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「出口のない海」を読んで


 小学6年生でヒロシマへ。中学3年生でオキナワへ。悲痛な叫びを訴える写真や遺品、日記。戦火を生き抜いた方の胸をえぐられるような体験談。数え切れないものに触れた。
「無慈悲でしかないこの戦争を、繰り返すことは許されない。」
何度その言葉を口にしただろうか。

 私の浅はかな決意は、大した意味を持たず上辺だけであったことを、今となって身に染みて感じることとなった。そのきっかけとなったのは、横山秀夫氏の綴った『出口のない海』だ。太平洋戦争時、人間魚雷「回天」に乗り込んだ若者の生死の葛藤を描いた物語である。



 主人公、並木浩二は夢を諦めない男だった。
 はじめ、並木は私にとって尊敬できる誠実さをもつ一方で、理解できない存在でもあった。彼の夢を追い続ける姿勢や仲間を想う優しさ。どうして迫る戦火を前にして、穏やかなままでいられるのか。その現実離れした態度には正直、恐怖さえ抱いたほどだ。

 しかし、その恐怖は、並木のトリックスター・北勝也によって拭い去られた。並木にとって彼は、自分の奥底にあるエゴを具現化した存在だったのではないかと私は考える。彼の鋭利な言葉は並木の己との戦いに拍車をかけ、決意を固める鍵となっていた。同様に、並木の言葉が北の心に突き刺さることもあっただろう。お互いがお互いの人間らしい心を暴き出していたのだ。2人は口に出さずとも、かけがえのない関係であったにちがいない。

 そんな北が一度だけ、並木に拳を上げる瞬間がある。その場面に私はひどく衝撃を受けた。いや、それだけではない。度々描写されている「修正」の場面にだ。いわゆる鉄拳制裁。私が驚いたのは、それが単なる躾ではなかったことだ。「修正」なんて名ばかりで、それは下す側の張り詰めた弱い心の埋め合わせに過ぎない。今を生きる私には、あまりにも理不尽に下される制裁に、憤りを覚えずにはいられなかった。読み進めることに息苦しさすら感じていた。

 とは言え、死を目前とした彼らの心情は、私には想像がつかないほどに荒んでいたのだろう。誰もが生に縋りつく思いで、三者三様の行動をとる。方法を選ぶ余地はなかったはずだ。並木のように、いくらその是非を問うたところで、止めることは誰にもできなかったのだ。



 「兄さん。お国のために立派に死んできてください!!」
これほどまでに残酷な瞬間があるだろうか。国の歯車の一部へと姿を変えた、愛する家族からの存在否定。それは、味方を奪われ、この世にたった一人となった瞬間である。並木は絶望の淵に立たされてなお、死に向かって歩き始めるのだ。考えるだけで涙はとめどなく流れ、胸が張り裂けそうだった。

 小学生のトシ坊が受ける教育や学ぶ場には限りがあり、選ぶこともできなかっただろう。しかし私はどうだろうか。学ぼうと思えばいくらでも学べる環境を棒に振っているような気がしてならない。生きる理由も死ぬ理由も私自身で見出す自由があるのに。

 「人が生きてゆくには夢が必要だ。俺は死ぬことを夢に生きることができなかった。」
夢を叶えた彼に、生き永らえる意味は存在しなかったのかもしれない。並木の残したこの言葉は、読後から5年の月日が流れた今もなお、彼が見た真っ暗な海に、私を閉じ込めたままである。

 平和な世界に生まれてきた私たちの中には、戦争を繰り返さないこと以前に、振り返りたくないという思いをもつ人も少なくはないだろう。私も心のどこかで遠ざけていたのかもしれない。現に、この本と出会うまで、私は「回天」の存在を一度も耳にしたことはなかった。戦果を上げた者は帰ってきていないのだから、当然とも言えるのかもしれない。しかしその一言で、彼らの勇気と死を、無にしていいのだろうか。

 一度死線を踏み切ろうと、運良く生還してしまえば、死よりも酷な冷たい視線や暴言、制裁。しかし、この風潮は、何も昔に限った話ではない。名を広めた神風特攻隊は、今でも多くの人に「英雄」と謳われている。特攻の善悪を一義的に判断することは私にはできないが、自爆的攻撃を人間の「狂気」以外になんと言葉にできようか。人の命の重みが、歪んだ功名と天秤にかけられていいはずがないのだ。



 迎えた79回目の終戦記念日。時代は令和となり、過去は風化する一方だ。死が実体となって突然現れるようなことはほぼ有り得ない。だがそれは、恒久の平和を錯覚しているからこそ生まれた考えであり、決して私たちに生が約束されているわけではない。死をもって事実を伝えようとしてくれた人が何人もいた。その遺志を無下にして生きてきた自分の愚かさを、胸に突き付けられた気がした。私が継いだ遺志は、戦争を閉ざす一歩となれるだろうか。

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