職場で情緒的巻き込まれを経験したので振り返る

 前職で上司との関係がしんどかった時にこの記事を読んで色々と整理されたので、改めて残しておこうと思う。
「情緒的巻き込まれとは」については記事中に分かりやすく書かれているので、気になった人はぜひ読んでみてください。
他人の感情が入ってくる/共感しすぎてしまう人:情緒的巻き込まれ

 前提情報として、自分の場合は直属の上司に対して経験した。仕事は児童福祉の入所施設でした。


情緒的巻き込まれになぜ陥ったか

 環境要因が特殊かつ影響も大きかったので最初にあげておく。
簡単にいうと、生活施設で働く職員同士は境界線が曖昧になりやすいらしい。わたしも人から教えてもらった。例えば人員配置的に少数精鋭、職員の仲の良さや信頼感が支援の質に繋がる(これが良いか悪いかはここでは置いておく)、勤務時間外の業務連絡が多くプライベートと仕事の境界線も侵されやすい、生活場面での支援という業務(人の人生や生活に携わる)上、自分のこれまで生きてきた人生や価値観といったプライベート・内的なものと完全分離するのが難しい。他にも理由はあると思うが、確かに制度で工夫したりしないと、職員同士の距離感が近くなりやすい環境だと思う。

 その上で、1つ目の自分側の要因。対人戦略が「適応」しかないこと。
思春期の頃に”自分は受動型ASDなんだろうな”と自覚し始めてから、ずっと「適応しないと社会で生きていけない」という恐怖があり、基本戦略が「適応」となっている。それによって出来ることも増えたけれども、今回の情緒的巻き込まれは、適応戦略1本でやっていくことの限界のサインなんだろう。具体的にいえば、その場でNoが言えない。違和感や怒りを感じても、一旦持ち帰って何とかする方法を、これまでずーっと取っていたので、その場での言い方が分からない。その結果、出来事の後で・相手が知らないところで、自分が我慢すればいいとか、自分の感じ方を変えるしかないと考えるので、本来相手の領分であることすら自分の領分として考えるようになっていく。

 適応戦略は仕事の上達スタイルとも密接で、私の場合は今まで「その職場での最適に適応しようと、人から吸収する(模倣する)」でやってきた。これが悪いというより、思考をトレースするやり方を、やらなくていい範囲まで広げてしまうと、相手との境界線が曖昧になるんだと思う。

 話が逸れるんだけど、実は高校卒業して働いたところでも似たような状況(上司に、情緒的に巻き込まれた状態)に陥っていたのではないかと思っている。その時は気づかなかったけど。今回との共通点として「部署が小さい」「上司はプレイヤーとして見るととても優秀だけど、マネージャーとしては別」「自分と20歳以上年齢が離れている」「後輩・後進が続かないところに自分が来て、今までの人より続いている」。
他にも共通点はあって、その時の上司(男性)に対して私は「父親みたい。すごく頼れるし尊敬しているけど、同時に同じかそれ以上に怖い」と思ってたし、今回の上司(女性)に対しても「母に対してしんどさを抱える娘、みたいな感覚になる。」と思ってた。要するに家族観が絡んできてた。記事中にACのケアテイカーという単語が出てくるけど、自分の場合も「家庭での立ち位置・振る舞いから習得した対人関係のパターン」という問題が大きく影響しているのだと思う。その結果として、その人に対して感じるしんどさを表す時に、感覚として「父みたい」「母と娘みたい」という言葉が出てきたのだろう。ちなみに、父は自分が小さい頃に家を出て行ったし、母と上司は全く似つかない性格なので、関係性を再演しているのはあくまで自分というのが、なんか苦笑いしてしまう。

 相手側の要因としては、記事にあるような、自他境界において相性が悪いタイプだったことが挙げられる。

侵入的な人(他人の領域に自分を広げるタイプ)
・自分が考えていることは相手も考えているはずだ
・自分が困っているんだから相手にそれは伝わってるはずだ
・自分のルールは相手にとっても守らなければならないルールだ

 一言で言うと「仕事をするには相性が悪かった」。職場環境上、「2人っきりの状況が起こりやすい」「仕事の話から価値観とか考え方の話に繋がることもある」のと、2人とも感覚が独特で孤独感が強いので、互いに「分かってしまう」「分かってもらえる」感がよく生じていた。それが一体感でもあったし、言い方を変えれば境界線がなかったのだと思う。ASD由来の独特な「人との一致感を感じる嗅覚のようなもの」も裏目に出たなと思った。

情緒的巻き込まれはどういう状態だったか

実際にその状態で、自分の内側に何が起こっていたのかも残しておこうと思う。

 まず仕事上での判断基準・ 行動基準が、自分軸ではなくなり、相手軸になる。「(自分がこう動いたら)この人はどう考えるか・この人はどんな反応を返すか」を常に考えている状態。なぜこれがうまくいかないかというと「そもそも一貫性のない反応をするタイプの人に対して、反応という決してこれまた決して分かりようのないものについて悩んでいる(常時悩んでる・心配している状態になる)」ので、まぁ..そりゃ破綻するよね..。

 自分の情緒的巻き込まれについて、これが象徴的なエピソードかなと思うのが、「相手の愚痴を聞き続ける」。いや、ほんとーにしんどかった。ちなみに労働時間8時間のうち4時間聞いてたとかもざらだった。(今も言葉にしながら引くわー…。愚痴る方も愚痴る方やし、聞く方も聞く方…。

 私の場合、どういう状態になったかというと、常に「葛藤」の状態だった。相手への”怒り”を抱えながら、同時に過剰に”気にしている”。上のエピソードでいうと、怒りは「自分じゃ解決できないことを延々と愚痴られること」「自分の仕事を進めたいのにする時間がない」。でも相手を過剰に気にしてしまうから、Noのアクション、例えば「この仕事したいんで集中していいですか」「1日の作業時間決めませんか」と相手に伝えることが出来ず、なんなら真摯に話を聞くというケアをしてしまう。結果、状況は変わらず、内側に溜め込み続け、爆発したら他の人に聞いてもらう、の繰り返しだった。自分でも抑えられないぐらい怒りがあるんだけど、「相手に負の感情を抱いていることを微塵も悟られてはいけない」という恐怖感があるので、上手なNoというか、状況の変化が作り出せず、相反するものが拮抗して身動きが取れない状態。

 ちなみに、読めるはずのない相手の機嫌ばかり伺っていると、次第に相手に自分がコントロールされているような気分にもなっていた。それはとても被害的なモノの考え方だと思うけど、「私はわたしなんだから、コントロールすんなや!」という(それこそ)母に反抗する娘のような怒りもあった。後半1年については上司のコンディションもよくなくて、上司の一貫性のない不機嫌に対して、自分のAC的な立ち振る舞いが加速して、よりしんどかった。それと、利用者を向いて仕事ができなくて、上司の方を向いて仕事をしている、というのも自分にとってはしんどかった。

 そして「自分がない」とよく泣いていた。記事でも、真空状態な自身に、他人の情緒が侵入してくるという説明を見て、まさに!と思った。一方で、しんどさを打ち明けた、もしくは抑えきれずに溢してしまった数人からは「どしたんどしたん、何言ってるん?めちゃくちゃ自分を持ってると思うよ。仕事見てたら分かるよ。」と言ってくれたんだけど、ほんとーーに「自分には自分がない」と苦しんでた。周りからも不可解だっただろうなと思う。

そんな中で効果があったこと

 最後の方にすこーしだけ出来るようになったことで、感情の振れ幅が少しだけ小さくなった気がするので、一応あげておく。

課題の分離と評価。しんどいと思う出来事が起こったら、自分の課題と相手の課題に1つずつ切り分けていく。んで、”相手の課題(自分じゃどうしようも出来ない。向こう側)を評価する。
自分の中でよくあった事例として例えば、上司から注意を受けた。→内心で「んで、どうしろって言うねん…。前と指示、違うやん…。」とその注意に囚われ続けるのは”自分の課題”。その場で矛盾を指摘できなかったり、「あの時こう指示されたので自分は動きました」と説明できないのは自分の問題。でも、その注意の最後に「まあ、あなたが責任取れるっていうなら好きにしたらいいけど(でもどうせ取れないでしょ?)」と脅しをセットにするのは”相手の課題”。そして「業務上の注意に脅しをセットしてくる人と自分は働きたいか」を評価する。そうすると、自分と相手は違う存在だということを理解できるというか、一体化している自分を相手から少しずつずらせていった気がする。
自分の場合「しんどくて混乱していて、ただただ退職したい」の状態から、「状況や考えを整理して、退職を選択する」にステップアップするのに、この方法が効いたかな。逆に言えば、自分の課題(Noと言えない)を理解したから克服できたとかいうことではない。せいぜいその場から離れる選択を取るようになっていったぐらい。でもそれすら以前は出来なかった選択なので、変化ではあるのかもしれない。

不安から攻撃する人もいることを理解する。前の上司についても、今回の上司についても、人に相談したときに「その上司、あなたのこと大好きなんやねぇ。囲い込みたいんやねぇ。」「その人、めちゃくちゃ不安が高いのでは。不安が攻撃性になるタイプかな。」と言われたことがある。それが事実かは置いといて、そういう原理で動いているのかもしれないという見方を得ると、相手の分からなさが少し説明されて、ほんとにすこーし楽になった。最後の方は”あー、今不安で私にしかその攻撃性を出せないからこうやって出してるんだな。””甘えられてしまってんねんな”と眺める自分もいた。
(眺めるとか言いながら、「いや!やっぱ!なんで!私が、攻撃、されな、あかんねん!」と泣いてたけどね!

今後に向けて

ここまで「情緒的巻き込まれの渦中」について散々書いたけど、もしまた情緒的巻き込まれが発生したら、残念ながら同じ結果になると思う。少なくともいまの自分には違う対応はまだできないから、そこまで行ったら手遅れな事象だと思う。なので考えるべきは「予防」かなぁ、と。

(こういう言い方はよくないが)、上司は人間のタイプとして結構レアではないかと思うし、職場の環境も踏まえたら、再現性としては低いと思う。ただ、自分の振る舞いが、相手からそういう振る舞いを引き出した部分も大きいと思うので、一人の人に対して”受け取りに行きすぎない”は意識したい。適応・トレースは、呼吸するようにしてしまう部分もあるので、意識的に止めるのが大事なのかなぁ。

そして「相手の性格とか好き嫌いで仕事をする必要なんてない」と人に言われてハッとした。「・・・・・・ですよね!!!!!!なんで言われるまで忘れてたんだ!!!!!」ってなった。ここまで書いてきたことも、家族とか知人と起きたことじゃなくて、上司と起きたことってのもちょっとゾッとする。忘れないようにしたい。
自分の場合、入りとしての尊敬(この人、めっちゃ仕事できる。どういう風に物事を見てどういう風に考えてるのかめちゃくちゃ興味ある、知りてー)が、好きと混ざりやすいのかなと思う。仕事に身を入れすぎてしまうタイプなので、あえて「どこまで行っても、たかが仕事っすから」と斜に構えるような感じを自分の中に意識して置いておいたほうがいいのかもしれないと思うようになった。


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