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わかめめがね

 クリスマスの朝、久しぶりに大川くんの「わかめめがね」の夢をみた。
 12月上旬から体調が悪く夜中に咳が出て2時と4時に目が覚める。暗くて寒い部屋でひとり咳混むとき、世界には孤独しかないな、と思う。
結局、こんなときはひとりで誰も味方なんかいない。枕もとに置いた水を飲む。
どこにもだれにも繋がってない自分のために、冷たい水を飲ませてあげる。ふーっ、と息をはいてまた咳こんで、落ちついてきたら横になる。
 
 わたしは小さい頃、食べることが辛くてしかたがなかった。何かを口にすると、喉が痒くなったり、体が重くなったり胃が痛くなったりなんとも言えない不快感が何時間も何日も続く。金属のスプーンの味も、よくすすいでないお皿の匂いと味も嫌。
海鮮類なんて死んでる匂いだし、生のサラダは消毒液の匂いがした。神経質すぎる、わがままって言われた。言われたとしても体が受け付けない。
 どうしてみんなは無防備に食べ物を口にできるのだろう。食べたもので体が変わる。たいていは嫌なほうに。食べ物に乗っ取られる感じかする。それが毎日重なっていく。

 小学生の給食の時間。昭和時代は残すことは完全な悪で、体の大きさや体調なんか関係なくみんな量が同じだった。それが平等というもの。
 掃除の時間まで食べてるのは、たいてい大川くんとわたしだけだった。
 机ごと後ろに移動されて、挟まれながら食べなければならない。こんな状況になって食べられないわたしたち。
 消えてしまいたい気持ちで、サラダを眺めてメソメソしていた。それはシーフードミックスを解凍してわかめと和えたものだったと思う。表面は変色して乾いてるのに奇妙に臭い水分がでてた。イカなんてかなしいくらいに縮んでる。そればかりか容赦なく箒ではき散らして舞った埃がくっついた。男子がわざと近くで箒を振る。
 給食をたべられない悪い子なんだから、しかたない。甘んじて受けなければならない罰。
 大川くんだけが、味方だ。大海原で板につかまって漂流している私たち。少し先で波に揉まれている仲間をちらりと見る。
 大川くんはシーフードを箸でツンツンしたり裏返すだけで、口にしようとしてなかった。時間稼ぎしてるみたい。しばらくすると、振り返ってにっ、と笑った。遠視のメガネにわかめをくっつけて。
 わたしは、はっ、とした。彼の小さなふざけた反発心がわたしを救った。
食べられないものは食べられないって思ってもいいんだ。世界が反転した。
「わかめめがね」がピカーってわたしの心を照らして明るくした。
 大川くんとは小学生の6年間同じクラスだったけど、なぜか一度も話すことなく卒業した。避けていたわけではない。どうしてだろうと思うけど、もうひとりの自分、兄弟みたいな気持ちだったから話す必要がなかったのかもしれない。中学は一緒だったけどクラスは別になったから話をする機会もなくなった。
 高校生になってから一度道でばったり会ったことがある。自転車を降りて声をかけてくれた。
高校どう?なんてたわいない話をして、「じゃあまたね」って自転車に乗って去っていった。
 もう遠視のメガネはかけてなかった。すごくまつ毛が長くて、きれいな目をしてた。大川くんってかっこよかったんだなってそのときはじめて気がついた。
 そしてわたしはいまでもメガネにわかめをくっつけた大川くんの夢をみる。しあわせな気持ちで目が醒める。一緒にいなくても、話さなくても、姿はなくても。おなじように感じている味方は必ずいる。ぜったいひとりじゃないんだって、あったかい気持ちになる。できないことがあっても、人と違っててもいいんだって、思う。

 昨夜は咳がでなかった。
やっと風邪が抜けていったらしい。
孤独な気分が「わかめめがね」の夢をつれてきたなら風邪ひいてよかったかもしれない。

2023 12月25日 かけはし岸子













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