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博士になりました。

お越しいただきありがとうございます。カルフです。
今週、博士後期課程を修了し、博士(工学)になりました。
卒業式が中止となり、親に晴れ姿を見せることはできませんでしたが、恩師や後輩たちと最後の時間を過ごしてきました。今回はその1日について記します。

 前日の夜はあまり眠れませんでした。既に引っ越し作業が終わり、寝具以外の家具が何も無い8.5畳の部屋に敷いた布団に入ったものの、ずっと考え事をしていました。最近購入したスマートバンド(ウエアラブル端末)も私が眠れなかったことを知っていたみたい。朝には”もう少し睡眠時間を確保しましょう”だって。

 結局、目が覚めてしまったので、今まで通りの時間に研究室に向かうと、今まで通り私が一番乗りでした。博士課程の学生は学士・修士より学位授与が30分早く指定されていたので、当然だったかもしれません。いつも通りメールをチェックしていると、すぐに集合時間に。学位記授与式は淡々と進み、15分ほどで終了しました。研究室に戻って仕事をしていると、学位を得た後輩たちが研究室へ戻ってきました。それから研究室のみんなで、工学部の前に出て”学位授与式”の看板の前で写真を撮ることに。全体で撮った後、皆思い思いの人と写真を撮っていきます。私も先生方や後輩たちと撮りました。1時間ほどダラダラと写真を撮ってから、修士の後輩たちと昼食へ。いつもと変わらず、しょーもないことを話しました。

 昼過ぎに一旦家に戻り、私服に着替えてから荷物をまとめました。そして夕方、毎年おなじみの研究室の追いコンへ向かいました。研究室のみんなで最後のご飯を食べながら、また考え事をしていました。そうこうしているうちにやってきた恒例の”卒業生たちからの一言”。これが前日の夜から全くまとまらなかったんです。学会発表やスピーチは得意な方なのに、内容が決まらない。今になって考えれば当たり前かも。私は研究室で6年間もお世話になってきました。たくさん時間とお金をかけてもらって、好きなだけ実験をさせてもらって、色々な相談を聞いてもらって・・・。先生方への感謝なんて、どんな言葉で取り繕ったって、この短い時間に伝えきれるわけがなかったんです。M2、B4のみんなが終わって、とうとう私の番に。3人いる先生方1人1人へのお礼は最小限に留めておいて、私が周りに話してこなかった博士後期課程の3年間の心境をお話ししました。

 ずっと最高学年だったので、周りに言わないようにしていましたが・・・否、言えなかったんだと思います。この3年間は孤独&劣等感とずっと戦っていました。研究を頑張れば頑張るほど、研究室内で感じる孤独は強くなっていって、学会に出れば自分より優秀な奴がいくらでもいて、劣等感も強くなっていきました。研究室内で後輩たちと他愛のない話でどんなに盛り上がっていても、学会でどれだけ表彰されても、孤独と劣等感が消えることはありませんでした。教授からも、「他人と自分を比べすぎるのが、お前の悪い癖だよ」と学部生のころから言われていて、その通りだと認識していました。でも、研究室で過ごしていく中で、”こんな自分もありかな?”と思える時間が長くなってきたのも事実でした。だから、そう思えるようにしてくれた研究室のみんなに感謝しています、と正直に伝えました。来年以降も研究室に残る後輩たちに対しては、私は大学受験で挫折してから、努力して、努力して、努力してここまでやって来られたので、努力を継続する練習をしてほしいと言いました。

 追いコンが終わった帰り道、1人で歩きながら声を噛み殺して泣いてしまいました。あんなに泣いたのは大学受験が終わったとき以来初めてでした。

・精一杯やったよな?
・もっと頑張れたんじゃないか?

この2つの問いが頭の中でずっとループしていました。誰かに見られたら確実に引かれていたくらい泣きましたが、大学受験後の涙とは違って、後悔だけではなかったです。

9年間、努力して、努力して、努力して、少しは成長したんだと思います。

これから死ぬまで博士です。努力していこうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。私の記事で少しでも多くの方を勇気づけられたらなと思います。