「いのちを生きる」講座を受けて〜シャボン玉で満たす〜
「シャボン玉を、吹き続ける」
「たとえ割れちゃっても、それでも吹き続ける」
先日参加していた、「いのちを生きる」講座の最終回で宣言した言葉。
私の言葉を受けて、「シャボン玉、屋根まで飛ばそうね」と、同期に声をかけてもらったりして、私はとっても嬉しい気持ちになった。
そうだ、一生懸命羽ばたかなくっても、シャボン玉って風にただのって、屋根まで飛ぶんだな。そんな当たり前のことに気がついた。
最終回はずっと、「シャボン玉」「ふわふわぁ」等と、自分で言葉に出しながらも、「どんな意味なんだろう。」とずっと頭の片隅にあった。
ふと今日、家族と話していると、あぁこういうことなのかも。と思って、急に書き止めたくなったので書いてみる。
全くまとまっていないけれど、まとまらないことを言葉にすることに意味があると感じたから書いてみる。
最後にシャボン玉を吹いたのはいつだろう?
全然記憶がない。
もしかしたら私は、吹いたことがないかもしれない。
私は全然子供らしい子供じゃなかった(と私は思っている)
長女だったからかもだし、小学校から電車で通う学校に行っていて、地元に友達は一人もいなかったからかもしれない。
今も地元って定義でいくと、どこが私の地元か分からない感覚があるし、地元に友達はいない。って思う。
私の寂しさの根源はこんな体験にもあるのかな。
人生で1番孤独を感じて、感情に蓋をしていたのは小学生の頃だった気がする。誰といても、どこにいても、寂しかった気がするし、全ては考えても感じても無駄だとそんな風に思っていた気がする。
「近づき難い存在だった。」
と最近、弟に言われたりした。
あぁ、ただ抱きしめてあげたい、小学生の私。
と書きつつも、お調子者でモノマネお笑い、面白いこと大好きな私は、小さい頃から、よく喋っていた。
家でもずーっと喋っていた。
これは今もそうで、コーチングで学んだことや、自分が気づいたことを本当にベラベラベラベラずっと喋っている。笑
時に完全に無視されながら、うるさいと言われながらも、ずっと話している。
実家暮らしをさせてくれている親に、冗談半分、本気半分で、「この私が話している内容、有料級だよほんとに。生活費入れるより絶対価値あるよ。」と言って、ただ甘えている笑。言ってる私も、親も呆れている。笑
ただ、おかげで?我が家では、父以外の母と弟2人には、すっかりサブパ、ビジョン、シャドウ等というTHE COACH用語が浸透している。弟は一緒に暮らしているわけでも無いのに浸透している。いつの間に笑
「今日またシャドウにであった〜」
というと、「そうだったんだね」とただ受け止めてもらえるし
「あービジョン更新のタイミングやわーーー」
というと、「おー!良いねー!」と反応をもらえる。
「いのちを生きる」で出会ったメンタルモデルについても、すでに力説解説済み。みなそれぞれのメンタルモデルを探求している様子。
こういうことを、ふとコーチ仲間の間で場に出した時に、「コーチングめっちゃ広まっている」ということに気づいた。
そして、家族と話していても、話の内容が、出来事の話、意見のぶつけ合いではなく、「どう感じているか」を話すように変わっていってるな。と思う。私も以前より随分、自分を深く受け止めてもらえていると感じられている気がする。
私、全然頑張らずに、楽しくコーチングを広げているんだ!!
そして、勝手に周りにも変化を与えているのかもしれない。
そして、これが「シャボン玉を吹く感覚」なのかもしれない。と
こうして書くと家族仲が良さそうに見えるし、実際に仲がいいと思う。(父以外。笑)
だけど、そのことについても考えていたけれど、
ここは「核シェルターの中に作ったお花畑」そんなワードが出てきた。
祖父母の代、親戚、と少しだけ目線を外すと問題しか立ち現れない。
私はきっと今も核シェルターの中で身を潜めている。
だけど、同時にすごく出たがっているし、もうシェルター内でシャボン玉は吹き切っている。
シャボン玉をいくらシェルター内で吹いても、屋根まで飛ばせない。
本当は外に出て、とっても景色のいい場所でシャボン玉を吹きたい。
でも同時に、外に出て、シャボン玉を吹いたら、きっと割れちゃう。
絶対割れちゃう。
そんな風に思っているんだと思う。
これまで沢山沢山、手裏剣を飛ばされて、血まみれになってきたから。
だけど、割れても吹いたらいいじゃん。
シャボン玉、吹いたことないけど、吹くのにそんなに力いらないでしょ。
ふーって息をただ吐いたらいいんだ。
屋根まで、もっと遠くまで、ただふわふわと飛んでいける。
THE COACH ICPのインテグレーションコースの最後の方に、ずっと向き合っていたことに対して、マイコーチがかけてくれた「死」から「いのち」に質感が変わったんだね。という言葉から、私は「いのち」について考えるようになった。
そんな時に出会った、「いのちを生きる」講座の案内。
あの時、出会って、申し込んで本当に良かったな。と思う。
愛を感じて、癒された、そんな3日間だったな。
また話が飛ぶけれど、
私は、西加奈子さんの書く小説が大好きで、特に「i」という小説が大好き。
「この世に愛はある」
と力強いメッセージを受け取るし、
あとがきに書いてある、
という言葉に何度、救いを求めたか分からない。
自分で、核シェルターにいるような感じ。と書きながら、
入ったこともないくせに。
本当に今、そこで、シェルターの中で耐えている人がいるのに。
とそんな気持ちになった。
だけど、これからは、
私は、自分の幸せを願いながら、
同時に誰かも思いやっていい
と許したい。
そんなことを体現していきたい。
と思っているここ最近。
これはシャボン玉と関係あるのだろうか。ないかもしれない。あるかもしれない。
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