私の俳句に対する皆さんの誤解

俳句は実体験を素直な気持ちでありのまま描写するのが最良

皆さんこんばんは。みつかづです。

今日は『俳句添削道場』に、
一物仕立て且つ擬人化されている句」を投句しました。

又、同サイトの他、房州オンライン句会にも出しておりますが、
「季語が3つある季重なり且つ季違いの句」、
「三段切れの句」、「掛詞が使われている句」、
「「いと」、「いさ」等、古い短歌の知識を必要とする句」、
「本歌取りを用いた句」等も投句した事があります。

すると、以下の様な誤解を受けた事がありました。
「カッコつけやがって」
「技術や知識をひけらかしている」
「背伸びしてる」

結論を申し上げます。
そんな気なんか全然無えよ。
素直に詠んだら自然とそうなっただけだよ。
そうしようと思ってしてるんじゃない。

皆さん、考えてみてください。
カッコつけた句、技術や知識をひけらかしている句、
背伸びしてる句を作句して投句して、誰の何の得や為になりますか?
全くなりませんよね。
そんな事をする必要性なんて何処の誰にありますか?
全く無いでしょ。

そして、皆さんに問いたいです。
実体験を捻じ曲げたり、自分の気持ちにウソ付いたりした句を
作りますか?
 ましてや投句しますか?
普通に考えたら、そんな事なんて誰もしませんよね

それは私も全く同じなんですよ。
実体験で思った事、感じた事、気付いた事。
それをありのままに、素直な気持ちで17音にまとめて
表現されたものが俳句という詩になる訳ですよね?

確かに『俳句添削道場』では、私は作者コメントで
自句自解する際に、「挑んでみました」と書いていますが、
実際は挑んでなんかいません。

とても大切な事ですので繰り返します。
俳句は実体験を素直な気持ちでありのまま描写するのが最良
これに尽きます。
その様に詠めば、勝手に自然と何等かの技法になりますから。

私が新聞やラジオ等に投句しない理由は、お題がありますので、
実体験が無いものを私には詠めないからなのです。
お題が無くて、自由な投稿ができるのであれば幾らでも投句しますよ。
そして投句するとしても、自分の句が入選したり、賞を取ったりする事には
全く興味がありません。
何故なら、俳句の選句は選者の主観的な要素、
即ち感情や好みに左右されますから、公平性なんて期待できない訳です。
私が投句するなら自作の感想を知りたい、詳細なフィードバックを受けて
今後に活かしたい、他者の作品をこの目で観たい等の理由でしょう。

念押しです。これに尽きます。それ以外に最良は無いのです。
俳句は実体験を素直な気持ちでありのまま描写するのが最良

今回は以上です。
ご覧くださりありがとうございました。

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