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推しの推し方の多様性と難しさ

どうも、昼に辛いものを食べたせいで若干の腹痛を感じている天パの権化です。

最近テレビを見ていて、水や食事、睡眠が人体に必要な様に、心に必要なものという話をされているのを見た。
(めっちゃ上手いこと言うな、、、)

確かに、このストレス社会という砂漠を生き抜く我々には、推しと言うオアシスがとっても大切にな存在である。
(対抗して上手いこと言おうと思ったけどびみょいな、、、)

そんな中で、最近感じているのが、推しの推し方の難しさだ。
これを感じたのが、私の友人の話を聞いてからである。

私の友人は自信をキモヲタと呼ばれることに誇りを持っている様な人物なのだが、彼が言うには、推し方が気に入らないコンテンツがあるとのこと。
もともと、オタクだけが知っていた様な分野だったが、最近有名になり、非オタな人たちが多くなってきている。

そうなると、彼が好んで見ていた様なコンテンツとは少し変わってくる。
運営側も、最近来た人たち向けのコンテンツ作りをする様にもなった。

まあ、要するに何が言いたいかというと、「推しがアイドルみたいに推されることに違和感を感じる人もいるよね」ということだ。

もちろん、推しを推すことが悪いことではないと思う。
ただ、ファンの間に壁ができ、そこからそのコンテンツが廃れていくのはクリエイター側としても避けたいところのはず。

むずかしいよね。普通に。
私も好きなジャンルがアイドルの様に推されているのを見ると、ちょっと違和感を感じることがあった。
けど、それを咎めるのもちがうしなあ、、。

結局は、そのコンテンツを作っている人が、推し方の違いをどう思うかが指標になると思う。
それが嫌なら、推しが嫌がっていることをするのは間違っている。
でも嫌がっていないのに、ファン同士でいがみ合っているのは、推しに超超失礼。

お互いの多様性を認め合えたら良いなと思ったのでした。
何より供給が経たれることが一番怖いからね!!!!!マジで!!
推しの引退とかもうマジでみたくねえよ!!!!


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