片耳の作業療法士 ~カルテNO,1~


#創作大賞2024  
#お仕事小説部門

(あらすじ)
急性期の病院で働く作業療法士の永野美智瑠は、突然の病に倒れ、片方の耳の聴力を失ってしまう。それでも『今年は楽しく生きる』と目標を立て、患者の待つ職場へ復帰を果たす。働き盛りの夫が車椅子生活になった夫婦、ダウン症の3歳の男の子、右片麻痺と失語症で思うように気持ちを伝えられなくなった80代の男性や、生きる事を諦めた女性。病気や障害がある事で、各々が人生を楽しむ事を諦めそうになった時、自らも病気に立ち向かいながら患者に寄り添う美智瑠のリハビリは、何かを変える事が出来るのだろうか。そこには、それぞれの事情と、美智瑠の信念があった。



  カルテNo,1  今年の目標


私にとってこの年のお正月は、突発性難聴により左の耳が聞こえなくなって初めての一年の始まりでした。そして、仕事復帰をして、二ヶ月が過ぎた頃でもありました。まだまだ体調が優れなかった私にとって、毎日が一生懸命で、余裕がなくて、仕事帰りの車の中では、疲れ切って、情けなくて、一人泣いてしまう毎日を送っていました。だからこそ、「今年は楽しく生きる」って目標を立てて、新しい一年を活きることにしたのです。

 

外来で週に一回、リハビリを受けている天野勤さんは、進行性の筋神経疾患を患っています。健康なら、まだまだ働き盛りの50代男性、すなわち一家の大黒柱です。そんな天野さんをリハビリで担当し始めたのは、確か半年ほど前からでしょうか。進行性の疾患のため、徐々に歩行が困難となり、現在は奥さんの介助で、車椅子にのって来院するしかありません。それでも、まだまだ歩きたいと、意欲的にリハビリに取り組んでいます。

リハビリのメニューは、PTとOTが週替わりで担当します。天野さんの希望もあり、歩行練習はPT・OT関係なく、必ずプログラムに入っています。歩行を含めた移動手段の確保は生活の中で重要な要素です。トイレに行くにも、つまみ食いをするために台所に行くにも、移動は絶対に必要となります。何より、歩きたいという天野さんの希望は、生きるための希望そのものだったりします。そんな天野さんの希望を叶えるべく、歩行練習前に全身を柔軟にするため、治療ベッドの上で関節可動域訓練や寝返りの練習から始めます。

元々、都内でサラリーマンをしていた天野さんと私は、とても話が合いました。だって私も、元々は丸の内のOLだった、という過去を持っていますからね。美味しいご飯の話や、素敵なお店の話で、毎度のことながら盛り上がります。でも、天野さんは病気のせいで、私は病気になるほど忙しい仕事のせいで、久しく東京へは遊びに行っていませんでした。『そんな所まで気が合わなくてもねぇ』とは思いますが、現実とは違う懐かしい過去を思い出し、二人で妄想を始めてしまいます。

 

「天野さん、旅行に行きましょうよ、旅行!!」

 唐突で無謀とも思われる私の提案に、
「そうだね、どこに行こうか?」と、天野さんも会話にのってきてくれます。

「うーん…。天野さんは何が食べたいですか?せっかくだから、食べた事がない物を食べに行く旅行とか?」

「んー、そうだなぁ。」

「世界の珍味っていうと、フカヒレ、キャビア、フォアグラ、ツバメの巣、あとは…名前が出てこないけど、高い茸とか?ありましたよね。」

「お~、食べたいねぇ。」

 天野さんは、瞳をキョロっとさせ、笑顔になります。

「天野さんが、まだ食べた事のない物って何ですか?フカヒレとかは、日本でも簡単に食べられそうじゃないですか?」

「そうだね。ツバメの巣はどうだい?あれ、高いよね。」

「お、いいですね、ツバメの巣!!私も食べたことないですよ!じゃあ、ツバメの巣を取りに行きましょう!」

「あれって、崖とか、絶壁にあるんだよね。」

「そうですね。でも、二人で力を合わせれば、どうにかなるんじゃないですかね?」

「うん、そうだねぇ。」

日頃から、リハビリの動機づけを意識し、会話を膨らませる私です。せっかく歩く練習をするなら、目標をもった方がいいと思っている私は、ここぞとばかりに、常識では不可能と思える目標を提案してみました。もちろん、二人の妄想だから、なんだって目標にすることは可能です。

「まずは、大谷翔平を倒せるくらいにならないと。ん~、でも、格闘家とかを倒せた方がいいのかな?アントニオ猪木とか、なんちゃらホンマンとか?」

「チェホンマンだっけ?昔、テレビで格闘技みたよ。」

「そうそう、チェホンマン。あの方、大きいですよね。で、二人ならチェホンマンに勝てると思うんです。だから、まぁ、もう少し身体を鍛えて、チェホンマンを倒せるくらい強くなって、そうしたら、ツバメの巣だって取れるでしょー。」

ありえませんっ。でも、二人で笑いながらも、大真面目に計画を立てます。そんなこんなで盛り上がっていると、会計手続きを終えた天野さんの奥さんがやって来ました。

「お父さん、どお?」奥さんが、天野さんの顔を覗き込んで訊ねます。

「あー、今、ツバメの巣を取りに行く計画を立てていたところだよ。」

「ツバメの巣?食べられるヤツ???」

 突拍子もない返答に、状況が呑み込めない奥さんが訊ねます。そんな奥さんに、私は状況を説明すべく、二人の会話に参入します。

「はい、そうです。身体を鍛えて、二人で絶壁を登って、ツバメの巣を取って、料理して食べるんですよね!」

「そうそう、二人で力を合わせて。」

私の突拍子もない説明に、調子をあわせて、天野さんも相槌をうちます。奥さんはハテナマークで一杯の顔ですが、私たちがあまりにも楽しそうなので、良い意味でほうっておいてくれました。

 

今の天野さんは、車椅子がないと外出が出来ず、しばらく旅行にも行っていません。本来なら、一家の大黒柱として、家族に尊敬されている存在です。でも今は、奥さんがいないと、こうしてリハビリにも来られません。私たち三人とも、それが分かっています。分かっていながら、奥さんも交じって、大真面目にツバメの巣を取りに行く計画を立てます。それはもう、大盛り上がりです。

三人とも現実に戻ったのか、ちょっと気が抜けたような瞬間がありました。

「永野先生は凄いね。私まで元気を貰えるわよ。」

心の奥底から吐き出すように、奥さんから漏れた一言でした。

「今年はね、『楽しく生きる』って、目標を立てたんですよ。」

私は笑顔を崩さずに、まっすぐ奥さんの目を見て言いました。でもそれは、自分自身を奮い立たせるために言っていたのかもしれません。そんな私の気持ちを感じ取ったのか、その言葉を聞いた奥さんは、他の患者さんやスタッフがいることもお構いなしに、泣き出してしまいました。

「ごめんね。そうだよね、楽しくないとね。」

 奥さんは、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやきました。そんな奥さんと私のやり取りを、天野さんは無言で見守っています。

「永野先生は凄いね、病気してから間もないのに、そんな風に思えるんだものね。私なんか、今になってやっと、そんな風に思えるようになってきたのに。でも、本当にそうだ、楽しくしなきゃいけないよね。分かっているけど、なんかね…。」

奥さんの気持ちが、痛いほど伝わってきました。まだまだこれから、子育てをして、家のローンを返して、ひと段落したら、老後は二人で海外旅行に行って、そんな普通の生活を、きっと信じて疑わなかったのでしょう。でも現実は、奥さんが一家の大黒柱。しかも、未来の予測は立たず、何の保証もない生活。細いその肩で、家族全ての人生を背負っているはずです。普段は明るく振舞い、決して弱音を吐かない奥さんが、初めて見せた涙でした。

天野さんの奥さんのように、普段は明るく振舞っている人ほど、深い苦しみや悩みを抱えていても、周囲へ気を遣い、それを隠すように気丈に振舞っている場合があります。そうしないと、自分自身が崩れて、立っていられないことがあります。弱みを見せたら、周囲から容赦なく叩かれる場合もあります。だからこそ、笑顔で鎧武装するのです。

私は少しだけ勇気を出して、鎧を緩めて話し出しました。

「私ね、死んじゃうかと思っていたんですよ、病気になった時に。以前からずっとね、目眩があったので、脳腫瘍かと思っていたんです。幸い、違っていたんですけどね。」

「そうなんだ…。私たちは、もう何年だっけ。5、6年経つよね。それからずっと、親戚とかまで頼って、借金して、ここまで来たんだよね。」

奥さんは、今まで言えなかった事を、夫婦で確認するように話し始めました。泣いたり、笑ったりしながら…。天野さんは、相変わらず、奥さんの言葉に無言で頷きながら、話を聞いています。奥さんの話は全て、切ないくらいに本音の話でした。

 

私が病気をしてから、ずっと心配してくれていた天野さん夫婦は、私の復帰を待っていてくれました。そして復帰後は、病気をして体力のない私を嫌がったりせず、暖かく迎え入れてくれました。本当なら、病気をして片方の耳が聞こえなくなったセラピストなど、不安で嫌がり、担当の継続を断られてもおかしくないのに。現に、新しく担当させて頂いている患者さんには、問題がなければ、片方の耳が聞こえない事は伝えずに担当したりもするのですから。それなのに天野さん夫婦は、同じ病気ではないけれど、いつからか私を、病気に立ち向かう同士のように思ってくれていたようです。

 

人生は楽しくなくちゃね。それが私の基本理念だったりします。でも、楽しむことって、結構難しいですよね。勇気を出して楽しもうとしても、周囲から邪魔されることもあるし、自分の中で『無理だ』って壁を作って楽しめないこともある。私だって、今年の目標を達成できているのかどうか…。でもね、この目標は、一年だけで終わらせちゃいけないはずですよね。いつまでだって、やっぱり人生は楽しくなくちゃ。生きているって、活かされているって、そういうことだものね。



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