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夕方のアウトプット2023/1/26(スフィアン・スティーブンス)

今日は出社だった。寒い...帰宅中です。

あまりにも寒いので気分もそれに当てられ、寒々しい音楽しか聴く気にならない。スフィアン・スティーブンスの“Carrie & Lowell”(2015)を再生する。

スフィアン・スティーブンスは、むりやり日本で例えるならば七尾旅人や折坂悠太のような作家で、アメリカという国に折り重なる様々な歴史や文化を掬い取るような音楽表現を持ち味としており、優れたリリシスト/ストーリーテラーとしても知られている...教科書的な説明はこんなところだろう。だが、日本に生まれ育ち、英語も(少なくともネイティブと同程度には)分からない私のような人間が、彼の”Michigan”(2003)や”Illinois”(2005)を聴いて、その伝えんとするところを十分にキャッチすることができるのかというと、正直怪しいと思う。どんなに優秀な翻訳家の手を経たとしても、オリジナルのテクストをオリジナル通りに触れるのと同じ経験をすることは、原理的にできない。それは、上で挙げたような日本人アーティストの音楽をアメリカ人が聴く場合においても同じだろう。

”Carrie & Lowell”は、スフィアンのディスコグラフィの中でも突出してパーソナルな作品、とされている。そのことは、聴く前にジャケットやタイトルからなんとなく察せられるものがある。「キャリー」とは彼が幼いときに精神を病んでそのまま亡くなってしまった母親の、「ローウェル」とはその再婚相手にしてスフィアンの養父の名前だという。そして、実際にうたわれていることも、彼の子ども時代のことばかり…と、本作をレビューする文章には決まって書かれている。

私はこのアルバムが初めて聴いたときから好きだった。まさに今日みたいな、凍てつくように寒い朝方の空気を思わせる、何とももの悲しく、寂しげな感触(余談だが、初めて北海道に出張したときもこればかり聴いていた)。最初から最後まで、ささやくような歌声と、アコースティックギターを中心とした控えめなアレンジメントだけで構成されており、単調といえば単調なのだが、それゆえに一度入ると抜け出す気を起こさせない。ノイズキャンセリングで雑音を排除して聴くにはうってつけだ。

スフィアンがこのアルバムでどんなことを歌っているのか、私は未だに正確なところを知らずにいる。別にそんな必要もないくらい、オープナーである”Death with Dignity”(すごいタイトルだ)のアルペジオが鳴り出した瞬間から、向こう側の世界に引き込まれてしまう。それほどに私を惹きつけるものが何なのか、つまびらかにするような分析的な視点を持ち出すことも馬鹿馬鹿しくなるくらい、”Carrie & Lowell”は、私のなかの根源的な部分を刺激する。それも、ごくごく優しく。

これからも私は、とくに理由もなく、意味づけも求めず、ふと聴きたくなったときにこのアルバムを聴くだろう。具体的な何か/どこかへ回収されてしまうようなテクストからは遊離した、何か神聖で、粛然としたものが、43分43秒のあいだ、弱々しくも決して消えない光を放っている。そんな作品だ。

(参考文献)
Sufjan Stevens - Carrie & Lowell  | スフィアン・スティーヴンス、| ele-king