三重県N小学校 5 アントニー 2023年7月18日 21:51 山間部にひっそりと佇む校舎、その歴史は長く、創立は明治時代の1887年まで遡る。 木造平屋建てが3棟、渡り廊下で繋がる作りとなっている。川の字に並ぶ真ん中の校舎に職員室や図書室、それを挟むように学年教室の校舎が2棟あるイメージだった。その2棟の方から紹介していこうと思う。 今では珍しい長い廊下。催事に使ったであろう道具が当時のまま置いてある。 一瞬ドキっとしたが剥製だった。窓が開けられてるせいか、廃墟独特のモワンとした重い空気ではなかった。 家庭科室のような教室。片付けがされてないので、どこか寂しさだけが残る。 渡り廊下を歩いてもう一方の学年校舎に向かう。床部分にはコンクリートが使われて全体の中でも傷みが少ない部分だ。 こちらの校舎は反対に1番傷みが酷かった。屋根が抜け落ち、太陽光が差している。こなると建物は一気に朽ちてしまう。 抜け落ちた屋根から雨水が入り、木が腐り、腐葉土になった部分から植物が生えてくる。自然には抗えない。 誰かがイタズラしたのか経年で倒れたのか、時代を感じる木製のドア。 乱雑に詰め込まれた生徒用の机と椅子。カーテンが時と共に短くなる。 渡り廊下に並行して設置されてた手洗い場。蛇口はまだ盗まれてなかった。 ここでメインの校舎に入る。廃墟としては非常に状態は良い方だ。 メイン校舎の最初にある図書室。ここまで綺麗に残っているのは珍しいだろう。は 反対側の壁。当時のそのままなんだろう。 理科室に足を運ぶ。懐かしい校舎の造りだ。 シンク、映写機、さっきまで授業をしてたようにも感じる。 理科室の器具棚。本当に綺麗な廃校だと感じた。 フラスコに試験管。破壊されてる感はない。 最後に職員室に足を踏み入れた。机などの家具が時代を感じさせる。 体育館は施錠され外側かしか見えなかった。 比較的新しい造りの体育館だった。天井の照明が水銀灯でなく蛍光灯。落下防止に全て下げられてた。 開校100周年の記念碑。1977年2月に建てられた事から逆算すると創立は1887年となる。全盛期はひと学年250人の生徒を擁したが1978年の近傍の鉱山が閉山と共に人口が流失。1990年に閉校。翌1991年に廃校となり長い歴史に幕を閉じた。 #写真 #廃墟 #閉校 5 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート