードマンの1人で、面接もろくにせず採用したみたいです。予告状が出たんで、大勢の人間を慌てて臨時に採用したのが裏目に出ましたね……」
喜多見は、渋柿でも食ったような顔をした。
「ミスティー・ナイツの狙いも、そこにあったかもしれません」
部下の話を聞きながら、瀬戸菜ははらわたが、煮えくりかえる思いがした。またしても孔明に……じゃなかった。またしても、ミスティー・ナイツにしてやられたのだ。下手をすれば、彼女の降格か左遷もあり得る由々しき状況になっていた。
「うちの連中は、ミスティー・ナイツを追ってるの」
「追ってるのは追ってます」
上司から、視線をそらして喜多見が口を開いた。
「ところが逃亡に使われたスカイ・カーは光学迷彩と、レーダーに映らないステルス機能がついてるようで、どこに行ったか現時点ではわかりません」
話を聞いた瀬戸菜は眼前がブラックアウトするかのような思いである。彼女も金庫を見張る警備員にナイツの仲間が紛れている可能性を考えて、地下金庫の近くへと見回りしたのだ。
それが催眠スプレーなんかであっさりとやられてしまったのが情けない。死神に脚を引っぱられ、地獄の底まで引きずりこまれた気持ちである。
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