見出し画像

母性は才能~私の妊娠出産~①


私はそもそもに子どもという存在があまり得意ではない。
赤ちゃんを見ればかわいいなと思うけど、小動物がかわいいなと思う感覚に近いものだと思っている。

子どもは予測不能な動き、こっちからしたらなぜ?と思うようなことしか起きない。
自分もその過程を経てきたはずなのにその記憶はないからもはや未知の生物に近い。
3歳ぐらいになれば話せば分かる部分も多少は出てくるけど、1回で分かるなんて奇跡に近い。同じこと何回言えば済むねんとイライラする。

2人も子供産んでおいてもなおそんなことを常に思う。まだ幼児二人なのに。
子どもはかわいい♡という気持ちだけで子育てできるほど私は人間出来ていないしそんなに甘くない。


でも母になってみたいという願望はあった。

結婚という制度に対してはあまり興味はなかったけれど、子どもを産んでみたいという願望は途切れずにずっとあった。

いざ妊娠してみたら、つわりがひどすぎて毎日泣いていた。
妊娠はやめたくないけどつわりはやめたい。
何かを食べればほとんど吐いてしまうけど食べなくても気持ち悪さはずっとある。食べていないから体に力は入らないし、真っ青な顔で点滴に通ったりもした。
自分の体内で目まぐるしいことが起きているんだろうなと生命の神秘に思いを馳せて体調の悪さから意識をどうにか遠ざけようとしながら携帯で検索するのは「つわり 死ぬ」のワード。
少なくとも今思えば私程度のつわりでは本当に死んでしまうほどではないんだけど、体感としては私はこのまま命を落とすのでは…と追い詰められていた。

つわり中に食べられるかもと思ったのはラーメンだけで、近所の来来亭にとにかく通った。来来亭のラーメンなら飲み込めた。家に帰ったらまた吐いてしまうのだけど、それでも飲み込めるものがそれぐらいしかなかった。ちなみに天下一品も試してみたが、最初はいけるかもと思ったけど途中でダメになって夫に食べてもらった。
私は食べれずにどんどん体重が減ってつわり期間中に5kg痩せたのに夫は私のラーメン生活に付き合うあまりどんどん太っていった。夫婦は一蓮托生…。

常に吐き気と戦っているので自分で食事を準備するのもきつい。スーパーのお惣菜売り場の匂いもきつい。来来亭のラーメン以外を食べていた記憶があまりないんだけど私何食べて生きていたんだ??

つわり中でもよく言うマクドナルドのポテトは食べられる説は私には適応されなかった。全然食べられなかった。


なんとか妊娠中期に入るころには少しづつつわりも納まり、食事もとれるようになったがおなかが大きくなるにつれてつわり以外のトラブルも出てくるし、なんでこんなしんどい思いしないと産めないんだとイライラしていた。今思えば、ホルモンバランスもあるんだろうけど世の中のすべての不条理に腹が立っていた。

夫との間に子供が欲しい、母になりたいと思って妊娠したはずなのになんやねんこれ。

そんなことばっかり思っていた。

よく言う大きくなるおなかを愛おしい♡早く会いたい♡っていう感情本当に抱けなかった。
私には母性はないのかもしれないと思った。

会いたいとかどうとかっていうよりもこの産むまで終わらない体調の悪さをどうにかしてくれということが頭の中で一番に出てくる。
妊娠をいまさらやめることは出来ないからこの不可逆的な状況が本当に怖かったし辛かった。
でもやるしかない、私にはおなかの子に対する責任があるからどうにか耐えるしかない。
その気持ちだけだった。


そんな母性はあるのか?!な私の妊娠生活はこの後さらにトラブルに見舞われることになる。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?