片耳の作業療法士 ~カルテNo,3~


#創作大賞2024
#お仕事小説部門


カルテNo,3  大和さんと左手

 お昼休み、リハビリ室の電話が鳴っています。スタッフの一部は治療台で昼寝をしていたり、食堂でランチ休憩中だったり。電話の一番傍にいた私は、OL時代に叩き込まれた癖で、ベルが鳴ると同時に受話器を取りました。

「はい、もしもし・・・」

「・・・」

「はい、もしもし・・・」

「・・・」

「もしもし?」

「・・・」

「もしもーしっ?」

「・・・」

プツッ、プープープー

 ん、何だろう今の電話、と思ったのもつかの間。

「やっちゃったぁ~!!」

昔からの癖で、つい、左手で受話器を取ってしまいました。そうすると、聞こえない側の耳に受話器を当ててしまうことになるのです。右手でメモを取る事を考えると、左手で受話器を取るのが一番効率的ですものね。

電話の電子音は何となく聞こえるようになってきたけど、相変わらず人の声は聞こえない私です。こういう何気ない瞬間が、聞こえなくなってしまった現実を突きつけられます。不便だなって思っても、聞こえなくなってしまったことは仕方がない事ですからね。

それにしても、いったい、何の電話だったのでしょう。半分聞こえないくらいの障害は諦めがつくけれど、こうして他人に迷惑をかけてしまうことはショックです。落ち込まずにはいられません。

そうそう、迷惑といえば、私の何気ないひと言で、患者さんを泣かせてしまいました。泣かせたことが全て迷惑かって言えば、違うのかもしれないけど、とにかく泣いてしまった事は事実。泣いたり泣かせたり、それがどれだけ他人の迷惑になるのかはわからないけど、他人に迷惑をかけながら生きるっていうのも、活きている証なのかもしれないですね。

  

初めてお会いした時の大和武雄さんは、自分の気に入らないことがあると、ベッド柵をバンバン叩いて、とても反抗的な方でした。看護師がケアをする時もバンバン、リハビリで手足を動かす時もバンバン。挙句に、ご家族が話しかけてもバンバンバン。大和さんの手が痛くなるのではないかと、心配になるほどでした。

脳梗塞を発症した大和さんは、右半身に麻痺が出ただけでも辛いのに、失語症のために自分の言いたいことが伝えられません。だからと言って、人を殴って八つ当たりをしたりはしません。暴力はよくないと分かっているのかしら。むしろ、ベッド柵を叩くというよりは、自分の手を傷つけているようにさえ見えます。大和さんが暴力的になるには、それなりの理由があるのでしょう。

失語症の患者さんでは、十分な声掛けがされないことが多々あります。何故って、話しかけても返事が返ってこなかったり、理解ができないと思われているからです。大和さんも例外ではなく、声もかけずに、いきなり寝返りさせられたり、ズボンを引っ張り降ろされて、お尻を拭かれたり。そんな時に決まってバンバン。お気に入りの看護師の様子を見ていると、当たり前のように声かけをしたり、身体にソフトタッチの合図をしてからケアをしているものね。リハビリだって同じ。いきなり手足を動かされたら嫌だし、寝ていたいのに、無理やり起こされるのなんて、大和さんにしてみたら迷惑以外の何物でもないですよね。

そんな大和さんの気持ちに気づいていても、大和さんに本気で拒絶されていると気づいていても、リハビリはやらないといけないのです。手足を動かすと痛いのは、動かさないことで拘縮が出来つつあるから。寝ていたいのは、体力がなくて疲れるから。そしてこれらを放置すると、あっという間に寝たきりになってしまいます。それをわかっていながら、本人の気分に合わせて職務放棄をするわけにはいかないですもの。

そんな訳で私は、必死に説明をします。

「大和さん、痛いけど、このまま放っておくと、もっと痛くなっちゃうからね。なるべく痛くないように、手も足も動かすからね。ごめんね。」

痛みが出るだろう関節周囲を擦りながら、優しく優しく伝えます。今、擦っているところを動かすからね、と付け加えることも忘れません。

ベッドから起こすときも、出来る限り痛みが出ないように、しっかりと身体を支えます。そのおかげで、私の上腕二頭筋と大腿四頭筋は、一般女性の筋肉よりも、はるかに逞しくなってしまっていますが、そんな事は言っていられません。痛みを与えてしまったら、その瞬間に、大和さんとの信頼関係が崩れてしまうのですから。信頼を得るのは難しいのに、壊すのは一瞬です。

「大和さん、寝てばかりだと体力が落ちちゃうから、少しでも座ろうね。私が人間座椅子になって支えるから、大丈夫だからね。でも、辛くなったら教えてね。すぐに横になろうね。」

大和さんは失語症ですが、黙って私の言葉を聞いています。

そうそう、大和さん。拒否をしてしまうから、失語症の検査がスムーズにできないのです。だから、どこまで理解できているのかも、正確にはわかりません。でも、こうして接している中で、大和さんの残された能力が発揮されます。私は、大和さんも、大和さん以外の失語症の患者さんも、きっと理解をしてくれると信じて、いつも接するようにしています。だって、相手は一人の人間ですもの。

 

大和さんの作業療法オーダーには、『麻痺した右手が使えなくなったので、左手で食事ができるように』と記入されていました。だから私は、昼食の準備がされる頃、大和さんの病室へ行ってみました。すると、家族に手伝ってもらい、一生懸命に食べています。80歳とは思えないほど大きな口を『あーん』と開けて、食べ物を入れてもらっている様子は、まるで子供のようで可愛くもあります。

でも、私が来たことで、慣れない左手を使い、自分で食べなくてはならなくなりました。そのせいでしょうか。ベッド柵をバンバン叩いて、『いやだ、いやだ』って訴え始めました。私、嫌われちゃったかな…。そんな不安で、胸が締め付けられます。でも、ご飯を食べるって、自分で食べるから美味しいんです。それを感じてもらえるまで、少しずつでいいから、前進するしかありません。脳卒中で片側に麻痺がでた場合、反対側の手足が動くからといっても、病気になる前と同じようには使えなくなることがほとんどです。だから、大和さんの機嫌が悪くなるのも仕方ありません。自分の思い通りにならないんですものね。

それでも、大和さんの努力が功を奏して、少しずつですが、自分でご飯が食べられるようになってきました。まだまだ時間はかかるし、食べこぼしもあるけど、大和さんは一人で食事ができることに、ご機嫌な様子です。でも何故だろう、私が食事の時間に会いに行くと、途端に自分で食べてくれなくなります。私と目が合うと、『バンバンバン』とテーブルを叩き始めます。やっぱり、嫌われちゃったかな…。それでも私、へこたれずに病室に会いに行きます。

「これからは、トイレに行くために、起きたり、座ったり、立ったり、車椅子に乗り移ったり、いろんな練習しましょうね。」

次の目標をもってもらいたくて、私も挫けずにバンバン声掛けします。でも大和さん、疲れたり、飽きたりすると、いつものように、『バンバンバン』と始まります。今日も私、嫌がられているかも…。さすがに私だって、心が折れそうになります。そんな私の気持ちなどお構いなしに、大和さんは『バンバンバン』。私の心も痛いけど、大和さんの手の方が痛そうです。

そんな毎日を繰り返していると、『バンバンバン』が減ってきました。代わりに、左手をパタパタさせています。手を振っているのか、それとも私を呼んでいるのか。どうにもわからないので、私も手を振り返してみました。すると大和さん、今まで見たこともないような笑顔になるじゃないですか。笑顔のまま、私に向かって、大きな左手を振り続けてくれます。たまらず私、近づいてみました。すると、大和さんの大きな左手が、私の手をつかまえて、上下にリズムよく振られています。あれ、なんだか私も楽しい気持ちになってきました。思わず、二人一緒に笑顔になります。大和さんの左手、きっと『おいでおいで』って意味だったんだね。私は嬉しくなって、継いだ手をそのままに、大和さんの顔を覗き込んで話しかけます。

「今日は、ご機嫌いかがですか?」

「あー」

「今日も、動く練習しましょうか?」

「あー」

すべて「あー」で返してくれます。

いつの間にか、左手ひらひらの『おいでおいで』が二人の合言葉になりました。『おいでおいで』、『いくよいくよ』。『おいでおいで』、『いくよいくよ』。その度に私、心の中で呟きます。『ありがとね、大和さん。』

  

それからも大和さん、私の顔を見ると、ニコニコ笑って、『おいでおいで』と手招きしてくれるようになりました。それはもう、私がどんなに忙しくても『おいでおいで』。隣のベッドの患者さんのリハビリをしていても『おいでおいで』。困ってしまうくらい、嬉しいやら何やら。今では、座る練習も立つ練習も、本当に上手になりました。そんな大和さんも、最初はどんな動きの練習でも、ただ座るだけ、何なら寝ているだけでも、とにかく全身に力が入ってしまい、リハビリと聞くだけで『はぁはぁ』と息切れして、体力を消耗していました。脳梗塞による筋緊張の問題もありますが、きっと、頑張ろうとする気持ちが拍車をかけ、全身に力が入ってしまっていたのかもしれません。そうはいっても、まだまだ練習中の大和さん。一人では座れないし、すぐに疲れてしまいますけどね。

 

その日も、いつものように関節を動かし、座る練習や立つ練習をしていました。少しでも気に入らないことがあると、バンバンとベッド柵を叩きますが、リハビリは一生懸命に取り組んでいます。少し疲れのみえ始めた大和さん。いつものように、隣に寄り添って座り、休憩をすることにしました。

「大和さん、本当に上手になりましたね。こうやって座っていても、楽になりましたよね。力を抜いて、猫背で座れるようになったものね。」

なんて、何気なく声をかけました。失語症でも、あまり理解ができなくても、良くできた時は、沢山褒めます。すると大和さん、急に泣き始めました。

「ど、ど、どうしたの?」

慌てて問いかけた私の声が、引き金を引いてしまったのか、大和さんの声が病室中に響きます。

「うあああああぁ~」

「なに、なに、なに?嬉しかったの?」

「うああああぁ~うああああぁ~」

大和さん、更に泣いてしまいました。

「今まで、泣いたところは見たことないのに。」

隣で見ていた奥さんも、びっくりした様子でつぶやきます。

そんな周囲の様子を知ってか知らぬか、大和さんは大声で泣き続けます。

「うああああぁ~うああああぁ~うああああぁ~」

声をかける度に、より一層、声が大きくなります。火に油を注ぐとは、まさしくこのことかもしれません。

今まで、気に入らないことがあると、ベッド柵をバンバン叩いて抵抗していた大和さん。入院してからというもの、注意されたり、嫌がられたりしたことはあっても、褒められたことは無かったのかもしれません。そもそも大和さんは80歳。入院前も、褒められることなんて、めっきり少なくなっていたことでしょう。それが病気をして、自分の身体が思い通りに動かなくなっただけではなく、気持ちを伝えることさえままなりません。困らせることはわかっていても、周囲に悪態をついて抵抗するしか方法のなかった大和さん。もしかしたら、悪態をつくつもりもなかったのかもしれませんね。ただただ病気と、新しい自分の身体と戦っていた大和さん。訳も分からず、必死に私に付き合ってくれた大和さん。上手に座れたから、褒められたから、そんな単純な気持ちで泣いた訳ではないのかもしれません。やっと気持ちが通じた、それが嬉しかったのかもしれませんね。

大和さんの奥さんと私、同じことを考えていたのか、二人してもらい泣きしてしまいました。私が泣かせたのか、泣かされたのか、もうどちらでもかまいません。でも、泣いた後は、笑いたいよね。

「大和さん、そんなに元気が残っているなら大丈夫。もう一回、立つ練習しましょうね!!」

泣きながらも、ちょっぴり引きつった表情を浮かべた大和さんでした。



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