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【てくてく東海道】石薬師宿-庄野宿-亀山宿編

日本橋から週末を使ってコツコツ仲間と共に東海道を歩く旅。
当初は東京オリンピックと共に京都へゴールの予定が、コロナのため延期が続いてペースダウン。
ようやく、伊勢國に突入しました。
今回は、東海道では比較的小さな宿場町を訪れましたが、のどかな風景と街並みに癒されました。
また、交通量が少ない道が多かったので歩きやすい区間でした。


三重の地名が生まれた場所から
石薬師宿へ

あすなろう鉄道内部駅から出発し、
44番目の宿場町「石薬師宿」を目指した。

 
しばらく進むと、「杖衝坂(つえつきざか)」の看板が見えてきた。
坂道がこの先にあるのか…。

<杖衝坂>伊吹山で賊と戦って傷ついた日本武尊が、剣を杖の代わりにしながら越えていった坂と言われている。坂の途中にある井戸でのどを潤し、坂の上にある血塚社で傷による出血を封じたが、この先の能褒野で没した。
参考:「ちゃんと歩ける東海道五十三次 西」
山と渓谷社
この坂を刀を杖がわりに上がっていったのかな…
血塚社
日本武尊が血を封じた場所と言われる
また、三重の地名は日本武尊が「吾が足は三重の勾りの如くしていと疲れたり」(足が三重に曲がるほどに疲れた…)と言葉を残したことが由来している。
参考:「ちゃんと歩ける東海道五十三次 西」 
山と渓谷社

坂道を上がる途中に「うつべ町かど博物館」が
あったので立ち寄ってみると、
「裏の畑にいるのでお声がけください」
と入り口に書かれていた。

街の人たちの手で造られてきているので、
土地によって資料館の造りも異なるのだけれど
思わずほっこりさせていただくことが多い。


うつべ街角博物館
激動の時代だったはずなのに、
この辺りは平和だったのだろうか…。
想像が膨らんで楽しい。

この先に行く関宿や坂下宿のパンフレットや街や東海道について書かれた手作りの資料も置いていただいていたので、早速手にした。

中を見学させていただくと、街の歴史に関する資料、昔の道具や家具、模型などが展示されていた。

五玉のそろばんを見た外国人の旅仲間に、そろばんの使い方を知らないと言われたので、古い記憶をたどってやってみると、「結局暗算が必要ってこと?」と言われる…。確かに九九は使うなぁ。

資料館の方に「この先も頑張って」と
いただいたペコちゃんのキャンディーを
頬張りながら再び出発した。


目線と山の高さが近いから坂を上がってきたんだなと実感していたら
地元の方に「この目の前の木がなければもっと見晴らしがいいのに…」と話しかけられた。
どうか、行政の方、道端の木のお掃除をお願いいたします。(今日1回目のつぶやき)


采女の一里塚は、交通量の多い道路を挟んだ向かい側にあるためか、
ガソリンスタンドの横に一里塚碑があることが書かれた標識が立てられていた。
書いていないと無理して横断する人がいるか、
一里塚に気づかないと苦情があったのだろうか…。

東海道沿いにはこの看板のみ
道の反対側から写真を拡大して一里塚跡を確認

この辺りは「采女村」と呼ばれ、天皇の身辺に使える宮女「采女」の出身地といわれていたそうだ。

国道に出てしばらく歩くと鈴鹿市に入った。


石薬師宿到着

石薬師宿は日永追分で伊勢へ向かうルートと
東海道へ進むルートに分岐したあとに登場する
比較的小さな宿場町だった。

ここでは、本陣跡、石薬師文庫、歌人で国文学者である佐佐木信綱氏の生家などが残されていた。

今回はこんな感じの道が続く
お、近づいてきた
石薬師宿に入った
ほうほう、こんな宿場町だったのか
本陣跡ですね
玄関口の屋根にいらっしゃる
レトロなお家だなー
と、思ったら石薬師文庫でした。
この橋の上から…
まっすぐのびる道が爽快!
橋を渡ると石薬師寺へ
さ、行ってみましょう
しばし、お寺をお散歩
本堂
思わずにっこり


宿場の端の方にある石薬師寺は、東海道沿いにあるため、参勤交代の大名が交通祈願に立ち寄っていた。弘法大師が石に爪で彫ったと言われる薬師如来がご本尊として祀られている。

坂の上から階段で降りて入っていくので
お寺の入り口からの見晴らしがよかった。
境内の紅葉が少し色味を帯びてきていたのでしばし散策を楽しんだ。

庄野宿へ

 石薬師一里塚を超え、次の庄野宿へ向かうまでは線路沿いの畑道。
とってものどかで、どこか懐かしさを感じる風景だった。

あの木の下で一休み?目印?
線路に向かう道。こういう道が冒険心をくすぐる。
石薬師の一里塚
のどかだなー
道を駆けていく子供の姿がなんとなく浮かぶ道
光に向かって…



石薬師から庄野宿までは比較的短い4.1km。
途中、歩道にはみ出す雑草に難儀しながら進んでいくと庄野宿に到着した。
(歩道があってもほとんど人が歩かないのだろうなと思う瞬間。雑草のお掃除を…今日2回目の心のお願い)

庄野宿到着!
雨を表現するのは難しいらしい…広重先生の傑作のひとつ

旧小林家住宅は資料館になっていたので中を拝見させていただいた。
焼き米というお湯で戻して食べる携帯用のお米などが置かれていた。
(フリーズドライ食品みたいなもの?)


そう!ここでひとつ謎が解けた。

宿場町で見かける古い木の立て看板に書かれた墨の文字が浮き上がっているように見えのはなぜ?


墨の部分は下の木が保護されているが、周りの木の部分はどんどん風化して、自然と盛り上がっているように見えたということだった。

資料館の方になんでも聞いてみるものだと
旅の終盤になって学習する。

庄野というお酒があるのですね🍶
旧小林家住宅
跡地の石碑
資料館に高札が保管されていた
街角に跡地を表す表示がかかっている
庄野宿とお別れです

道中、ご飯を食べるところがないので、国道沿いに見つけたコンビニでお昼休憩をとることにした。(これが正解だったとあとで気づくことになる…)


庄野宿から亀山宿へ

庄野宿を抜けると川沿いに「女人堤防碑」が現れた。

<女人堤防碑>
安楽川と鈴鹿川が落ち合う地点で水害が起こりやすかったため、堤防を作りたいと住民が訴えたものの、領主が許さなかった。そこで、住民は女性ならきっと罪が軽くしてもらえるだろうとの発想から、6年の歳月をかけておよそ200名の女性が堤防を作ったという逸話が残されている場所だった。
ちょっと感動しました。命かけて村を守る女性たち。(男性だと極刑にされたそうです。)

一里塚は私たちにとって歩く目標であり、
旅を積み重ねてきたという実感を味わう場所でもある
三重県はお寺の屋根の造りなどが立派だと感じます
たぬきがちらほら登場
とっても凝ってる垣根だったので思わず立ち止まって見る

この辺りを治めていた神戸家の養子となり城主となった織田信長の三男、信孝氏が好んで飲んでいたとされるお水がこちらの神社にあったそうですが、跡地をうまく発見できませんでした…。

かわりに紅葉を発見🍁


二本桜 春には綺麗に咲くのかな
あのあたりの山を越えるのだろうか…
関西本線 亀山を越えたら1時間に1本
お、亀山ですね



中富田一里塚を超えると亀山の端っこに入る。
町案内に、「シャングリさん」という小さい祠があると書いていたので見てみたかったのだが、小さすぎたのか見過ごしてしまう…。
悪疫から子供を守る祠だそうな。
(完全に名前にだけ反応して見てみたいとスイッチが入ったパターン)

ここにも秋ですね


和田一里塚 
一里塚は大きな木が目印になってることが多い



 
和田一里塚を超えると「亀山ローソク前」のバス停があった。
お仏壇のろうそくと言えば「亀山ローソク」と思っていたので一人で「ここがあの…」と感動していたら、旅仲間は意外と知らなかった…。(ろうそくの青い箱は見たことがあるが、亀山とは知らなかったらしい。)

お仏壇の前には、亀山ローソクと毎日香のお線香
が定番と思っていました…。


そんなこんなで、亀山宿の東の端「江戸口門跡」へ到着。

亀山宿ついたー!

三重に入り、信楽の狸をよく見かけるようになってきた。
いよいよ滋賀が近づいてきたなぁと感じる。
商店街から抜けると舗装された道の両側に古い家が並んでいるなだらかな坂道に出た。

本日1番大きなたぬきさん

亀山は城下町でもあるからか、少し高台になっている。坂の上から見える景色は、海は見えないけれど、少しだけ尾道を思い出させた。

なだらかに下がっていく
反対側から見ると絵が変わる。
ん?大丈夫か?
本日のゴール。お疲れ様でした!

ここで今回の1日目終了。2日目は亀山から関まで。
2日目、あまり進まない理由は、坂下宿から駅へ戻る手段がなくなるおそれがあるから…。関宿をのんびり観光することになるかな。

2022年11月 
****************
■今日のルート
石薬師宿-(4.1㎞/25町)-庄野宿-(9.3km/2里)―亀山宿
 
スタート:あすなろう鉄道 内部駅
ゴール:JR関西本線 亀山駅
 
■今回の休憩ポイント
街道沿いにはほぼ飲食店がないため、
コンビニを見つけたら立ち寄ることが望ましいです。
 
庄野宿を超えたあと国道に出たところで見つけたファミリーマートで昼食をとることとなりました。
(井田川駅あたりまでほぼ何もなかった)
 

瑞宝軒
亀山駅前にあったバームクーヘン屋さん。
もともとは和菓子屋さんのようです。
疲れていたので甘い物を帰りに補給。



 


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