片耳の作業療法士 ~カルテNO,6~


#創作大賞2024
#お仕事小説部門

カルテNo,6  救いの言葉


 私の場合、病気をしてから約一ヶ月半で職場復帰したのですが、かなりの重症だったので、その時点での職場復帰は、本当に辛いものでした。やっとステロイドの副作用が抜けたかな、という感じで、まだくらくらしていたし、すぐ疲れちゃうし。でも、患者さんの前で泣いたり、弱音を吐いたり、当然だけど倒れたりできないから、とにかく必死です。たとえ私が倒れたとしても、患者さんだけは守らないといけないですものね。患者さんの下敷きになったとしても、患者さんだけは命がけで守る決心で、復帰をしたわけです。

でも、なんでそんな状態なのに復帰したのだろう。そもそも、復帰はもう少し先でも良かったのではないだろうか。後になると、冷静に考えられる自分がいます。でもね、その時は、とにかく必死だったの。今までの自分を取り戻す為に、必死にならざるを得なかったのかもしれません。


病気になってすぐの話です。診察の順番を待つ間に、私は職場に行って、申し送り等の書類を書いていました。外来に来てくれる子供達や、骨折後のリハビリに通ってくれている患者さん達。そして、病棟で待っていてくれる患者さん達。みんなの顔を思い浮かべながら。何より、迷惑をかけてしまう職場のスタッフの為に、少しでも役に立てればと、必死になっていました。

でも、その頃の私は、まっすぐ歩く事も出来ないし、起きているだけで疲れるし、何かを考える事だって、本当に大変な状態です。それでも周囲に悟られて気を遣わせないように、平静を装って、気丈に振舞って、患者さん達の申し送りや、転院に必要な書類を、治療の合間に職場に通って、まとめていました。体調が良い訳ではないから、なかなか作業も効率よく進まない上に、患者さんの人数も多く、とても一日二日で終わる量ではありません。それでも患者さんの顔を一人一人思い浮かべながら、思いを込めて申し送りを書いていました。

書類の整理が、そろそろ終わろうとしていた頃でしょうか、OTの上司に声をかけられたのは。その日もいつも通りに点滴治療を終えて、帰宅前に書類を整理していました。

「永野さん、今ちょっと時間いいかな。」

そう言うと、作業をしている私の横の席へ腰を下ろします。

「はい、大丈夫です。」

「体調はどうなの?」

「はい、まだ眩暈はしていて、まっすぐ歩ける状態ではないですが、車は一人で運転できるようになりました。耳は相変らず聞こえないですけど。先日、脳のCT撮影をしたので、結果が分かるまでは、ステロイドで治療している状態です。」

「そっか…。」

少しの間、沈黙が流れます。私は、もっと具体的に体調の説明をするべきか、患者さんの連絡事項を伝えるべきか、上司が聞きたがっている情報は何だろうと考えていました。私の変化した身体の状態をうまく説明できれば、患者さん達の治療の参考になると思っていたからです。

「あのさ、他のスタッフの事も考えて、辞めてくれないかな。」

それは、思ってもいない言葉でした。

「主任とも話をしていてさ、永野さんが辞めれば、他の子を雇えるんだよね。みんなも、そうして欲しいって言ってるし。永野さんは、その辺の所、どう考えてるのかな。」

私の体調を心配して聞いてくれていると思っていました。でも、違いました。そこに、心配している素振りは一つもありません。

「その状態じゃ、もう仕事は無理でしょ。」

その言葉は、私にトドメを刺しました。私を心配していた訳ではなく、私に烙印を押すために必要な情報を聞き出していただけなのです。

突発性難聴なのか、脳の腫瘍なのか、検査結果が分からない状態で言われたこの言葉は、私にとって、死を宣告された事と同じでした。相手は、脳の画像診断にも精通している上司です。『そっか、私は死ぬのか、だからもう働けないのか、そうなのか。』判断能力の鈍った私の脳みそが、『死ぬ・死ぬ・死ぬ・死ぬ・死ぬ』と繰り返し、自分の死の宣告を始めました。

何も返答できずにいると、リハビリ室と事務所の間の扉が開きました。患者さんのリハビリを終えたスタッフが、何か飲もうと、事務所に入ってきたのです。私は凍り付きました。たった今、あなたは死ぬから、すぐにでも仕事を辞めるようにと言われた私は、まるで公開処刑をされている気分です。みんな、この事を知っているのだろう。知っていて、冷たい視線で私を見ているのだろう。もうすぐ死ぬのだと、そう思っているのだろう。この瞬間から私は、全てのリハビリスタッフの目が見られなくなりました。自分に向けられた視線の全てが、死を宣告されているようで怖かったのです。

「考えておいてくれる。」

切り捨てるように言って席を立ち、上司はリハビリ室へ戻っていきました。いえ、本当に切り捨てたくて、切に願って言った言葉だったのでしょう。

残された私の頭の中では、『考えるって何を?死ぬことを?私はもう死ぬの?考えるの?死ぬことを?』と、死刑宣告が繰り返されていました。この時の表情を自分では確認できませんが、きっと、真っ青になっていたのではないでしょうか。死ぬことも考えていなかったわけではないけれど、自分で思っているのと、他人から、しかも医療の専門家から言われるのとでは、こんなにも違うんだ、こんなにも苦しくなるんだ、息が出来なくなるんだ、と思わずにはいられませんでした。

休憩に戻ってくるスタッフが、入れ代わり立ち代わりしている場にいる事が辛くて、私は早く逃げ出したいと思いました。でも、申し送りの書類作成が残り数行で終わります。これを終わらせてしまわないと、患者さんに、スタッフに迷惑がかかります。だから、終わらせよう。早く終わらせよう。焦る気持ちを、逃げ出したい気持ちをコントロールして、少しも頭を動かさずに、他の誰にも顔を見られないように、ただひたすら、作業を続けました。


逃げ帰った我が家には、病気になった私を支えるために、今まで気丈に振舞っていた母が、早くから布団を敷いて横になっていました。母も、限界が来ていたのでしょう。こんな姿の母をみるのは、初めてでした。でも、今の私に、母を気遣う余裕なんてありません。

「お母さん、ごめん。疲れて寝込んでいる所、申し訳ないんだけど、私、泣いてもいいかな。」

言ったとたん、今まで抑えていた涙が、一気に溢れ出しました。三十歳を過ぎて、こんなに号泣するとは、誰が思ったでしょう。ましてや母の前で、こんなに泣くとは思ってもいませんでした。

「何、何があったの。」

辛そうに起き上がる母に、私はもう一度謝りながら、どうにか声を絞り出しました。

「辞めろって言われた。もう、仕事は無理だろうって。」

しゃくりあげながら話す私の言葉は、ちゃんと伝わっているのでしょうか。病気になってから、母の前では絶対に泣かないと一人心に誓っていたのに、こんなにも簡単に誓いを破ってしまうなんて。でも、涙は止まりません。どのくらいの時間、泣いていたのでしょう。自分でも覚えていません。ただ、涙が枯れる経験を、私は初めて体験しました。

次の日、体重計に乗ったら、一日で1kg減っていることに驚きました。ステロイドの副作用で、太ると言われていたのに、です。そして、どんなに気落ちしていても、ステロイドの点滴は毎日行わなくてはいけません。本来ならば入院して治療するべき病状でしたが、あいにく病院には耳鼻科のベッドが無く、通院治療となっていたのです。幸いな事に、この日、病院は休日でした。

「お母さん、私、仕事辞めるね。今日は休みだから、自分の私物を全部持ってくるよ。で、主任がいる時に、辞めるって伝えてくる。」

「美智瑠の好きにすればいいよ。送って行こうか?」

「ううん、大丈夫。一人で行けるから。」

 あんなに休みが欲しかった私が、皮肉にも毎日病院に通っています。休日まで病院に行く事になるなんて、本当に皮肉以外の何物でもありません。


病院に着いた私は、点滴治療を終えてすぐに、誰もいないリハビリ室の扉を開けました。いつもは活気溢れるリハビリ室ですが、誰もいない空間は、本当に寂しく感じます。ここで、沢山の患者さん達と時間を共にしてきた私ですが、自分の病気で、それも失います。でも、誰にも必要とされていない今の自分は、ここにいる資格がありません。

五分と起きていられない体力の乏しくなった私ですが、力を振り絞って、事務所に置いてある荷物の整理を始めました。リハビリ室の傍に車を移動させ、繰り返し荷物を運びます。空っぽに近い状態になった机は、誰の目から見ても、私の決心を理解出来る事でしょう。これが私の最後の仕事かもしれません。

誰もいないリハビリ室を見渡し、一礼します。でも、涙は出ません。後悔も、出来るはずがありません。だって、何を後悔したら良いのでしょうか。必死に患者さんと向き合っていた自分を後悔したら、患者さん達に合わす顔がありません。もっとも、もう患者さん達に会う事は無いのだろうけど。

「そういえば、OTの誰も、私に『大丈夫』って声掛けしてくれる人はいなかったなぁ。」

リハビリ室のカギを閉めた私は、役目の終わった手のひらのカギを見つめて、虚しさを握りしめました。

「よしっ、帰りの車の中で、思いっきり泣くぞっ!」

全ての荷物を車に積んで身軽になった私は、手すりをしっかりつかんで、まっすぐ前を向いて病院を後にしました。


休日明けの月曜日、今日も点滴治療のために通院です。きっと、何もなくなった机を、不思議に思っているスタッフもいるはずです。声をかけられたら、何て答えればいいのだろう。そんな不安いっぱいで、診察を待ちます。でも、もうリハビリ室に行く用事はありません。悩む必要もないのかもしれません。でも、私の様子は明らかにおかしかったのでしょう。点滴仲間の楓子さんが声をかけてくれました。

「どうした?何かあった?」

楓子さんは、帯状疱疹の治療が遅れて、顔面に麻痺が出ている30代の女性です。年齢が近い事もあり、診察を待つ間、よく話をするようになりました。麻痺で閉じられなくなっている右目と口元を隠すため、帽子とマスクを外す事はしません。

「ちょっとおいで。」

答えられずにいる私を引っ張り、トイレの中へ連れていきます。

「何があったの?そんな顔して、大丈夫?」

その言葉に、私は不覚にも泣いてしまいました。

「うん、ちょっと、色々あって。」

そう返すのが精いっぱいでした。仕事を辞めろとか、もう仕事が出来ないとか、そんな事を言われた事実を伝えることは、自分で自分に烙印を押すようなものです。立ち直れず、泣き崩れてしまうことでしょう。

「誰も助けてくれないよ。」

楓子さんの言葉は、意外なものでした。

「誰も助けてくれないんだよ。わかってる?」

その言葉は強く、そして優しい言葉でした。

「分かってる…。」

そう答えた私でしたが、実は分かっていませんでした。そもそも誰かを助けたくてなったOTという仕事です。私は、誰かを助けたいと思い続けてきました。だからきっと、人は助け合えると信じていました。でも、誰も助けてくれない。今の私を助ける人は、家族以外、誰もいないのかもしれない。

「自分中心に考えなきゃ。無理しなくていいよ。」

楓子さんは、心配そうに、私の顔を覗き込みます。

「落ち着くまで、ここに居たらいいよ。順番が呼ばれたら、教えてあげるからね。」

「はい。ありがとうございます。」

私を一人残して、楓子さんは待合所に戻っていきました。楓子さんの言葉は、私の心に突き刺さりました。でも、この言葉で私は、絶望でなく、希望を見出す事が出来たのです。

「誰も助けてくれない。」

気づくと、楓子さんの言葉を繰り返していました。誰も助けてくれない、本当にそうだ。私、助けて貰おうとしていたんだ。だから、こんなに傷ついている。いつのまにか、甘えていたんだな、私。

その後も、事ある毎に、呪文のように繰り返します『誰も助けてくれない』と。主任の在不在を確認するために、同僚に声をかける時も、心の中で唱えました。『誰も助けてくれない』と。そして勿論、主任に辞職の気持ちを伝える時も、心の中で繰り返していました、『誰も助けてくれない』と。


「なんで辞めるなんて言うんだ。」

主任は、私の言葉に驚きを隠せない様子で、理由を訊ねてきました。私は『誰も助けてくれない』と心の中で繰り返し、もう、失うものは何もないのだから、全てを伝えて、一つだけお願いを聞いて貰おうと考えていました。

「OTの上司に言われたんです、辞めて欲しいって。私が辞めれば、他にOTを雇えるから、みんなの為に考えてくれって。なので、私は辞めます。でも、一つだけお願いがあって、まだ正式な病名も分かっていない状態で、治療は続けなければいけないので、健康保険だけは使えるようにして貰いたいんですけど。お願いできませんか。」

「はぁ~」

主任から、深い深いため息が洩れました。

「それ、あいつが言ったの?はぁ~、何を言ってるんだ、あいつは。」

「みんな辞めて欲しがっているって聞いてます。」

「俺は、そんな事思ってないからな。絶対に復帰させようと、色々考えてるからな。そりゃ、もしもの時のことは考えないといけない立場だから、求人のことも話したりはしたけど…。はぁ~、何でそんな事いうんだよ、信じられないよ。」

またしても、不覚にも、不本意にも、涙が溢れだしました。どうしてこんなに涙が出るのでしょうか、そして、止まらないのでしょうか、わかりません。相手を困らせるだけの涙なんて、流したくないのに。

「ごめんな、求人の事は人事に確認はしたけど、それは永野さんだけの問題じゃなくて、他の子たちも結婚で辞める可能性とかもあるから確認しただけで。永野さんを辞めさせたいなんて、俺は本当に思ってないからな。永野さんが復帰する方法とか、タイミングとか、そんな事も話していたんだけどな。」

ずっと泣き続ける私と、深いため息を吐き続ける主任と、どうしたらこの重苦しい雰囲気を終わらせられるんだろうかと、泣きながらも考える私です。でも、思いきり泣いて、抱えていた辛さを吐き出したら、少しだけ肩の力が抜けました。忙しい時間を割いて、私の話に耳を傾けてくれた主任を困らせてしまいましたが、今は自分中心でいい。楓子さんが言ってくれた言葉です。

「いいか、永野さん。絶対に復帰しろよ。復帰して辛かったら、その時は辞めればいい。でも、絶対にこんな形で辞めるなよ。そんなの、俺が許さないからな。だって、悔しいだろ、こんなの。俺がちゃんと守るから。安心して戻ってこい。待ってるからな。」

今は主任を信じるしかありません。主任だけは、辞めて欲しいなんて思った事はないと、嘘でも言ってくれました。でも、他のみんなは思っているのかもしれません、すぐにでも辞めて欲しいと。それは、否定できません。ただでさえ忙しいリハビリの仕事。病気になるほど忙しかった私の仕事を、同じように忙しい同僚たちで分け合うことを考えた時、それは本当に大変な仕事量になります。他人の事よりも、自分の心配をしても、仕方がないのかもしれません。私が辞めれば、代わりに誰かを雇えれば、自分が楽になるのであれば、それにすがってしまうものなのかもしれません。


そんな訳で私は、支えになってくれた主任のサポートもあり、復帰をしました。復帰前に主任は、OTの上司と仲裁の場を設けてくれましたが、私は上司の目を見る事が出来ませんでした。その頃には、突発性難聴という診断も正式におり、命に係わる病気ではないと分かっていましたが、やはり死の宣告を受けたと思い込んだ傷は消えず、上司と一緒の空間にいる事さえも恐怖でしかありませんでした。

上司はと言うと、主任から相当絞られたのでしょうか、やはり私と話す事が苦痛の様でした。私から見れば、悔しそうでもありました。

そして、私が苦労して作った申し送りですが、入院患者さんの申し送りは役に立ちませんでした。やはり、内科病棟まで手が回らず、PTとSTのみの対応にして、OTは介入しなかったそうです。そんなことなら、辛い思いをしてまで、申し送りを書かなくても良かったな、と思います。でも、あの時の私は、申し送りを書く事で、患者さん達への懺悔をしていた事も事実です。病気をしてしまった事で、待っていてくれる患者さん達の貴重なリハビリの時間を奪ってしまったのですから。だから、申し送りを書く事は、無力な私の心の支えにもなっていました。

そして、楓子さんの言葉は、どんな励ましの言葉よりも、心配してくれる言葉よりも、私にとって心の支えになりました。あの言葉が無かったら、きっといつまでも前を向けなかったと思います。

「病気をすると、自分に向き合っている人の気持ちがよくわかるよ。気持ちがあって世話をしてくれるのか、気持なんてないのか、この立場になると、よくわかるんだ。」そんな言葉を患者さんから頂いたことがあります。もしかしたら、勘違いして解釈する事もあるかもしれません。でも、私も病気になって感じた事が沢山あります。

『誰も助けてくれない』という言葉は、冷たく感じる方もいるかもしれません。でも、私にとってその言葉は、何よりも力を与えてくれました。そこには『気持ち』があったから。楓子さんも、辛い思いを重ねてきたのだと思います。様々な事を失っていたかもしれません。そして、最終的に自分を守れるのは自分。誰も助けてくれない。だから無理はしない。そう、自分に言い聞かせていたのかもしれません。

でもね、私やっぱり、誰かを助けたいんです。迷惑がられても、嫌がられても、裏切られたって、誰かの助けになりたい。何も変わらなくても、ただ傍にいて、ただ一緒にいて、笑ったり泣いたりするだけで、活きる理由になる事だってあるから。

『誰も助けてくれない』、そんな救いの言葉があっても、悪くないよね。


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